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(回答先: 大阪・池田小事件の宅間死刑囚に死刑執行 確定後約1年 (朝日新聞) 投稿者 月読 日時 2004 年 9 月 14 日 18:47:59)
宅間死刑囚、刑を執行 付属池田小事件から3年 法務省 産経新聞 2004年9月14日
法務省は十四日、死刑囚二人の刑を執行したと発表した。関係者によると、死刑が執行されたのは大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)の児童殺傷事件で殺人などの罪に問われ、大阪地裁で死刑判決を受けて確定した宅間守死刑囚(四〇)と、九州で三人の暴力団員を殺害したとして殺人などの罪に問われ、死刑が確定していた元暴力団組長、島崎末男死刑囚(五九)。死刑執行は昨年九月十二日に大阪拘置所で執行されて以来、約一年ぶり。野沢太三法相の在任中の死刑執行は初めて。
宅間死刑囚については昨年八月、大阪地裁が「刑事責任はこのうえなく重大で、死刑以外には有り得ない」などとして死刑を言い渡した。弁護団が控訴したが、翌九月に宅間死刑囚本人が控訴を取り下げ、死刑判決が確定した。
確定直後、宅間死刑囚は「できれば三カ月以内の執行を望む」とする手紙を弁護団を通じて公表。まったく反省のない態度に、遺族側からも強く早期の執行を求めていた。
現在、確定死刑囚は約六十人。刑事訴訟法は、死刑執行は法務大臣の命令によると定め、原則的には判決確定の日から六カ月以内に命令しなければならないとしている。
しかし、再審請求や恩赦の申し立てが考慮されることもあり、実際の執行は確定から数年以降となっていることが多い。
最近のケースでは確定から少なくとも四年を要しており、死刑確定から約一年の短期間での執行は極めて異例。
宅間死刑囚は平成十三年六月八日午前十時すぎ、大教大付属池田小に侵入。包丁を持って教室に入り、児童八人を殺害、教諭を含む十五人に重軽傷を負わせた。
大阪地裁での初公判で、宅間死刑囚自身は罪を認め、「自らの命をもって償いたい」と述べたが、その後は反省や謝罪の言葉はまったくなく、逆に被害者や社会を中傷するような発言をすることも多かった。
また、島崎死刑囚は昭和六十三年に保険金目的で暴力団員を殺害、さらに口封じのため二人の暴力団員を殺害した。
一審・熊本地裁は平成四年、無期懲役としたが、福岡高裁は七年、一審判決を破棄して死刑を言い渡した。十一年に最高裁が上告を棄却して、死刑判決が確定していた。
http://www.sankei.co.jp/news/evening/15iti001.htm
確定から1年弱 異例の早さ 産経新聞 2004年9月14日
昨年九月二十六日に死刑判決が確定してから一年足らず。近年、確定から死刑執行までの間隔が短くなっているとはいえ、宅間守死刑囚の死刑は異例の早さで執行された。
関係者によると、法相の執行命令は十日に出され、宅間死刑囚を収監する大阪拘置所も準備に追われたといわれる。背景には、宅間死刑囚自身が早期執行を望む手紙をしたためていたことなどがあるとみられる。
関係者によると、昭和五十年代半ばごろまでに判決が確定した死刑囚については、ほぼ十年以上が経過して執行されていたが、昭和六十年ごろからは確定から十年以内での執行の流れが定着。平成十年ごろになると、確定から四年程度での執行もみられるようになったが、一年弱での執行は例がない。
死刑執行は通常、再審請求中などをのぞいて死刑判決の確定順に行われることが多い。だが、今回の場合、宅間死刑囚より以前に確定した死刑囚が十数人いるという。
宅間死刑囚の場合、弁護団の行った控訴を自ら取り下げた▽「三カ月以内の死刑執行を望む」などの手紙を書いていた−などの背景があった。こうした態度も、「異例の早さ」の背景の一つと考えられ、関係者も「凶悪な事件ということに加え、本人が認めているということがあるのでは」と分析している。
それでも、関係者は「凶悪犯だから早く執行しようとなったのかもしれないが、異例の早さで、ありえない話だと思えるほどだ」と、一年足らずでの死刑執行に驚きを隠せない。
http://www.sankei.co.jp/news/evening/15iti002.htm
「謝ってほしかった」 宅間死刑囚 刑執行
遺族ら悔しさ新た 帰らぬ子供 悲しみは癒えず 産経新聞 2004年9月14日
十四日、明らかになった宅間守死刑囚(四〇)の刑の執行。死刑判決が言い渡されたのは昨年八月末。約一カ月後の刑の確定から、一年足らずという異例の早さだった。突然の連絡に付属池田小の犠牲者の遺族は絶句し、謝罪のないままの執行に悔しさを新たにした。「刑が執行されるまで、事件は終わらない」としてきた遺族の悲しみと怒り。刑は執行されても、遺族ら関係者の心が安らぐことはなかった。
この日、刑の執行を伝えられたある遺族は「えっ、本当ですか」と一瞬、絶句した。「(刑確定から)ちょうど一年ぐらいですか。長かったかな」。遺族はしみじみとつぶやき、こう続けた。
「八人もの子供を殺しておいて、なぜいつまでも生かされるのか、という気持ちもありました。昨年(の刑確定)から自分に『もう決まったんだ』と言い聞かせてきた。あれだけの罪を犯して判決を受けたのだから、執行は当然です」
別の遺族は「執行までに、子供たちへの謝罪はあったのかが、気になります。執行されても子供が帰ってくるわけじゃない。でも、元気に跳びはねていた命を理不尽に奪われた子供たちには謝ってほしい」と声を震わせた。
昨年の冬、池田小では、子供たちの間で宅間死刑囚の刑が執行されたといううわさが流れたという。
凶行を目の当たりにした少年の母親によると、「(宅間死刑囚は)死刑になったんでしょ」。めったに事件のことを語らない息子がそう口にしたという。「まだだと思うけど。きっとそうなるから安心してていいよ」。そう答えるのが精いっぱいだった。
少年は、宅間死刑囚が無言のまま引き戸を開けて一階の教室に侵入し、同級生たちを刺す光景を目の当たりにした。発生直後は「なんかこのへんがいっぱいなの」と自分の胸を指さした。樹液を見て「血が流れている」と言ったこともある。
「いまでも、物音や暗闇には敏感で、『音がする』といって私がバットを持って見にいくとネコだったりすることもあります。事件の影響がこれからどういう形で出るのかわかりません」。当時、二年生だった子供たちも五年生になった。いまも子供たちの心身の傷の回復に心を砕く。
重傷を負わされた児童の親は「一年以内は早いのでしょうが、正直言って過去のお話のような感覚すらあります」と淡々と語り、「反省したのか、生き続けることに未練を残して苦しんで死んだのか、そういう詳しい姿を知りたかったなと思います」と話した。法務省には執行前に知らせてほしいと要望していたが、連絡はなかったという。
同小の大日方(おびなた)重利校長は刑の執行について「亡くなった八人の児童たちのご家族の皆さま、負傷したり、心に傷を負っている児童たちとそのご家族の皆さまのお気持ちの回復に少しでも助けになることを願わずにはいられません」とコメントした。
≪「子供には伝えない」付属池田小≫
宅間守死刑囚の死刑執行を受けて、事件現場となった大教大付属池田小学校(大阪府池田市)には十四日、大勢の報道陣が詰めかけた。死刑執行を報道で知った一部の保護者も車で学校に駆けつけるなど、一時騒然とした空気に包まれた。
運動場に出て、近く開かれる運動会で披露する踊りなどを練習していた児童らは、報道機関のヘリコプターが上空を旋回すると、練習を中断するなど困惑した様子。
大日方重利・校長のコメントを持って正門前に現れた津田一司・副校長は「今日の件は子供に伝えていないし、予定もありません。執行については報道陣が詰めかけたことで知った」とだけ話し、足早に校内に戻った。
≪池田小児童殺傷事件以降の流れ≫
平成13年
6月 8日 事件発生。宅間死刑囚を殺人未遂の現行犯で逮捕
29日 殺人、殺人未遂容疑で再逮捕
7月 8日 鑑定留置で大阪拘置所に移送
8月15日 仮校舎が完成
27日 池田小が授業再開
9月14日 大阪地検が殺人、殺人未遂罪などで起訴
12月27日 【初公判】宅間死刑囚が起訴事実を認め、「命をもって償いたい」と述べる。弁護側は責任能力争う姿勢
14年
1月 7日 【第2回】弁護団が「君自身が語りつくす責任がある」と異例の冒頭陳述
2月 3日 現場校舎を外観を変えて残す方針決定
28日 池田小児童が追悼行事。犠牲児童8人をしのぶ
6月 7日 遺族が事件後初めて会見。安全な学校づくりを訴え、損害賠償を国に求める意向も表明
10月10、24日 【第16、17回】死亡した4人の児童の父母の証人尋問。弁護側の申請で地裁による精神鑑定開始(再鑑定)
12月19日 文科省が「学校への不審者侵入時の危機管理マニュアル」を作成
15年
1月 9日 校舎の改修工事開始
30日 刑事責任能力を認める再鑑定の結果が地裁に提出される
5月22日 【第23回】検察が死刑求刑
6月 6日 池田小の山根祥雄校長ら教職員24人を懲戒など処分
8日 国と遺族が、謝罪と賠償、再発防止策を記した合意書を締結。池田小が追悼式典
26日 【第24回】弁護側の最終弁論。結審
7月10日 心神喪失者医療観察法が国会で成立
8月28日 死刑判決
9月10日 弁護団が控訴
26日 宅間死刑囚が控訴取り下げ。死刑判決が確定
16年
9月14日 死刑執行
http://www.sankei.co.jp/news/evening/15nat001.htm