現在地 HOME > 掲示板 > 政治・選挙4 > 535.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
皆様
ミロシャビッチの裁判が、ソロスや米国の支援・構成で行われているので、公正で
なく、正義でない、という理屈は、丁度、中曽根や小泉、特に、岸信介を母体とする
清和会がリフレインする、東京裁判の欺瞞という主張と同じである。
本来、戦争犯罪は、権力者の行為を、権力者であった地位によって裁くもので、被
征服者を征服者が裁くことが多く見られる。
東京裁判で、「判事は11カ国から1名ずつ任命され、オーストラリアのウェッブ
判事が裁判長に選任された(中立国からは1人も選ばれなかった)。」として、ま
た、「平和に対する罪」「人道に対する罪」へと拡大された戦争犯罪の概念が国際法
上未確立である上、「日本に侵略する意図はなく、満州事変から太平洋戦争にいたる戦
争はすべて自衛のための戦争」と反論、激しく対立した」として、東京裁判を批判す
る理屈と全く同じである。
権力者は、自らの意思で、権力を放棄することが可能だ。自分の存在が、紛争を呼
び、内紛を拗らせるのであれば、権力に執着することなく、平和と調和の道に向かう
べきだ。そのような政治家も多い。特に、小国で、内紛を抱える国では。小泉は紛争
を権力のために故意に利用する。ミロシャビッチも同じだ。彼は、紛争の中で権力を
維持した。
岸信介などは、満州国を鮎川などと共謀してデッチアゲ、日本を戦争に導き、その
後、米国の擁護の元に、巣鴨を出て、権力者に再度、の伸し上がった。そして今、彼
らは、米国の強要による日本国憲法、米国の策略による「東京裁判」を、そうした理
由によって、批判を繰り返している。
ミロシャビッチを擁護する理由も、同じで、ソロスや米国の支援・構成で行われて
いるので、公正でなく、正義でない、という。
では、現実に、子供を殺され、家を焼かれ、失業し、路頭に迷った人々、岸やミロ
シャビッチが、栄光の元にあり、好き放題をしていた時に、弾圧され、家族と引き離
され、死に追いやられた人間が、彼らを何時、裁くことが出来るのですか。その子孫
に、裁かせてくれるのですか。過去に、戻らせて、恨みを晴らさせてくれるのです
か。
皆さんは、私を傍観者のように、言いますが、私は、傍観者では、ありません。
本を読んで、分かったような気持ちになることは、勝手ですが、他人も、自分と同
じように、間接情報によって、発言している、或いは、趣味で発言している、と思わ
ないでください。
学者や研究者の知識、認識について、その「深さ」「中立性」「厳格さ」を計るこ
と、それって、結局、勝手な理屈でしょう。
誰が裁こうと、ミロシェビッチの罪は裁かれるべきであり、小泉も、ブレア、ブッ
シュも、同罪であることに、変わりはありません。
小泉のミロシェビッチ化
http://blog.melma.com/00112192/20040712235916