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『老いてこそ電脳暮らし』水上勉 光文社 智慧の森文庫
音声入力のはなし
左眼がとつぜん見えなくなって、片目でも本の字が読めなくなったので、眼
底出血と網膜剥離の手術をしてもらった。右眼も白内障がひどかったので、昨
年に都合三度の手術をして、二つしかない眼のことなので、ようやく物が見え
るようにしてもらえたのは嬉しかった。全盲になる日のことも慮って、最
近宣伝チラシで見た、しゃべると文字になるI社の音声入力コンピューターを
買って練習に入った。
この種の道具の過剰包装紙箱に入ってくるマニュアル本が手びきである。十冊近く
ある。ユーザースファレンス、ステップ・アップ.ガイド、セットラップ・ガイド
はじめようビアボイス98、そのほかにまだまだ、道具を買ってから、ひと月近く
かかっても読み切れない。これらの本は活字が小さい上に横組みなので、拡大鏡や
手術後、医師の処方通りあつらえた眼鏡も字の大小によって変えるので、机は補強
機具の山である。
音声入力の道具だから、メーカーもワープロ機構の説明からするのでガイド
の数もふえるのだろう・ぼくの場合は、心筋梗塞なったとき七十の手習い
ではじめたコンピュータだったので、いま七十九歳でようよう自分の道具に
届いだ思えるマッキントッシュに独学で馴染んできたから、あらゆる操作が
はじめてに近い。
それぞれのマニュアルは役に立つので、読み終えるのに日もかかった.東京
から道具を買ってくれた人の世話で、音声入力の道具のよくわかる人がきてく
れた。その人も、交換手のようなマイクの冠をかぶって、画面に出る文句を
「あいうえお」だの「いろはにほへと」だの、かなり高音で道具に向って叫ん
でいた。叫ぶ、というのがあたっていて、とても日常の読書の声とも思われな
い。それをわきで見ていて、道具に私の声紋を記憶させるためには、およそ三
百回ほど私もしゃべってみて、そのしゃべったことが文字になって出てくるの
につきあわねばならないのである。
九歳で禅寺の小僧に出た私はこの世で、はじめて般若心経の暗調を命じられ、
師匠の口からこぼれてくる「はんにゃ」を口まねでおぼえたときのことを思い
だした。当時の小学校は二年生からひらがなだった。一年はカタカナである。
九歳で何ほども漢字は習っていなかった。だが、ルビを読めばいいのだった。
一般の般と若狭の若を「はんにゃ」と読むのだとわかる。心経は、一週間ほど
でおぼえたからルビで読んだのだろう。師匠のこぼすのは漢字の「般」にして
も、「はん」と耳できいて暗記した。
その九歳のときのことに似ていないか。コンピューターやワープロは、ひら
がなを打ちこめば、同音異義語までならぶ。書けぬ字も多いのである。「これ
は便利なものだなァ」。正直なところ、心筋梗塞後、筆圧もあって、心不全に
脅えながら漢字を書くより、キーボードを押せば出てくる道具に寄りそってみ
る意欲がわいた。ところがこんどの道具はそのようなわけにはまいらぬ。
ここでいっておく。どうしてメーカーは障害者の立場に立って互換性のある
道具を売り出してくれないのだろう。音声が活字になるときけば、よだれの出
る道具だし、しゃべれば活字になるなんて夢の道具といっていい。マニュアル
本のどれを見ても、道具のウインドウの小文字を読まぬと、先へすすまない。
字が小さすぎるから、私の場合はほとんど拡大鏡の力を借りている。なるほど
画面で最大にしてくれる場所をクリックすれば字は大きくなるにしても、まだ
前の道具の画面の文字よりも小さい。この小さな字にしか、音声入力の道具は
対応しないのである。不便至極。
障害者に福音だとか、天の恵みだとかおいしい宣伝文句を読んで道具に手を
出してきたが、じつはこんども加藤秀俊氏の文(「電子時代の『民問学』を論
ず」、「本とコンピュータ」6)に感じ入って、その末尾に『音声入力の道具によ
ったもの」との説明に勇気づけられたのである。
加藤氏所有の音声入力の道具は私が格闘しているものとちがっていて当然に
しても、これまでに私の馴染んできた他のメーカーのコンピューターならば、
マニュアル本もまことにスムーズに読めたのに、こんどはしっくりいかない。
いかないけれど小さい字にも辛抱して……と三百遍の声紋入力にも精出し、勉
強をはじめたところである。
世には生まれてから目の見えぬ人も生きてらっしゃるし、八十になってよし
んば片目でも、かすれて見えるのだからありがたいと思って、こんどの道具に
拡大鏡で向っているのである。
片目でかすれていてもインターネットでメールをうけとれ、返信も出す。雑
誌社からメールで校正刷を送ってもらって画面校了もしている。秋葉原で買っ
てもらった拡大鏡は外科手術用の道具なので、はなはだ便利に思う。障害者も
工夫次第で外科用拡大鏡など入手できるのが今日である。これなんぞは七十歳
ではじめたコンピューターのおかげだと思って書いておく。しかし、ノート型
パソコンの場合だとモニターの前に斜めにマニュアル本を置いて読めるかとい
うと、そうはゆかない。道具の画面はじかに、たえずにらんでいなければなら
ぬし、頁をめくるのに不便なのでマニュアルは結局、寝ころんで補強眼鏡をか
けて読むことになる。道具を扱いながらでは、マニュアルの小活字は小さな窓
の画面写真版が多いので拡大鏡一個では無理だ。こんな道具を発案工夫した人
にいっておく。東洋の山ン中の庵で八十になる老男が、目がつぶれぬ先に音声
入力の道具をおぼえて、目の見えぬ人に先んじて人体実験になっておくのであ
る。画面に今日も声を張りあげていると叫びたい。
人はどうか知らぬが、私の道具はマニュアル通りにつなげたためしがない。
コンピューターは、曖昧模糊はゆるさぬ。つながらねばメールもSOHOもへ
ったくれもないはず。混めばつながらないのは電話で習ってきたし、メディア
の人々はひょっとしたら、マニュアル本を読んで、そのとおりにコンピュータ
ーは動くものと思いきめていないか。マニュアルを読むのに、ひと苦労な人も
おるのだと、そんなことを書いて編集子の近況如何にこたえた。