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(回答先: Re: Re:パレスチナの民 投稿者 キリオ 日時 2004 年 10 月 05 日 11:10:04)
キリオさん、いままで、60年近く、「和平」という言葉のもとに、どれだけのパレスチナ人が殺されてきたのでしょうか。もちろん、反撃のためにイスラエル人も多少、死亡しました。
とくに、自治区ですよ。イスラエルシャロンの挑発の原点は。
私は、もちろん、イスラエル人も、パレスチナ人も、米兵も傭兵も、人が死ぬのは容認できません。ですから、パレスチナでないイスラエル人は死ぬべきだなど、一度も口に出してません。「ハマス幹部ばかりがなぜ死ぬのか、シャロン側は」という疑問は口にしましたが。
問題は、殺す側か殺される側かということです。
殺す側は、たとえ、自衛隊の人間であろうとも、謙虚に、自らの位置を戒めるべきでしょう。易々と、職務に準じていれば立派かといえばそうではありません。
翻って、私は3年ほど前、パレスチナの和平問題に関しては、専門家の集会に何度か出て、著書も読みながら、考えてきました。
今、いえることは、パレスチナの人々は、この私の自由さえも無いということです。ペンも紙も無いのです。日本に流布するパレスチナ情報で、いったい、どれだけ、パレスチナ人の肉声を聞いたでしょうか。
パレスチナ人のいたところへ、占領に来たものは、まず、ここから、考えることがスタートです。パレスチナの地図を塗り替えて、偽りのイスラエルの地のうえで問題を解決していくことはできません。
個々の民衆が犠牲になることは承知の事実ですが、そのうえで、イスラエル人は自らの生活が何ゆえにあるのかを問うべきなのです。根源を曖昧にしては戦争屋の思う壺なのです。これは、いかなる国でも、いかなる人種の集うところでもいえるとおもいます。
また、多くの人は、自分がパレスチナ人やイラク人に、どれほどの人権蹂躙をしているのかさえ、問いません。テロリストというレッテルばりに便乗して戦争遂行のお先棒担ぎをしていることさえも認識していません。
今ある生活だけの視点から物事を見ていては、永久に見えてきません。相手の生活・相手の痛みを正確に想像することも欠かすことができません。