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7月14日―マスコミ報道の裏を読む
1. いかさま外遊
選挙というものは政治家にとって一大事業である。それはそうである。当選するかどうかで生活がかかっているから。その結果選挙の後は当分何も動かなくなる。新聞もろくな記事がなくなってくだらない選挙解説ばかりである。そんななかで小泉首相と岡田党首の外遊の記事がのっていた。小泉首相は韓国へいくという。この時期に緊急に話し合う何があるというのか。なにしろ「誰に一番会いたいのか」と韓国側に聞かれて即座に冬のソナタの「ヨン様に会いたい」と小泉首相が返答し、「この人は何を考えているのか」と韓国側に嘲笑されたという記事があった。
他方で岡田党首は米国へ行って国連本部、米国政府高官、共和、民主両党幹部と安全保障政策や経済政策について会談するという。何のことは無い。政権に近づいたと錯覚し、あるいは政権をとらせてくださいと米国詣でを行うのである。
どうして日本の政治家は何もないときに外遊をするのか。時間があればたまには静かに本でも読んで勉強してみたらどうか。私はこれまで大使館に勤務して日本の政治家の世話をずいぶんさせられてきたが意味ある会話が出来た政治家にお目にかかったことがない。こんな外遊をあたかも意味のあることのようにニュースにするマスコミの責任は重い。
2. 平和は論じるものではなく実現するものだ
7月14日の朝日新聞にNPO法人の女性(30歳)の投書が載っていた。これにいたく感動させられたのでさわりの部分を引用させてもらう
「・・・私は障害のある人と職場で一緒に働いていますが、もし戦争がおきたら、この人たちを見殺しにして自分ひとりで逃げ出すのではないかと思います(自分は弱い人間なので)。そんなことはしたくない。一緒に生きていたい。だから決して戦争をしてはならないと感じています。武力で国を守るという人がいますが、体力のある人間、力のある人間しかついていけない。障害者や子供、高齢者ら社会的に弱い立場にある人にきっとしわよせがくる・・・」
この投書を読むと平和とは抽象的に論じるものではなくとにかく維持していかなければならないものである事に気付く。私が中東にいて「すべての生活はまず平和が実現されてからはじまる」と実感したのも同じ思いからである。
人は皆自分は強いもの、自分だけは大丈夫と戦争を他人事のように考えがちであるが、この投書をした戦争を知らない若い女性の視点こそ平和の原点であると思う。やたらに安全保障論や戦略論を弄んで「いまだかつて平和のない時代があっただろうか」とか「抑止力なくしてどうして平和が保障されるのか」と主張する人達はイラクやパレスチナの惨状をその目で確かめてくればよい。あるアルグレイブやグアンタナモの捕虜収容所の非人間的仕打ちを見てくればよい。
もっとも戦争を金儲けの対象と考えて恥じない人が米国や世界に多くいるというから、そういう人達と平和の重要性を語ること自体がナンセンスなのかもしれない。そういえば14日の新聞でこの国の大企業代表の集まりにおいて武器輸出三原則の見直しに反対する人は誰もいなかったという。
確実に日本は変わりつつある。それとも日本人の意識はもともとその程度のものであったのかもしれない。
天木直人
(c)Naoto-AMAKI 2004