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公明党が主導して成立させた『個人情報保護法』が、来年本格的に施行されます。
議員の年金納付データが表に出たことに対して、坂口厚労相がそれを記事にしたメディアなどに、記事にする前に本人にまず知らせるべき、だとか、社会保険庁のデータを提供した人間を探し出して云々と威勢よくやっていたのは、この池田大作保護法とも言われる『個人情報保護法』を念頭においたものなのです。
具体的には次のようなことです。
『個人情報保護法』には”利用目的による制限”という項があり、それは「目的を事前に明確にして本人の同意を得ること」です。これを上記の年金納付データに当てはめると、雑誌社はA氏の年金納付データを誌面に載せる場合にはあらかじめA氏に「批判のために誌面に載せます」と事前に明確に伝達し、なおかつA氏の承諾をとらねばならない、ということです。
もし、A氏が誌面に載せることを拒否すれば、それに従わなければなりません。
A氏が拒否をしたにもかかわらず、雑誌社が誌面に載せた場合『個人情報保護法』違反になります。年金納付データでなくても、個人に関する情報であれば全てこれが適用されます。馬鹿みたいな話なのですが、それが成立した『個人情報保護法』なのです。
『個人情報保護法案』が問題にされた時に、上に書いたような事態を指摘され、政府は「有り得ない」と一笑に付しました。たしかに、市民サイドの多くの人の常識や良識からも、それは有り得ないと考えざるをえないほど、馬鹿げたことだったのです。しかし、その「有り得ない」ことを現に厚労相が多くの記者に向かって発言しているというわけです。
社会保険庁のデータを提供した人間を探し出して…、というのも、『個人情報保護法』の「適正な取得」の項にあたり、個人情報の入手先を雑誌社はA氏に開示しなければならない、ということになります。
でも「フリージャーナリスト」も、新聞社や通信社、放送局と一緒に、義務規定の”適用除外”に含まれるように公明党主導の改正案で改正されたのでは?と言われるかもしれませんが、「良い子」の新聞社や通信社、放送局はしばらく問わず(名誉毀損裁判などの損害賠償額の高騰を推進させている一人である冬柴公明党幹事長などは、僕が旧内務省の復活か、と書いた総務省の大臣ポストを現在ねらっているといわれ、そこで放送許認可権を創価学会=公明党の人間に握られれば、「良い子」はもっと「良い子」になるでしょう。もともと、田中角栄に新聞やテレビが頭が上がらないと言われたのは、田中角栄が郵政大臣だった時に多くのテレビ局などが開局できたからで、それは新聞社が田中詣でを繰り返した結果だったのです)、出版社が適用除外にはなっていないので、「フリージャーナリスト」が出版社メディアに記事を載せるかぎりにおいて、その記事は適用除外にはならないのです。さらに、何をもって「フリージャーナリスト」と認めるかも曖昧です。たとえば、新人は?あるいはどこまで知名度があれば、または実績があれば、「フリージャーナリスト」と認定されるのか。またその際の”実績”とは??
政教一致団体の恐さは、彼らの行動や動機が、「宗教」(創価学会の場合、フランスやアメリカで「カルト」とされています)的情念にあることであり、本来の政治学における動機は二の次のものでしかないということなのです。
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創価学会の[集団替え玉投票事件]がそれだ。四十三年七月の参院選東京地方区で起きたものである。十万通の投票入場券がどこかにまぎれこみ、有権者の手許に届かなかったことが発見されたのだが、一方で、他人の入場券を使い替え玉投票しようとする者が、各地に現れた。東京では五万票が替え玉投票された疑いも発生、その多くが創価学会関係者による計画的犯行で、東京のほか五道県の摘発が始まった。
(外野本人の注: この”替え玉投票事件”は、検察が創価学会=公明党に働きかけられて、結局インチキをして事を収めてしまいました。創価学会=公明党は検察首脳に「私たちが共産党と戦わなければ誰が戦うのか」言ったといいいます。実に馬鹿げた言い分ですが、当時は当局が健全な労組潰しに奔走していた時代でもあり、当局としては敵の敵は味方という論理だったのでしょうか。ともあれ、もしこの時検察がごく普通に職務をまっとうしていれば、現在公明党も創価学会も存在していなかったのです。当時の検察は実に罪深いことをしたものだと思います。ことわっておきますが、僕はいかなる宗教団体にも属してはいません)
(略)
ざっとみただけでも、公明党が保守、革新、中道と揺れ動く時は、党勢の消長、保革の力関係、社会情勢の動向とパラレルだ。保守、革新、中道を往きつ戻りつは、いかにして第三勢力として割り込み、キャスティング・ボードを握るかの日和見のみである。
(略)
前章にみたとおり、公明党路線の振幅の大きいこと、「右往左往党」「世論調査党」「ジグザグ路線党」の異名がつけられているほどである。
なぜ、そのようにジグザグコースをたどるのか、いま少し、その時々における変転ぶりを検証してみる。
(略)
要するに、公明党の[変わり身]の早さは、進歩でも前進でもない。時流の表面だけを見るものの、底流は考えない。政党として現実変革の意志などあるわけはないから、現実追随のためには百八十度方針大転換は、朝メシ前だ。路線転換の理由、自己批判は一切、この党には無用である。(『創価学会・公明党をブッた斬る』1985年刊 藤原弘達著より)
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以後も公明党のそのあくどい”[変わり身]の早さ”は続きます。
たとえば、1989年、リクルート疑惑で自民党が窮地に追い込まれた時に、やはりリクルート疑惑の民社党と共に、この公明党が一夜で豹変し”リクルート汚染連合(当時公明党はリクルート疑惑の他に明電工事件も起こしていた)”を彼らと組んだときもそうだったのです。いずれ十数%に上がるといわれてもいる現在の消費税は、その時の”リクルート汚染連合”が生んだ産物でありました。
1998年には自民党の議席過半数割れという危機に、公明党は自由党と共に露骨に馳せ参じてその後の亡国国会に邁進しています(99年1月「自・自」連立。99年10月「自・自・公」連立)。同じような構図のものが1983年にロッキード疑獄で自民党が総選挙に大敗して過半数割れとなった時にも見られました。こちらは公明党ではありませんでしたが、1976年に自民党を飛び出した山口敏夫氏や河野洋平氏らが作った「新自由クラブ」が、やはり自民党に舞い戻り、自民党の危機を救っているのです。
1999年には公明党は国会で何をやったでしょうか。神崎武法代表のもとで「盗聴」も(彼は検事職時代に創価学会が行った盗聴に関ったのがバレて検事職を辞職させられています)法制化させてしまったのです。この「盗聴法」に関してはまさに「転向」そのもので、公明党の議員と共に、http://imho.hp.infoseek.co.jp/data_a/hoseki199908.html">一緒にその法制化に反対を唱えていた他の党の者たちも呆気にとられるということになったのです。
しかしそれで離れてゆく党員も公明党には存在しません。それどころか、次期公明党代表には「盗聴法」でハナレワザの「転向」を披露した浜四津敏子議員がなるともっぱらの噂です。もともと公明党というのは如何なる意味においても国の政治をやる機関ではなく、創価学会のための私的な政治工作機関だからなのです。それ故に「転向」とか「変節」とかいう語句も彼らの思想のなかにはありません。あるのは、創価学会が唱える「実利」だけです。創価学会を知らない人にとっては、上記の「転向」は実に不可思議なものに映るようですが、政教一致というものの実態の恐さはこういうところにもあるのです。