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(回答先: はてなからクレームがきた(町山智浩アメリカ日記) 投稿者 スタン反戦 日時 2004 年 11 月 06 日 07:35:44)
http://d.hatena.ne.jp/kitano/20041108
町山ダイアリー画像削除問題/エログの閉鎖/アメリカ大統領選挙■ 町山ダイアリー画像削除問題:株式会社はてなに対する公開質問
町山ダイアリー画像削除問題について、はてなスタッフの規約運用と、画像掲載・論評の自由について考えるため、私がはてなに対して送った「問い合わせ」を公開します。
北野桂
はてな会員(市民権あり)のid:kitanoです。
id:TomoMachi:20041106 で紹介されている、はてなスタッフ田中氏がid:TomoMachi:20041030 に対し“利用規約(6)禁止事項の第1項”を適用した規約の運用について、問い合わせをします。
id:TomoMachi:20041106 で紹介されている、はてなスタッフ田中氏の規約運用は事実でしょうか?
仮にそのような運用が事実だとすれば、当該掲載写真によってのみ可能な公正な論評を不当に妨げており、当該運用によって保護される益よりも公正な論評の喪失によって失われる益の方が大きく、言論を過剰に制限することになるという意味において、疑問を感じます。
株式会社はてなは、“利用規約(6)禁止事項の第1項”の運用につき、今後も同様な判断を続けるおつもりでしょうか?
株式会社はてなの“利用規約(6)禁止事項の第1項”の運用をイラクの人たちが知ったら、イラクの人たちは株式会社はてなをどう評価するでしょうか? イラク国民からありがとうと感謝されるでしょうか? それともアメリカの侵略の事実を隠蔽する会社だと憎悪が生れるでしょうか? そのような想像力は株式会社はてなに今後も期待できず、事実に対する論評の自由は事実上制限されると理解してもよろしいでしょうか?
当方としては、id:TomoMachi:20041106 で紹介されているid:TomoMachi氏からはてなスタッフ田中氏に対する返信の見解に同感であり、はてなスタッフの利用規約(6)禁止事項の第1項のはてなスタッフ田中氏の運用に関し、公正な論評の不当に妨げているのではないかとの疑問について、株式会社はてなから釈明があれば伺いたいと思います。
尚、この問い合わせとその回答は、ダイアリーなどで一般に公開されることを申し添えます。
同じ疑問を持った方は、よろしければ同様な問い合わせをはてなダイアリーに送っていただければ幸いです。(上記質問の著作権は放棄しますので、適当に編集して使っていただいてかまいません)
■株式会社はてな
はてな質問箱 問い合わせフォーム
http://www.hatena.ne.jp/faq/q?c=9
はてな利用規約(2004年4月12日最終改定)
http://www.hatena.ne.jp/help/rules
(6)禁止事項
本サービスにおいて、ユーザー各位が行ってはいけない禁止行為は次の通りです。
本規約ならびに法令、公序良俗に反すること、他人が持つ特許権、実用新案権、意匠権、商標権、著作権などの知的財産権やその他の権利を侵害すること、他人の名誉を毀損すること、他人のプライバシーを侵害すること、民族・人種差別に繋がること、犯罪を引き起こすおそれのあること、他人に精神的、経済的損害を与えること。
はてな情報削除ガイドライン
わたしの感情は死体写真に嫌悪感を感じています。
しかし私の理性は削除すべきだとは判断しません。
なぜか。
嫌悪感の根源は死体というオブジェそのものではなく、罪無き人が他者に生命を奪われたこと、そして生命を奪った側に自分が立たされていることに由来しいると私の理性が私の感情に訴えているからです。
感情的な善意が、常に善なる行為を為すとは限りません。いや、むしろ善意だからこそ悪なる行為を自分でやめることができない。「テロとの戦争」はまさにそのようなものではありませんか。
私の死体写真の嫌悪感の根源は、そのような死体を作った人間の悪意がそこにあるということに由来する嫌悪感、あるいは自分の理解できない他者の悪意によって自分もそうなったとしたらたまらないという恐怖感です。
たとえば、私は先日、病院で知人の死の瞬間を看取りました。そして知人の死体を見ました。病気と何箇月も病気と戦って苦しみぬいて命尽きた知人のの死体には、敬意は感じこそすれ、嫌悪は感じません。死ぬほど苦しかったのによくもあれだけ生きることを全うできたものだと尊敬し、誉めてやりたいぐらいです。自然死の死体からは、悪意に由来する嫌悪感は生れません。
私は、削除された画像で表現されていた、あのような死体を作った悪意を決して許しはしません。だから、たとえ死体写真が削除されても、少なくとも私の心の中で写真を削除したりはしませんし、削除したくてもできません。
加害事実を忘れることが加害者にとって罪であるように、加害者になんらかの形で「支援」してしまっている国民が加害事実を削除することもまた、罪であると思います。
誰か、死体画像を削除できますか、私の心のまで?
できるものならやってごらんなさい。
削除すべきだと言った人たちは永遠に負けつづけることでしょう。
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私の個人意見ですが、町山さんは自分で削除しないで株式会社はてなに削除させて踏み絵を踏ませるという選択肢もあったと思うナァ。
個人の判断なので批判めいたことは言いませんが、もし私が同じ立場だったらはてなに削除させた方が議論しやすいし、自分の立場も説明しやすいのではないかと考えると思います。ケースバイケースで、削除した方がメリットが大きい場合もあるとは思いますが。
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■ エログの閉鎖続出
どういう事情かはまだ分析できていませんが、このところインターネット関連事業者の、ネット検閲の潮流が生み出されつつあるのではないかと思える現象が、最近になって続けて起きている気がします。
たとえば、ライブドアのプログ、特に“エログ”の閉鎖は、確認されているだけで二桁に登ります。
こうした個々の動きは、別な大局状況がなんらかの形で作用しているのではないかという直感が私にはあります。
■アダルトブログ☆エログ
2004年10月18日
Tバック企画!ライブドアのエログどうなる!?
http://blog.livedoor.jp/erog/archives/8201759.html
現在素人さんのエログがどんどん削除されています!
業者さんのエログは消えてないのが多いのに何で??
ここで紹介したエログガールも削除されてる人が続出!
いきなり削除はひどくないか?
ライブドアのブログを支えてきたのはアダルト部門だと焼豚は確信してます。
それなのに盛り上げたらポイッ (/ ̄(エ) ̄)/ ⌒ ○┼<
ひどい話です。しかも理由は球団作りたいだけでかよ!
焼豚は野球には全く興味ないのでよけいにむかつきます。
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■ アメリカ大統領選挙:戦争の終らせ方
以前から注目していた田中良太四街道市議が発行しているメールマガジン「地域からの発信」に、アメリカ大統領選挙の結果についての論評が載っています。
■田中良太四街道市議
「地域からの発信」
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000024557
第24号(11月5日)戦争を止めることの難しさ
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200411072210000000024557000
http://www.simin-ykd.com/has23.htm
問題はメディアの姿勢にあるのかもしれない。今回大統領選では、多くのメディアが投票直前の段階で「ケリー勝利」を予測した。その予測は見事に外れたわけだが、問題はその予測の「質」にあるのではなかろうか。
ベトナム戦争のときのように、「米国の汚い戦争」を批判する論調を展開することはできない。そのかわりに、「ケリー勝利」という希望的観測を流した……。
これは単なる推測にとどまるのだが、実態はそのとおりであったような気がしてならない。
・・・・
ほんらい米国のメディアは、ブッシュを「汚い戦争」の最高指揮官だと告発すべきだったのである。戦争目的が遠いアジアの赤化防止ではなく、どこにでも起こりうるテロ防止とされたこともあるだろう。またベトナム反戦運動による国内の亀裂によって、米国全体が沈滞の時代を迎えてしまったことも影響しているだろう。
いずれにせよ、米メディアの世界で、発言力の強い人たちは、ブッシュの汚い戦争に真っ向から対決しようという勇気を持てなかった。そしてケリー勝利という希望的観測によって、自己満足することにとどまった。その結果、米国政治の主役である「世論」は、ベトナム戦争の時のダイナミズムを失ってしまったのである。
戦争を終わらせるのは、本当に難しい。とくに米国のような、負けた経験の少ない国にとっては、「敗戦」を率直に認めることは至難の業と言える。
同じことは日本についても言える。
・・・・・
東京大空襲の人的・物的被害は米軍の予想を上回るものであっただろうが、その政治的効果はほとんど皆無に近かった。4月1日米軍が沖縄本島に上陸し、ようやく小磯首相が退陣した。鈴木貫太郎(海軍大将)内閣が同月7日成立したのだが、5月7日のドイツ無条件降伏でも何も動かず、6月8日には天皇臨席の最高戦争指導会議で「本土決戦」方針を決めた。
6月23日には沖縄守備軍が全滅。沖縄地上戦の戦死者は軍人、民間人併せて19万人とされている。6月下旬以降は、マリアナ基地、硫黄島、沖縄などからの米軍爆撃機がひっきりなしに飛来し、地方中小都市や鉄道網を襲った。それでも当時の政府は「終戦」を決断できなかったのである。
そして8月、広島、長崎の被爆である。じつはポツダム宣言の受諾に踏み切らせたのは広島、長崎の惨劇ではない。8月8日のソ連の宣戦布告だったのである。翌9日の御前会議で「国体護持」を条件にポツダム宣言を受諾することが決まった。
原爆がいくつ落ちても「国民の犠牲」であるだけである。それは東京大空襲でも、沖縄地上戦でも無視してきたものであり、いくら数が増えても敗戦の決断に結びつくものではなかった。ソ連の参戦によって「赤化の恐怖」が現実のものとなった。「国体護持」など言い出せない状況になりそうだ。だから敗戦を決断したというのが「終戦史」の通説である。
アメリカと並んで、日本もまた「戦争を止められない病弊」を持っている国だといえよう。その病弊を、戦後の日本が自己批判したとは言えない。日本の「平和運動」は、東京大空襲やヒロシマ・ナガサキの被爆を、米軍の非人道的行為と非難するところから出発している。
東京大空襲をきっかけに、早期終戦に持っていったならば、沖縄地上戦も二度の被爆もなかった。「当時の日本の支配者をこそ糾弾しなければならない」というのが私の持論である。しかしこの主張は、日本人の同意を得ることが難しい。
「正しすぎる正義」は危険です。
なぜなら、戦争は常に正義と正義の戦いであり、「正しすぎる正義」は戦争を終わらせることができないからです。
オサマビンラーディンの歪んだイスラム原理主義がイスラム社会にとって正し過ぎて危険であるように、「テロとの戦争」を戦う“安心安全原理主義”もまた正し過ぎて危険です。
大日本帝国の場合、政治を担う当時の権力者にとって「国体護持」は正しすぎる正義でした。連合国の場合は「悪の枢軸」「リメンバーハールハーバー」、イラクの場合はサダム独裁を前提にした「主権と独立」、ベトナム戦争の場合は「自国民保護と赤化阻止」、そして今のアメリカと日本は“安心安全原理主義”とも言える「テロとの戦争」。
なにかを絶対化し、その絶対の実現の手段として政治権力を用いること。宗教的絶対を政治権力と結びつけること。それが「やめられない正義の戦争」の根源でしょう。
1941年6月8日にヒロヒト天皇自ら本土決戦を決断し、その後もソ連参戦まで敗北を認めなかった結果としてヒロシマ・ナガサキの核攻撃の犠牲者を出したとの田中良太氏認識には同感です。昭和天皇には開戦責任と同時に、犠牲者を出さないうちに戦争を終らせられなかったという意味での戦争責任がある。
戦争を終わらせるためには「正しすぎる正義」を政治権力から分離し、「正しすぎる正義」は人々の信仰の中で決着させ、行政権力や軍事権力は「国益の調整」に徹すること。
そのような権力システムを法秩序として作ること。それが戦争を終らせる英知ではないかと。