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(回答先: Re: どうしてそんなに自殺するのかな? 自分を責める必要はないよ。 投稿者 茶々 日時 2004 年 7 月 23 日 21:03:24)
進化に関する授業だったと思います。
環境が激変したとき、その環境の中に生きている生物には、
@ 環境の変化に対応しきれず死滅する。
A 環境の変化に対応できないため、自分が対応できる環境
を求めて、その環境から逃亡する。
B 環境の変化に対応するため自分を変える。つまりそれが進化だ、と。
その生物教師は、この3つしかないのだと、力説していたのを。
高校一年生だった私は、そうなのかもしれないなと思いながら、一方で、人間だったら他の生物と違って、自分が生きていけるように、環境の方を変え直すということはできないのか、と思ったことも事実なのでした。私は、その生物教師の行う定期考査において、悪性腫瘍(ガン)の小論があらかじめ試験問題として出題されるので、調べておくようにというその教師の指示に対して、とことん調べたあげく、本当に自分がガンにかかっているかどうか疑心暗鬼に陥っている患者にとっては、本当にガンを患うことが救済だということも心理的にはありえる、などという論理を回答用紙の裏面に書き連ね、あとでこっぴどくしかられました。
そしてその頃、毎日大江健三郎の小説を読むことにあけくれていた私は、自殺についての大江のこんな言説を読んだのでした。大江の作品の何だったのかは忘れてしまいました。そしていま調べる時間もないままこれを書いています。すみません。とにかくこんな言説でした。
自殺には二つの型がある。
「俺は嫌だ」型、すなわちこの世界に対する全面的否定型
と
「助けてくれ」型、すなわち救助を求めて、死んでみせる振りをする型、
それが結果的に自殺になってしまうという型
の二つだと。
ちょうどそのころ私は、自殺を真剣に考えていた頃なので、この生物教師の話しと大江の言説を殆ど同じタイミングで知ったことは、とてつもなく大きな出来事となりました。
いま私は、自殺への願望をなくしてしまっているでしょうか?
そうだ。といえない自分がいます。
私のあの頃の自殺願望が多分に「助けてくれ」的であったのに対して、現在の私のそれは、「俺は嫌だ」型に変わっているのを感じます。
この国のような現実が若し、唯一無二の世界なのだとすれば、
そして
この世界にあることが私に対して消しようのない苦痛を齎しているとすれば
自分はこの世界から離脱して楽になりたい
という抑えがたい欲求が個人を捉えてしまう現実を否定できません。
破産、借金など経済的な理由であっても「助けてくれ」型とは違う、「俺は嫌だ」型の、つまりこの世界の全面否定としての自殺、へと至る人たちの存在を認めない訳には行かないことを考えざるを得ないのです。
そして生物教師の話です。
その生物教師の話によれば、自殺とは環境の変化に対応について行けない為に生じた死滅の一種ということになります。そして小泉の掲げる「構造改革」は、まさしくこのことを肯定するものだと思わないわけにはいきません。
でも果たしてこの世界は、いま私たちが見ているような形でしか在りえないのでしょうか。
若しかしたら、まったく違う形で人間の世界が存立する可能性もあるのではないのでしょうか。
この世界の(日本におけるということも含めて)外側に、極楽とか天国、涅槃の世界しか描けないのだとすれば、つまり超越的な生の世界しかイメージできないのだとすれば、究極的には、この世界に消しがたい異和を抱いた者は、全面的にこの世界を否定するアクションとしの自殺か、この世界に踏みとどまるため究極的に救いを求めるアクションとしての自殺に至らざるを得なくなるのではないかと思います。
でも本当にそうなのでしょうか?
私たちは、この世界の外側に、現在の支配的ルールに基づくもの、とは異なる原理による人間の生の世界を構想することは不可能なのでしょうか。
本当に死んでしまった自殺者に向かって
「なぜ君はもっとよりよく生きようとしなかったのか?」
などと問うてみとも、無意味でしょう。
そんな問いは、自殺者である彼あるいは彼女のの中で、繰り返し投げかけられていた 筈です。そしてその問いに対する答えが、現実の自殺というこの世界の向こう側への
飛び越えとなっているのでしょう。
もしかすると私であったかもしれない04年度の自殺者に、黙祷しつつ、
私は、
ひとりひとりの自殺者の、その
「助けてくれ」
あるいは
「俺は嫌だ」
のその内実に思いを至らせつつ、
いずれにせよ
助けに対して救済の手立ても講じられない世界に生き、
全面的なこの世界の否定に対して、その世界観を反転させる、いかなるすべも、もっていない、こちら側に愚鈍に生き続けている者として、
(都合により少し中断します。後日再開します。)