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社説
終戦記念日*現実感を忘れてはならない(8月15日)
終戦記念日がめぐってきた。五十九回目になる。戦争で肉親家族を失った人びとにとって、この年月は決して長いものではないことだろう。
数え年でいえば、今年の終戦の日は還暦を迎えたことになる。十干十二支を組み合わせた暦が一巡して再び元にかえる。
還暦は、格別に大きな人生の節目として意識されている。この日を迎えられた感慨のうちに来し方を振り返り、行く末の幸せを願う。
国の歴史にとっても、それは同じではないだろうか。
今年は、とりわけそのことを意識したい。日本という国と私たちは、未来を大きく変えるほどただならぬ、かつ危うい歴史の転換点に立っているという実感をぬぐえないからだ。
事実を見ようとしない
そのような思いはどこからもたらされるのか。実感の背後にある事実、現実をしっかりと見つめることが今ほど求められている時代はない。
この一年を振り返ってみよう。
二○○三年十二月、政府はイラク復興支援のための自衛隊派遣を決めた。今年二月には北海道の陸自部隊がイラクのサマワへと旅立った。
このことについて、私たちは「これは戦後日本にとってとてつもなく大きな意味を持った事態だ」と書き、派遣反対を訴えてきた。
派遣の根拠となる法律にも違反しているばかりか、憲法にも反すると判断したからだ。日本は危険な方向に向かっていると考えた。
イラク復興支援特別措置法では、自衛隊は「非戦闘地域」にしか派遣できない。「現に戦闘行動が行われておらず、実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」のことだという。
現実のイラクは、全土で今なお反対勢力と、米軍やイラク治安部隊との間で戦闘が絶えない。テロも頻発している。サマワの自衛隊宿営地付近にも再三、迫撃弾が着弾している。
戦闘地域か非戦闘地域かの線引きはそもそも困難なのだ。小泉純一郎首相自らが「どこが戦闘地域か限定するのは難しい」と述べている。語るに落ちたというしかない。
実際の復興支援活動も、治安悪化で自衛隊は宿営地に引きこもりがちだ。企業や雇用の復活など、イラクの人びとの期待との落差は隠しようもない。
なぜこうしたことになったか。
首相も政府も政治家も、現実感を喪失しているからではないか。本当に起きていることを見ず、日本は何をするかの判断を誤る。結果として国益を損ねてきた。
「不戦の誇り」を今こそ
そもそも、イラク戦争自体が現実感を欠いた判断の結果だった。
「イラクには大量破壊兵器がある。世界は手を携えてその現実と闘う必要がある」
米国や英国が声高に語った「大義」は、誤りだったことがすでに分かっている。戦争に導いた「現実」とは虚妄にすぎなかった。
その虚妄を日本政府は受け入れ、国民に説明をしないまま、「派兵」や、多国籍軍への参加へと突っ走った。
米国との関係維持のために「まず派遣あり」。そのような思考停止が、イラクの実情や日本が果たせる貢献を見極める現実感覚をまひさせた。
そして、憲法をないがしろにした。
かつて自衛隊員だった作家の浅田次郎さんが「もうひとりの私から、イラクへと向かう部下へ」という短い創作に託して語っている。
「(自衛隊は)世界一ぶざまで滑稽(こっけい)な軍隊だけれど、そんな俺(おれ)たちには誰も気付かぬ矜(ほこ)りがある」
「それは、五十何年間も戦をせず、一人の戦死者も出さず、ひとつの戦果さえ挙げなかったという、輝かしい不戦の軍隊の誇りだ」
薄れていく戦争の実感
戦後日本は、そのような「人類史上例を見ない」(浅田さん)組織を持った。その事実こそ、直視し守るべき現実ではないのか。
ただ、現実感覚の喪失は、必ずしも政府や政治家だけの風潮ではない。
今、太平洋戦争開戦の年以降に生まれた世代(六十四歳以下)は人口の81%を占める。圧倒的多数は、戦争を実感として知らない。近隣諸国に及ぼした惨禍を思う想像力にも乏しい。
日露戦争百年の今年、戦争を振り返る出版などが相次いだ。日本が「一等国」として名乗りを上げた、その誇りと自信を懐かしむ内容も目立った。
「失われた十年」の失意と屈辱に傷つく日本の、絶好の自信回復剤として歓迎された面もあるのだろう。
だが、日露戦勝利の陶酔と過信が、原爆投下で終わる日本の戦争の時代につながった現実を忘れたくない。
この一年はまた、憲法九条の平和条項の見直しを中心に、威勢のいい改憲論が急激に盛り上がった。
こうしたことが、戦争の現実を見ない時代風潮の結果でないことを願う。
今や少数派の戦前生まれの人びとが「今の日本は戦前とよく似ている」としきりに警鐘を鳴らしている。
深い現実感覚から発せられた重たい言葉だと受けとめたい。
「還暦」が文字通り戦前への回帰を意味してはならないからだ。