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低投票率とは 投稿者:しまったk 投稿日: 7月 7日(水)00時23分14秒
アメリカの中間選挙は投票率が30%だという。リベラリズムの標本ともいえるアメリカが、民主主義最大のイベントで国民の大半が、その権利を放棄している。これは、アメリカ国民が、いまの社会システムの中に希望を失っている一面ではないか。
アメリカは、いうまでも無く、競争と自己責任の世界である。その結果が、世界で最大の貧富の格差が生じでいる。ジニ係数が客観的にこれを証明しているが、竹中大臣は、レーガノミックスという経済パターンを模倣して、日本にも、同じような世の中を作ろうとしている。
貧富差が大きい多民族国家アメリカには、マイノリティを中心に、負け組みが多数いる。あるいは生まれたときから負け組みの世界で、そこから抜け出せないでいる者が沢山いるということである。これは、競争や自己責任が、いつも、すべて公正・公平なシステムで機能させることが不可能だということの証ではないか。
そして、反動的に社会にマイナーなアクションとなる犯罪や、反道徳的な行為が、どんどん拡大・エスカレートする。それでもアメリカには、キリスト教という国民共通の倫理感があるから、まだ社会的暴走の限界レベルは高いのだろう。
しかし、富を偏有するための社会不安を感じる富裕層は、とうとうフェンスで囲った自分達だけの中世の城のような地域を作り、域外者を排除して、その中で、セキュリティ、アメニティを確保しようとしているという。そんな地域がロス郊外かに出来たとメディアで見たことがある。
いま、アメリカへ旅行したら空港での厳しい検問だけでなく、至るところ警察・警備の目が光っている。これはテロだけではなく、その他の社会不安も、加速して増幅しているということであろう。まるで警察国家である。
たとえば日本では、駐停車禁止の場所に平気で車を放置している者がいるが、いまのアメリカでは即レッカーかブルドーザで排除されるだろう。
自由の国アメリカで、自由を守るために、どんどん規制と監視・強制が増加しているという皮肉なジレンマである。
これが節度を考えないで、あらゆる局面で競争と自己責任だけを、強者が自分の都合で強調してきた結果の社会ではないか。そして弱者は諦観から、選挙という民主主義の基本をも放棄している。そんな社会に奥田院政を背景に小泉・竹中ラインは仕上げようとしている。