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9月26日 ◇◆ 瓦礫の中から救出される幼児を見てしまった ◆◇「戦前責任」という言葉 ◆◇日本の安全を脅かす真の脅威 ◆◇義務教育費問題の本質 ◆◇
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□★□ 天木直人 9月26日 メディア裏読み □
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◇◆ 瓦礫の中から救出される幼児を見てしまった ◆◇
昨25日の夕方テレビのニュースを見ていたら、衝撃的な光景が眼に飛び込んだ。瓦
礫の中から幼児が救出されている光景だ。負傷したその幼い子供の絶望的な表情。こ
れは地震で崩壊した瓦礫から救出されている幼児の姿ではない。反米勢力を追跡して
いるイラク駐留米軍がファルージャを空爆した時の犠牲者の姿だ。
翌日の新聞でこの空爆の記事を改めて読んでみた。米軍は説明する。「ザルカウイら
のテロリストが新たなテロ計画を協議しているとの情報に基づいて攻撃した。空爆当時、
民間人はいなかった」と。しかしロイターTVは現場で生き埋めになった女性や子供ら
が住民らに救出される様子の映像を配信した。
同じような光景を思い出した。私がレバノンで大使をしていた時、毎日のようにこの
光景がTVで映されていた。イスラエル軍がパレスチナ自治区の抵抗組織を攻撃した後
の光景である。まさしく今アメリカはイスラエルと同じことをイラクで行っている。こ
れを裏付けるように、26日朝のサンデー・モーニングでは、米国防省の幹部が軒並みイ
スラエルと結びついている事、ブッシュ大統領の再選に米国ユダヤ人が強い影響力を及
ぼしている事などが暴露されていた。そうなのだ、イラク戦争はイスラエルの安全保障
のため反イスラエルのアラブ国を「民主化」する意図をもって行われた戦争であったの
だ。
そんなことは皆知っていると言う人がいる。自分には関係ないことだ、どうすること
も出来ないと思っている人もいる。しかし私はあの幼児の悲しいまなざしを見てしまっ
たのだ。もはや他人事のように米国、イスラエルの非道を黙って見過ごすわけにはいか
ないのである。
◇◆ 「戦前責任」という言葉 ◆◇
9月26日付の毎日新聞「ひと」欄に、「戦前責任」を問いかける長崎大学の哲学者、
高橋眞司教授の言葉が掲載されていた。なるほど、こういう考え方があるのだと感心し
た。
戦争が終わった時点において、その戦争を開始した責任を戦争責任として問うことは
一般的である。しかしある国が侵略戦争を行うよう着々と準備を整えていくときに、そ
れに待ったをかけることなく現状を追認する責任も、戦前責任という形でやはり問われ
なくてはならないと高橋教授は言うのである。
62歳の高橋教授は大学の講義の中で学生たちに語りかける。
「君たちに戦争責任はない。しかし戦前責任はある。今は昔と違って誰にでも参政権
がある。無関心、無自覚、無知な若い世代は、まさに戦前責任を問われているのだ」
と。
これは何も若者に対してだけの責任ではない。今の日本を動かしている政治家、官
僚たちが日米同盟の強化と言う形で日本を米国の戦争に加担していく政策を推し進め
ようとしているならば、それを防ぎとめる「戦前責任」は誰にでもある。これからはこ
の言葉を流行らせようか。
◇◆ 日本の安全を脅かす真の脅威 ◆◇
米国の「テロとの戦い」に巻き込まれる形で日本の安全が脅かされつつある。しかし
同時に又日本近辺における有事という本来の国家間の戦争の危険も確実に存する。一
つは北朝鮮のミサイル危機である。北朝鮮がミサイル実験の動きを見せたとの報道が
盛んに流れている。日本がすっぽり射程距離に入るノドンミサイルを200基近く配備
していると見られている北朝鮮が本気になって日本を攻撃して来たら日本はひとたまり
もない。
それよりも現実的な極東の有事は中国と台湾の戦争である。中国は台湾の独立を
武力で阻止する事は間違いない。その台湾は独立をあきらめる気配はない。25日の台
湾の夕刊各紙は、台湾の行政院長(首相)の次のような強硬な発言を一斉に報じてい
る。
「中国の軍事的脅威から台湾を守るためには、冷戦時代に米国と旧ソ連の間に築か
れた『恐怖の均衡』のような状態を保つ必要がある。・・・中国がミサイル百発を撃ち
込むなら、少なくとも五十発撃ち返す。台北や高雄を攻撃したら、こちらも上海を攻撃す
る。反撃能力を備えてこそ台湾の安全が保たれる」
このような日本を取り巻く脅威に対して、日本政府の対応はあまりにもお粗末である。
現在検討されている新防衛大綱では自衛隊の任務として国際貢献をこれまでの従たる
任務から主要な任務に格上げしようとしていると伝えられているが、日本の国防を後回
しにして国際貢献などといっている余裕はない。他方において外務省は米国の米軍再
編の要求に対して、ただひたすら国民の反発をおそれるあまり、それを国民に隠し、米
国に対しては返答を引き伸ばして、いたずらに時間を浪費している。
いまや日本の安全保障問題は政府や軍事専門家の独占するものではない。我々が
考え声を上げる問題である。軍事的な脅威だけに着目すれば日本の安全を確保する
には米国の軍事力に頼るほかはない。憲法を改正し米軍との軍事同盟を強化すること
によって北朝鮮や中国からの軍事的脅威に対抗する。これが政府、官僚、御用学者、
財界の主張である。
これは一見すれば問答無用の意見のように見える。しかし少しでも冷静に考えれば
この考えこそますます日本の立場を危うくすることになることに気づくはずだ。莫大な
経費を投じて邀撃ミサイルシステムを作ったとしてもミサイルのすべてを防ぐ事はでき
ないのは専門家の認めるところであるし、そもそも今の日本にそんな軍事費を支出する
余裕はない。そして対決姿勢を強めれば強めるほどそれが相手国への脅威となって相手
国を刺激する。かくして軍事競争がエスカレートしていくことは歴史の証明するところ
である。9月26日の読売新聞に土山實男著「安全保障の国際政治学」(有斐閣)の書評
が載っていた。その中で次のようなくだりがある。
「・・・安全保障は人間の幸せにどこか似ていると著者は言う。貧しくても幸せな人
がいるように、安全の十分な備えがなくても安心している国がある。逆に豊かなのに幸
せになれない人がいるように、十分な備えがあっても、何かに怯えている国がある・・・」
今の米国を見ていると、強者であるがゆえにその優位な立場を失う事の不安に怯え、
軍事力で敵をねじ伏せようとするあまり抵抗者の反撃に怯えなければならないという自
己矛盾に撞着しているようだ。
このような国と軍事同盟を強めることが誤りである事は明らかである。戦後生まれ変
わった日本という国は、米国のような覇権国とは国の理念が根本的に異なる国なのだ。
我々は本気で米国との関係を見直す時に来ている。
◇◆ 義務教育費問題の本質 ◆◇
先般の全国知事会議において、知事会が3.2兆円の補助金削減案をまとめて小泉
首相に投げ返した。「税源移譲を求めるのであれば、それに見合う補助金削減案を地
方公共団体でまとめてみろ、まとまりっこないだろう」といわんばかりに投げた小泉投
手のボールを知事側が見事に打ち返したのだ。
ただこの時に、補助金削減の対象の一つに義務教育費の削減があったため、9月
14日に開催された政府と地方6団体との協議では、閣僚から削減案への批判や反論
が相次いだ。義務教育費といういわばナショナルミニマムの保障を損なうような削減は
おかしいというのである。
この反論は一見もっともなように聞こえるが、私は当初から小泉首相の三位一体の一
つである補助金削減に関する本当の抵抗は、補助金を減らされる地方公共団体の側に
あるのではなく、補助金行政で絶大な権利をふるう中央政府の官僚が自らの仕事を奪
われることによる抵抗であると見ていたので、この反対論に素直に賛成できなかった。
そんな中で9月26日の毎日新聞で、千葉大学の新藤宗幸教授が、「発言席」という
論評で見事に私の思いを語っていた。
「・・・この義務教育におけるナショナルミニマムの保障を掲げた地方側への反論の
成否を虎視眈々と狙っているのが官僚と族議員ではないか。そもそもナショナルミニマ
ムの保障を言い出すなら、河川改修も砂防事業も国の責任となり、この意味で、義務教
育費の国庫補助負担金の取り扱いこそ、補助負担金廃止問題そのものの行方を決定する
だろう。・・・義務教育費国庫負担制度を核とした教育における国の責任論の下で、文部
省は「指導・助言」という名目で微に入り細をうがった統制を学校現場に加えてきた。日
の丸、君が代強制はその典型だ。学習面でもゆとり教育・総合学習を言ったかと思えば一
転して基礎・基本の徹底を指導する。学区の自由化にしても自治体の自主判断ではない。
学校間の競争による質の向上なる指導の結果である。つまり、文部科学省初等中等教育局
―都道府県教育委員会―市町村教育委員会なる縦系列の閉鎖的行政制度の下で教育現
場は振り回されてきた。・・・したがって義務教育における国の責任を高める事は実際には
文部科学省官僚制に塩を送るようなものだ。・・・全国知事会などの「改革案」の履行を迫る
だけではなく、今回の提案が、分権型の教育こそ子供たちの心のゆとりと学習意欲の向上を
促す「初めの一歩」であることを広く社会にアピールせねばなるまい」
私もまったく同感である。
http://homepage3.nifty.com/amaki/pages/ns.htm