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(回答先: Re: ごきげんいかがですか? 投稿者 アンチキリスト666 日時 2004 年 10 月 21 日 14:03:01)
アンチキリスト666さま、
忙しいんですけど、ごきげんいいんですのよ。
ありがとうございます。
最近頻出しますが、うちの親父がですね、
(刑事コロンボの『うちのかみさん』みたいなもんですね)
曾祖父の代くらいからのクリスチャンなんですけど、教会嫌いでして、
勝手に自分は『内村鑑三の無教会主義を支持するのだ』と申しまして
ずっと夕食前に祈りをするくらいで済ませております。
そういう親父ですからあたくしには洗礼を施すということをしませんでして、
それには感謝いたしております。
あたくしはそのお陰で宗教的には清らかな脳味噌を保っております。
でも、いくら腹が減っているからといって
あらかじめ箸を手に持ち構えて祈りをするのはどうかと・・・。
(あたくしの食いしん坊さ加減は親父の系統であることがわかります。)
以前調べてみたんですけど、この無教会主義というものが
教会組織からあまり攻撃はされてきていないようなのが興味深いです。
『彼ら』にとってあまり実害がなく、
脅威ともなっていないということなのでしょうか。
調べた内容からすると、無教会主義の方々も、
教会でつるむことに精神的に依存していないのは良いとしても、
一語一句聖書に書かれた内容を厳密に解釈することをその主旨としておりますし、
それなりにペダンチックでうるせえ(あ、いけなーい。 笑)
・・・方々でいらっしゃるようですね。
この上方でも宗教談義がゴーイング・オンなようですが、
以前ナグ・ハマディという洞窟から発見されたんでしたか、
死海文書という古文書を題材にした(てか、元は実話だという触れ込みでしたが)
映画を見ました。アメリカ映画でStigmateという・・・。
結局、死海文書には『神はおのおのの中に在る』ということが書かれているらしく、
それが教会の存続の邪魔になるということなのでしょうが、
バチカンはその正当性を認めていないとかいう。
どんな宗教にせよ、それへの盲従ということに関しては、
多分に信者の方々の依存心と帰属願望があるのでは、と思っております。
そういう人々は、自分が帰属するものに
正統性やオーソリティーがあると信じることで救われているかのようです。
(調べもしなくても。笑)
そんなの、ブランド崇拝とどこが違うのよ、でございます。
めったなものを自尊心とはき違えてはいけない。
人間、人種も国籍も性別も容貌も富も学歴もはぎ取ってみた時に
何がその人の本質として残るか、が勝負なはずではないんでしょうか?
あたくしも無知、無学の徒であります。
ご紹介した投稿をなさった方々の
教会組織というものの上層の怪しさに関する調査力に感謝したいと思います。
ではまた、ごきげんよう。