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(回答先: 佐世保の小6女児同級生殺害、鑑定要旨を遺族が閲覧(長崎新聞)【一年前の長崎少年の事件とは報道の質が変化】 投稿者 闇の行者 日時 2004 年 9 月 15 日 21:49:53)
佐世保小6事件 最終審判決定 要旨(朝日新聞)
http://www.asahi.com/special/sasebo/TKY200409160136.html
長崎県佐世保市の小6女児殺害事件で、長崎家裁佐世保支部が15日に出した最終審判の決定要旨は次の通り。
第1 触法事実
女児は、被害者が交換ノートやホームページ上に記載した内容を見ているうちに、自分のことを馬鹿にし、批判していると感じて怒りを募らせ、殺害しようと決意した。
04年6月1日午後0時20分ごろ、同小学校3階学習ルーム内で、右手に持ったカッターナイフで被害者の頸部(けいぶ)などを切りつけ、失血により死亡させて殺害した。
第2 処遇の理由
1 女児の人格特性
(1)女児の認知・情報処理の特性
自分の中にあるあいまいなものを分析し統合して言語化するという一連の作業が苦手だが、障害と診断される程度には至らない。
(2)女児の情緒的特性
幼少期より泣くことが少なく、おんぶや抱っこをせがんで甘えることもなく、一人でおもちゃで遊んだり、テレビを見たりして過ごすことが多いなど、自発的な欲求の表現に乏しく、対人行動は受動的だった。
自分の欲求や感情を受けとめてくれる他者がいるという基本的な安心感が希薄で、他者に対する愛着を形成し難かった。 愉快な感情は認知し、表現できるが、怒り、寂しさ、悲しさといった不快感情は未分化で、適切に処理されないまま抑圧されていた。
(3)女児の対人関係・コミュニケーションにおける特性
このような特性から、主観的・情緒的なことを具体的に表現することが苦手である。また、言葉や文章の一部にとらわれやすく、文章の文脈やある作品が持つメッセージ性などを読みとることができない。
その上、例えば相手の個々の言動から相手の人物像を把握するなど、断片的な出来事から統合されたイメージを形成することが困難であるため、他者の視点に立って、その感情や考えを想像し、共感する力や、他者との間に親密な関係をつくる力が育っていない。
また、聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい特性により、聴覚的な情報が中心となる会話によるコミュニケーションでは、文脈理解などの不器用さが際立ち、相手の意図を理解して返答したり、自分の気持ちをうまく表現したりできなかった。
このような女児の不器用さは周囲に気づかれておらず、家庭でも学校でも女児の表現できない思いが酌み取られることはなかった。
(4)怒りの自覚とその対処方法の二極化
女児は、情緒的な分化が進んでおらず、愉快な感情以外の感情表現には乏しかった。そのため、周囲から、おとなしいが明るい子として評されていた。
4年生の終わりころから、不快感情のうち、怒りを認知できるようになったが、複雑な対人関係に起因する怨恨(えんこん)のような発展的な怒りを認知できるほどは発達していない。
怒りを認知しても、感情認知自体の未熟や社会的スキルの低さのために怒りを適切に処理できず、怒りを抑圧・回避するか、相手を攻撃して怒りを発散するかという両極端な対処行動しか持ち得なかった。そのために、徐々に同級生らから「怒ると怖い子」として評されるようになった。
怒りを回避するときに空想に逃避する傾向や、強い怒りを急激に感じたときの行動を問われても記憶を想起できない場合があることなどからすると、時には短時間、処理できない強い怒りの反応として生じる解離状態となって攻撃衝動の抑制も困難となると推測される。
(5)精神病性の障害などの有無
以上の特性などはいずれも重篤ではなく、何らかの障害と診断される程度には至らない。
また、これら特性は、人生のある時期から生じた何らかの狭義の精神病性の認知や情動の変化とは考え難い。従って、統合失調症をはじめとする精神病性の障害の存在は否定される。
2 処遇の決定
(1)女児は認知面・情緒面に偏りがあり、不快感情、特に怒りについては回避するか、相手を攻撃するかという両極端な対処行動しか持たない人格特性を有し、傾倒していたホラー小説などの影響で攻撃的な自我を肥大化させていた。会話でのコミュニケーションが不器用な女児にとって、交換ノートやインターネットが唯一安心して自己を表現し、存在感を確認できる「居場所」になっていた。
被害者は、女児が強いこだわりから注意してくることに息苦しさや反発を覚え、反論を交換ノートに記載し、ホームページに、名指しを避けながらも女児への否定的な感情を表現したとみられる文章を掲載した。
女児はこれを「居場所」への侵入ととらえて怒りを覚えて攻撃性を高め、被害者に対する確定的殺意を抱くに至り、計画的に殺害行為に及んだ。
(2)被害者の言動は、他人に殺意を抱かせるようなものでは決してなく、被害者に特段の落ち度はない。かけがえのない被害者の生命が奪われた結果はまことに重大かつ悲惨だ。
(3)女児は観護措置などによる身柄拘束を受ける中で、裁判官らから、本件触法行為を中心に多数回の問いかけをされ、自らの行為を振り返り、内省する時間と機会を十分持った。その中で女児なりに努力する様子を見せたが、現在も被害者の命を奪ったことの重大性や、その家族の悲しみを実感できないでいる。
女児が贖罪(しょくざい)の意識を持ちがたい背景には、殺害行為に着手した直後に解離状態に陥ったことで、自分の行為に現実感がなく、実行行為の大半の記憶が欠損していること、処理しかねる強い情動には目を向けないようにして抑圧する対処が習慣化していることなども指摘されよう。
今後、健全な人格を形成し、本件触法行為の重大性を認識し、贖罪意識を持つには、資質上の問題点を解決するほかない。そのためには、まず情緒的な受容体験に基づく基本的信頼関係を獲得させ、その後に感情や情動の認知と処理方法、自己の意思を伝える方法などの社会的スキルを習得させる必要がある。
(4)一方、両親は、女児の身の回りの世話など通常の養育のほか、教育面にも関心を持って接してきたと認められるが、情緒的な働きかけは十分でなく、おとなしく手のかからない子として問題性を見過ごしてきた。
女児が2歳になる直前ごろ、父親が長期間入院し、父親の関心は闘病生活と就職に、母親の関心は夫の病状や就労に向かわざるを得なかったという不幸な出来事があった。とはいえ、両親の女児への目配りは十分でなく、両親の監護養育態度は女児の資質上の問題性に影響を与えている。
両親は、女児の資質上の問題性や自己らの養育態度に不十分な点があったことなどに理解を深め、改めようと変化しつつあるが、直ちに改善されるとは考えられない。
(5)以上から女児の家庭には、女児の資質上の問題を解消できるだけの機能が備わっておらず、事案の重大性にかんがみても、社会内処遇では不可能だ。女児は14歳未満で、児童自立支援施設に収容するほかない。
ただし、現段階では、社会的スキルが不十分な女児に集団的処遇を実施すれば、対人関係の行き違いから、他の児童に危害を加える可能性を否定できない。
また、人に共感したり、親密な人間関係を築いたりするのに必要な基本的信頼関係を体得させ、社会的スキルを習得させるには、まず、情緒的な応答性の高い、受容的な母親的存在との二者関係から再体験させる必要があり、個別処遇が求められる。
加えて、本件触法行為に現実感を持っておらず、情緒的な葛藤(かっとう)はないと思われるが、今後の処遇で共感性などを獲得すれば、本件触法行為の意味を次第に理解するようになり、情緒的な混乱を起こし、自傷行為に及ぶ可能性もある。
以上の通り、女児には個別処遇が望まれ、現段階では女児の行動変化を予測できず、他害・自傷の可能性があることも考えあわせると、強制的措置が必要だ。
女児の抱えている困難は根深く、感情はまだまだ未分化で、内面的には極めて幼い状態であり、基本的信頼感を獲得するにも相当時間を要すると思われること、女児が不快と感じた状況下で逃避的な空想を展開する傾向は長い期間を経て固定され、今後の処遇の妨げになりうることなどから、個別処遇期間は相当長期にわたると考えられる。
一方、女児は前思春期にあり、心身の変化に富む時期であるため、今後の成長により処遇が順調に進むことも期待できる。
これらの諸事情を勘案すると、さしあたって2年間の強制的措置を許可することが相当である。
(09/16 10:54)
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学校の関連する責任には全く触れず、精神鑑定をことさら強調して障害者を匂わしながら、障害者では無いと言い切る。この国の裁判所の決定はいったい何なのだろうか。何にでも障害者のせいにして、本来責任を撮るべき人々を放置する限りは、同じ事件が今後も多発することは防げない。