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(回答先: Re: 投稿者 アンチキリスト666 日時 2004 年 11 月 02 日 09:53:58)
アンチキリスト666さん、こんにちは、レスをありがとうございます。
そして、アンチキリスト666さんがキリスト教や聖書にたいし疑念をもったきっかけの一端が判りました。
>事故の相手を見ると、何もせずにただ祈っている様に見えた。ドアが開かずになる程の事故で、路肩に立ち、相手を気遣うでもなく祈る姿を薄気味悪く感じ、また、憎悪の感情もわいた。彼がこの場面で祈る神とは何なんだ?がキリスト教を意識した瞬間だったかもしれない。
キリスト教でも彼はどの宗派に属していたのでしょうか。宗派の違いによって信者ではない人達にたいする処し方に相違があるとは考え難いのですが、問題行動の原因が個別の人間性に帰せられがちな傾向は宗教界に顕著に見聞されます。至極当然なことかも知れなのですが、私が触れたどのキリスト教もそれ以外の在来の新興宗教も、祈りの中には信者ではない人達のことは敵対者でない限り出ては来ません。とりわけキリスト教では最高位者(神)を除けば、残る信者は横一線の関係にあり、それぞれが最高位者とのダイレクトな関係性が強調され、本来他人同士の信者達が互いの繋がりをどの程度はっきりと意識しているかというと大いに疑問です。
>神学は、牧師から判断能力を奪い、信者に対し負の情報を提示しない事を目的にしている様に感じている。
信者に負の情報を与えないばかりか、聖書や凡そ教典と称されるものは殆どが信者にたいする脅しの材料でちりばめられているのではないでしょうか。
宗教の教典の多くは教団関係者が編み出した宗教団体の内部を統率するための規範であり、特に聖書はそれを下支えしている物語(神話)に過ぎぬものと見ています。
ところで、夢想に近いものですが、今や狂信的キリスト教徒に成り果てたと言えるアングロサクソン・アメリカンは彼等が殺戮したネイティヴ・アメリカンやアジアの民によって赦されることなくして、シオニストに乗っ取られたイスラエルのユダヤは彼等が排撃するアラブの民によって済われることなくして、過去・現在・末来に亙って人類の営みが癒される日がおとずれることはないだろうと考えています。
また、会いましょう。