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飼料生産支援、作付けゼロでも奨励金 検査院指摘で廃止
朝日新聞9月29日
http://www.asahi.com/national/update/0929/020.html
自給飼料の生産などを促す支援事業で、飼料作物を作付けする酪農家への奨励金が、作付けを全くしていない酪農家にも交付されていたことが会計検査院の調べでわかった。農水省は99年度の制度開始以来、酪農家の拡大意欲につながるとして作付面積ゼロでも奨励金を出してきた。しかし、想定した効果は上がらず、作付けゼロへの奨励金は03年度だけでも約1億3千万円にのぼることから、検査院の改善要請を受け、作付けしない農家への奨励金を廃止した。
この事業は土地利用型酪農推進事業。飼料農作物を作付けすることで、牛のふんなどを堆肥(たいひ)として利用できるため、環境への負荷が減少できる。また、安定した自給飼料の生産で、輸入飼料への依存を軽減する狙いもある。飼料作物の作付面積に応じて奨励金を交付している。
奨励金は地域によって定められている。北海道の場合、牛1頭あたりの作付面積が100アール以上になる場合は牛1頭に対して1万5500円、29アール以下の場合は5500円などとなっている。独立行政法人「農畜産業振興機構」が96億円(03年度)を社団法人「中央酪農会議」に補助し、同会議が事業を実施する。
検査院の調べでは、03年度にこの事業に参加した酪農家のうち、作付けゼロで奨励金を受けたのは約3400人で、総額は約1億3千万円。
さらに、この約3400人について、事業が始まった99年度までさかのぼって調べたところ、毎年度奨励金を受け取っていたのは約2900人にのぼるが、そのうちの約6割が、一度も飼料作物を作付けしていないことが明らかになった。
同省は、作付けゼロの酪農家に奨励金を交付した理由について「奨励金を出すことで事業や目的などが広く浸透し、酪農家の拡大意欲につながる」と説明してきた。
しかし、検査院の指摘に対して、想定したような拡大効果はなかったことを認め、今年度から作付けゼロの酪農家に対する奨励金の廃止に踏み切った。
(09/29 15:48)
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一概には言えないけれども自給飼料の作付けは、酪農家の人件費を考慮すれば内地の場合は輸入飼料のほうが割安なのだ。濃厚な干草を作るにも手間がかから。円高メリットは昔に比べればはるかに大きいままであり、こちらに流れているはず。国民の「うまい」牛乳のニーズに対して、酪農家もメーカーも安易に「高脂肪」牛乳を造り続けているわけだ。
しかしこの反動として(高脂肪牛乳ののもととなる)濃厚飼料を搾乳牛に与え続ければ牛の寿命はものすごく縮むこともお忘れなく。結果としてはコストアップだ。むかしは牛も長生きして5産、6産といって、お産を5回も6回もさせて、もっと多いのもいたが(お産をしないと乳は出ないのよ。1年も出せば乾乳期と言って次の出産まで乳は出ないのよ。自給飼料でいいじゃないか。だから3産になってしまった。すぐに屠場ゆき。
国民の飽くことなき「うまいもの」への欲求は酪農家と乳牛に多大な負担を強いた。「うまさ」とは乳脂肪の多さで決まる。だから自給飼料なんか作らない。畑はもっと経済効率のよい作物を植える。
えさは商社系と農系の輸入飼料だ。
牛と人間との自然な需給関係なんてすでに消滅。なんで食い物に競争の原理が働くのか。「究極の牛乳」なんてのは、群馬県(栃木だったかな)の東毛(とうもう)酪農の「無殺菌牛乳」だろうが、ここまでする必要があるんかね。酪農家生き残りの苦肉の策だけども、えさは自給に近い飼料だ。利根川の土手の科本科(かほんか。イネ科)の干草(かんそう、とここでは読む)が主である。
酪農・畜産の糞便有効利用はどうか。それよりも放牧中に排泄される糞尿が地表から地中に浸透してゆくことにより土壌汚染・地下水汚染の問題が先決だろう。野放しだ。これは実際は非常に深刻である。これが何世紀にもわたって酪農が存続する限り、どうにかなっちゃうよ。名案もとむ、ってなとこなんです。
こんなこと考えて、将来を悲観して離農する酪農家も跡を絶たない。おらの親戚はまだだけど、やがて・・・。
結局汗水たらしてあくせくしても報いが少ない。酪農地域も都市化してゆけば酪農家の子弟は「くさい」(乳牛の飼養と糞便処理、搾乳の手伝いをするがゆえのにおいの付着による)とか差別される。新しい都市型住民は近くにある牛舎の臭いがくさいと言って苦情を出す。だんだん居にくい状況になる。まだ豚舎や鶏舎のにおいよりはいいんだし、おらもこの「芳香」が好きだ。酪農特有のにおいはサイロのにおいで、心地よい発酵臭であるんだけど。
50頭も飼って酪農していた人がある日突然やめる。これまではこの牛たちのおかげで生きてきた。しかしさまざまな条件によってやめざるを得なくなったときは、こう生き物の顔さえ見たくなくなるそうだ。一日も早く片付けてしまいたい。搾乳機もなにもかも撤去。そこまで追い立てるものが、今あるのだ。
これは副業としての畜肉の低下が主因だという。狂牛病騒動ではたいへんだったろう。武部が農水大臣のときのあの無責任さ。不正がばれてまずいときには秘書につながる人脈で「自殺者」まで出しているけど。
百姓とお上の馴れ合いではなんら日本農業の未来はない。
田園まさに荒れんとす。