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やはり最後を締めくくったのは、ドーピング疑惑だったか。これを選手個人の意志で行う筈はなく、「国家の威信」をかけて参加するから、こういうことになるのである。醜い姿を曝して居るわけである。
我が国は、平和憲法を保持しているのであるから、それに沿っての「オリンピック参加のあり方」というものを確立すべきである。少なくとも、「国威発揚の為の参加の立場とそれを目指す国々」とは一線を隔して参加すべきである。ここでも我が国は何となく流されている有様だから、自衛隊イラク派兵も抵抗できないのだ。優柔不断とはオサラバしなければならない。
イラク派兵参加とオリンピック参加とを並列して考える発言が自衛隊員の中から出るのは本当にブラック・ユーモアだが、頭の中がブラック・ユーモアでは救われないではないか。
オリンピック報道を、プロ野球のひいきチームの応援が主調のテレビ・ラジオ放送のようにやっては見っとも無い。見ている方も、つまらなくなるのだ。
ちなみに、近代オリンピックの提唱に、謀略の疑いがあることを書いた本が、かなり前に出されたことがあったが、残念ながらそれを読んでいないし、書名にも記憶が無い。
1896年に第1回をアテネで開催したのであるから、近代帝国主義戦争と共に始まっているとも言えるのである。
金・銀・銅のメダルを目の前にぶら下げて、「帝国主義諸国よ闘争心を燃え立たせて戦え。そして互いに消耗しろ」などと、考えられていたかもしれない。
もっとも、選手達の皆が「国家の威信」の為にプレイした訳ではないし、それが目的で参加した国ばかりではない。
まさしく、「オリンピックよ何処へ行く?」であり、「オリンピックをどうするか」である。
それにしても、室伏選手の心中はさぞかし複雑だったであろう。好青年の顔に悩みの表情が出ていた。
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