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かわもと文庫ネット小説「雨の村」が更新されました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/index.htm (HP)
「雨の村 第5章 村立中学校」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/mura05.html
より:
(前略)
「ここに男がいないからいいが」と無文老人が平気な顔で言った。「静御前の……いや、静の言うとおりじゃ。村長や議員は村民の選挙で選出された。その村長や議会が決めたことだ、それをいまからどうのこうのというのは代議員制がどうの、議会民主主義を否定すものだとかいうが、そもそも村議会が村民の意向を反映した行動をしなければ、代議員制そのものが機能していないということになって、むしろ村民の意向をどう反映させるかが問題になってくる」
「今日は鷹鳴湿原の集りだからあまりこういう話はしないほうがいいのかもしれないけど、こんなふうに産廃問題が村民の知らないところでおかしな形で進んでしまったのだって、そもそも村民に自覚がなかったからなのよ」と山野井静はつづけた。「選挙には決まった顔ぶれが地区代表で立候補して、ほとんど無投票で村長も村会議員も決まってしまっていた。あの人たちは選ばれた意識なんかなくて、村長や村会議員であることを既得権みたいに考えている。それもこれも、みんなが波風を立てたくない、既得権をもった人たちに楯突きたくないってことなかれ主義にとらわれてきた結果が生んだのよ。これまでは選挙になると、みんなの関心はどの地区から誰が立候補して、無投票になるかどうかばかりに関心がいっていたし、選挙が終われば、村のことは村長や村議会にすべてお任せで何が起きようとも関心がなかった。それがもっともいけなかったのよ」
山野井静は、村の半分は女なのだから、つぎの選挙では女を数人立候補させて、全員当選させて村を変えていく、と威勢のいい声で言った。
「産廃施設の反対運動だって、女が動き始めてから活発になったでしょ。議会だって女が参加すれば裏で村長がなにかやってもきちんとチェックができるし、みんなにもすぐ報告ができる」
(中略)
「おっと、失言」と老人は悪びれたふうもなくコップの麦茶を一口飲んでから、「静の言うとおりなんだ。村議会があって、選挙があるから、民主主義だというが、それは形としての民主主義でしかない。形としての民主主義があるから民主主義が保証されているわけではなく、ほんとうの民主主義とはやはり村のみんなの日常の振舞いの中にあるんだな」
「そうなのよ」と山野井静が同調する。「無風選挙なんてまさにそうじゃない」
「力のあるものが上に立って村をよくしようとするのは民主主義ではない。それは民主主義の衣をかぶった温情主義だ」
「よくしようとしているんじゃなくて、悪くしようとしてるんだわ」
「うん、まあ実情はそういうことだが……この村とはいわず、日本には昔からの温情主義がまだ残っていて、その上に政治の形式としての民主主義が乗っている。お上がまつりごとをするという、家父長的民主主義だ。温情主義というのは、地位とか身分とかの序列がある、言ってみれば支配するものとされるものとの関係なんだな。序列がしきたりになっていれば上のものには都合がいい。下の弱いものは、そうするものだと思わされて上のもののいうことに従順に従う。しかも厄介なことに、上のものにあるのは悪意ではなくて善意なんだ。上のもののいたわりが、実は支配なんだということがなかなかわからない」
「そうかしら。産廃施設をこの村に作ることが善意だとは思えないな」と山野井静が今度は異議を唱えた。
「いや、彼らの意識の中では村をよくしようとしているんだよ」と無文老人は諭すように言う。「だがな、静が言うように、産廃施設の問題で温情主義的な民主主義の正体が村のみんなにも一気に見えてきた。力のあるものの温情ある支配が村のみんなに素直に受け止められるためには、村の中に一体感がなければならない。みんなが身内同士で、村という運命共同体に属し、考え方も一緒、村の取り決めには我を張って異議を唱えない。そういう風土が必要なんだ。とやかく言わないでも、お互い心は通じているという精神だな。村長たちにすれば、そういう精神を強めるためにこれまでやっていたしきたりをつづけたい。みんなが好き勝手なことを言い張れば、序列が乱れてしきたりが壊れる」
(以下略)