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http://www.feer.com/
From the issue cover-dated
September 09, 2004
Exclusive Interview:
Traitor? After 40 Years In North Korea, This U.S. Soldier Speaks OutA - One cold night in 1965, Sgt. Charles Robert Jenkins disappeared from a patrol in South Korea. Forty years later he has resurfaced. In his first interview since leaving North Korea, he tells the Review his story
http://news.www.infoseek.co.jp/world/story.html?q=02yomiuri20040901i115&cat=35
香港誌、ジェンキンスさんとの単独インタビュー掲載 (読売新聞)
【香港支局】香港誌「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」(電子版)は1日、北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさん(45)の夫のジェンキンスさん(64)との単独インタビュー記事を掲載した。
ジェンキンスさんはこの中で今年5月に小泉首相が訪朝した際、北朝鮮当局者から事前に日本へ行かないよう圧力をかけられていたため、首相の訪日の誘いを断ったと述べた。また、訴追を覚悟で訪日したのは、娘2人を曽我さんと再会させ、自らの良心に従うためだったと説明した。
◆首相の誘い「応じれば人生終わっていた」◆
インタビューはジェンキンスさんの入院先の東京女子医大病院で行われた。7月の訪日後、メディアの取材に応じたのは初めて。
それによると、ジェンキンスさんは北朝鮮亡命翌年の1966年、平壌のソ連大使館に亡命を申請したが、却下されたという。
ジェンキンスさんはインタビューで、小泉首相が、ジェンキンスさんと娘2人の北朝鮮出国を認める金正日総書記の署名入り文書を持って、日本行きを説得したことを明らかにした。
しかし実際には、小泉首相の訪朝前に、外務次官ら当局者4人がやって来て、「北朝鮮を出たら何が起きるか」について話し合い、日本行きを望んでいないことを暗に伝えたという。
また、日本行きを断った理由の1つとして、小泉首相と面会した部屋が盗聴されていると知っていたことも挙げた。ジェンキンスさんは当時の心境を振り返り、「(首相の招待に応じていれば)私の人生は終わっていたかもしれない」と声をうわずらせた。
金総書記はジェンキンスさんがとどまったことを非常に喜び、北朝鮮側は曽我さんを北朝鮮に連れ戻すため、ジェンキンスさんが第三国で面会することを認めたという。「北朝鮮当局者は、私が娘2人をインドネシアに連れて行けば、妻は一緒に北朝鮮に戻ると踏んでいた。しかし、彼女はそうしなかったし、私も北朝鮮に戻るつもりはなかった」と、インドネシアに向かった時の心境を語った。
亡命後の生活については、65年から72年まで、ほかの米兵3人と、ベッドも水道もない小さな部屋で共同生活を送ったとし、同僚の大男の米兵によく殴られていたと述懐した。
◆曽我さんとの結婚、出会いから38日◆
80年に曽我ひとみさんと出会い、英語を教えることになった経緯についてはこう推察する。「朝鮮人の子供をスパイにするため、日本語や日本の習慣を教えられる教師を求めていたのだろうが、彼女は看護師だった。政府は処遇に困り、私と一緒になればよいと思ったのではないか」
ジェンキンスさんはそれまで、北朝鮮にだれかが拉致されたという話は聞いたことがなく、曽我さんからうち明けられたときには「信じられなかった」と述べた。2人は北朝鮮体制への嫌悪で共感し、急速に接近。ジェンキンスさんが求婚し、「出会ってから38日後に結婚した」という。
娘の名前の由来については、長女の美花さん(21)は「私の名前がロバートなので、ロベルタとした。妻がセカンドネームを付けようといい、美花とした」、二女のブリンダさん(19)については、自分の姉妹から取ったとした。
[ 2004年9月2日1時59分 ]