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(回答先: Re: 読売末期症状。恥も外聞もなくお上頼り。日本一の発行部数が泣くぜ。 投稿者 南青山 日時 2004 年 10 月 08 日 04:24:31)
発行部数1000万部の裏事情
「押し紙」というものが存在する。これは新聞社が年間販売目標を半強制的に決め、これを新聞販売店に押し付けることを言う。
実際の販売数を上回る新聞が販売店には押し付けられており、販売店は余分な新聞の代金まで新聞社に払う羽目になるが、「押し紙」を断れば店主はクビになるし、拡張費をつぎ込むよりは、本社から送られてくる部数に応じて支払われる折込広告費を残紙の分までもらった方が採算が取れるため、販売店側は断れないという。
最近は押し紙代が折り込み広告費を上回る例もあり、押し紙を断った販売店が本社販売局から改廃(契約解除―閉店)させられる事態も起きているという。新聞の発行部数は本社から販売店に送られた分を指すが、「押し紙」が存在する以上、現実の購読部数はずっと少ないと見てよい。
このような問題はどの新聞社にも多かれ少なかれ存在するが、発行部数1000万部死守を至上命題とする読売新聞においては特に深刻だと言われる。発行部数1000万部は単に収益をもたらすだけでなく、それを自分の代で達成した渡邉恒雄社長への求心力の源泉になり得るし、さらには各界に影響力を行使するための手段にもなり得ると言える。なお、余った新聞紙は製紙工場へ送られ、再生紙になるようだ。
この問題が表面化したため、近日中に発行部数ではなく実売部数によって量る制度に変更される事になっている。
「社会部王国」とその衰退
読売新聞は、かつて本田靖春(東京本社)、黒田清(大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。とりわけ大阪社会部はコラム「記者の窓から」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が部長になってのち社会部は“黒田軍団”の尊称を以って呼ばれた。しかし1980年代に社内で保守的思潮が主流になると圧力が高まり、1987年に黒田は退社に追い込まれた。