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http://www.nobuyoyagi.jp/japanese.htm
(7月1日 記)
少し前に、カート・ヴォネガットJrの『坑道のカナリア』論をご紹介したが、じっさいに、そのとおりのことが私の周りで起こっているから、不思議。
それまで、政治には無関心と言い切っていたような画家や染織家や音楽家や写真家といった人たちが、かつてなく「気持ち悪い」と感じているらしく、立ち寄った銀座のギャラリーで、加熱した政治論議になることもしばしば。しかも、それがそのへんの「公正中立な」新聞より、はるかに辛辣だからすごい。
抽象画ということもあって、一見政治的には見えないのだけれど、それでも自分のこの作品は「イラク派兵反対」の想いを込めて描いたと語るひともいた。ホームページの日記やらお知らせが、突然政治的になってきている人もいる。
皆、一様に、「なんともいえず気持ち悪い」「これはなにかしないといけない or 逃げだしたい」と感じるという。神経科で抗不安剤をもらってきたという人までいるから、これは、理屈じゃなくて、もう本能的なものですね。
まっとうなカナリアは、坑道に溜まりだした毒ガスを感知して騒ぎはじめたというところ。
そういう八木も、かつてなく気持ち悪い。あまりの気持ち悪さに、次のライブでは、かつて歌わなかったような歌も歌うかもしれない。いや、ほんとにやるかはともかくとして、そういう強迫観念にはとらわれています。
そんな中での、イラク前倒しの主権委譲。出席者数人だったという。
絵に描いたような傀儡。茶番劇はどこまで茶番劇なのだろう。
そして、そんな政権の依頼を受けて、国民のコンセンサスどころか、議会にかけることすらせず、多国籍軍参加を強行する小泉政権。これを独裁といわなければ、なにが独裁なのか。
(7月9日 記)
参院選のポスター。「この国を愛し、この国を創る」
まあ、フレーズのセンスはおいとくとしても、あの字はどなたの字でしょうね。
印刷字体でも良いものをわざわざ手書きにしているのだから、よほど自信がおありなのでしょう。
たしかに、字は、その人を表します。
それはもちろん、上手下手の問題ではありません。
ヘタくそでものびのびとした字、躍動感のある字、丁重な字、せっかちな字、乱暴な字、チマチマした字、小綺麗だけれど小手先だけで書いているような字、お手本通りの字。
いちばん恥ずかしいのは、勘違いしている字。ヘタなのに、自分では上手な自信過剰。まるでカラオケでマイクを握りしめて離さないオヤジみたいな、謙虚さのない字。
あの自民党のポスターの文字を見るたびに、「いけませんねぇ」と言いたくなるのは私だけでしょうか?
(7月15日 記)
参院選直前にして、そこまでやるかぁという一発が出ました。曽我夫妻ご対面に使われる税金は、おそらく、イラク人質救出費用よりも上でしょう。また北朝鮮に恩を売られたわけですものね。
そこまでやらなければやばいと思った小泉政権の側から見れば、ここのところの年金法案の強硬可決や、国民を舐めきったからつい出てしまった暴言に、さすがに暢気な国民もむっとして、支持率下降したからでしょうね。
そして、参院選。
ここのモノローグを読むような方に敢えて言うのも失礼なので、選挙に行こうみたいなことは書きませんでしたが、ここまでバカにされても、まだこの程度の投票率か、というのが正直な気持ちです。
で、新聞は、自民党が負けたの、民主が躍進したのと書いています。
たしかに、表面的にはそう見えます。
しかし、たぶん自民党に危機感はないでしょう。公明党と議席を合わせれば、与党は絶対多数を維持しているし、民主党が伸びたとはいえ、一時的なブームに乗っているだけ。次の選挙まで追い風に乗っていられるかは、疑問です。
今回の選挙の特徴的なことは、そういう問題ではなく、社民と共産......とりわけ共産党が惨敗した選挙であったという点です。おそらく党の存亡の危機にあるといってもいいぐらいの。
じつは、こうなることは、小選挙区制という大政党に極端に有利な制度が採用された時点で、十分予測できていました。で、もちろん、二大政党制を望まない人たちは、小選挙区制に反対したのだけれど、結局、これが採用された時点で、それが制度となったわけです。
その事態に対して「ならばどうするか」ではなくて「ただ反対」。小選挙区制だから不利。二大政党制の流れに抗しきれなかったなどと、今回、共産党の上層部はおっしゃっているようだが、「そんなこと言ってるから駄目なのだ」
原則論は結構だし、それを大事にすることは重要だけれど、原則論だけに拘泥して、なんの応用力も打開策もなく、何とかの一つ覚えでは、政党が滅びるのも時間の問題であるということに気づくべきだったし、今からでも遅くない。気づくべきだ。
今回の選挙で、自民党は公明党の多大な選挙協力を得たおかげで、目標より少ないとはいえ、49議席を獲得した。もしも、公明党が自民党に選挙協力せず、すべての選挙区で独自候補を擁立していれば、一人区での自民党の票は割れ、自民党は民主党に惨敗したはずである。
その結果として、公明党は、自民党に対して大いなる発言権を有することになった。
同様に、今回、もし共産党が、独自候補の当選が事実上無理であると考えられる一人区で、あえて独自候補を擁立せず、沖縄県でやったような「野党連合」的選挙協力を、民主に対しておこなっていれば、なんと1人区8議席がひっくり返っていた計算になる。
そうなれば、自民41議席。民主58議席。
それだけではない。与党計51議席。野党系63議席。
たとえ、公明党が自民党に多大な貢献をしていたとしても、それでも、自民と与党連合は、歴史的な惨敗をするはめになったのだ。世界のマスコミは、イラク派兵への国民の反対表明と大々的に報じただろう。年金法案の廃案化も具体性を帯びてくる。
共産党の最大の言い分として、「しかし民主党も改憲をしようとしている政党である」というものがある。それはもっともだ。しかし、しつこいようだが、原則論は原則論として重要だが、一方で、政治というのは理論だけではない生き物だ。現実的な判断がどのタイミングで、どれだけできるかがもっとも重要な世界なのだ。
しかし、前回のアメリカの大統領選挙で、共和党のブッシュが当選した最大の功労者は、じつは緑の党のラルフ・ネーダーだったという事実を、よく噛みしめるべきだ。有名な消費者運動家で、民主党と支持層が重なる(そして、現実には、大統領当選はあり得ない)ネーダー氏が出馬し、何十万票かを集めることで、それは、民主党のゴア候補の足を引っ張り、ブッシュを有利にした。
というより、接戦だったあの選挙では、ブッシュを助ける決定打となった。
そして、今回、ケリー陣営に対して苦戦するブッシュ陣営から、ラルフ・ネーダー陣営に献金が行われていたことがすっぱ抜かれている。敵の足を引っ張るやつは味方。ラルフ・ネーダーの取る票は、そのまま、ケリー陣営の損失になるからだ。
共産党が独自路線を貫くのは結構だ。しかし、この事実、つまり共産党が意地になって全選挙区擁立をやることが、結果的に自民党をとっても助けているという事実をどう考えるのか。
そして、そうやって自民党に尽くしたところで、公明党と違って発言力ができるわけではないから、選挙区制は変わらないし、じり貧状態は変わらないだろう。
それより、国家権力が共産党をほんとに恐れるようになるのは、「原則は曲げないが、必要であれば、いつでも野党連合の一員として大同団結ができる」共産党になることだ。
腐っても鯛。共産党には真面目な党員と支持層がある。選挙区で、死票になることすらいとわず投票する人たちだ。この数百万票のうち、一人区の分が死票でなくなれば、それは与党にとって、もっともおそろしい武器となる。
そして、そういう野党連合が政権を取れるようになれば、選挙区制のいまひとたびの改革を議論に載せることもできるかもしれないし、野党第一党がやはりろくでもないということになれば、それはそれで、また「武器」をつかって、叩き落とすことができるのだ。つまり、そこに共産党の存在意義も発言力も再生される。民主党の右傾化への抑止力にもなるだろう。
共産党に限らない。社民党も今回不本意な結果に終わっている。救いがあるのは、彼らは選挙協力をやったことだ。社民票が民主党に流れたことで、勝てた選挙区は少なくないはず。
しかし、社民だけでは弱い。辻本清美の秘書疑惑から、土井たか子の年金不払い問題など、一連のイメージダウンを誘うトラブル続きで、ほうっておくと、民主に事実上の吸収合併になってしまいかねない。
だからこそ、ここで、小異を捨てて、野党連合ができないものか。
そうでなければ、日本の政治は、本当には変わらない。