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(回答先: Re: TORAさん、『孝子』が無断コピーしてますよ。ずいぶん手が込んだ、自作自演(孝子)ですね。 投稿者 木田貴常 日時 2004 年 11 月 28 日 21:36:08)
木田貴常さんとやら。見苦しいぞ。
きみは、グレース孝子がメルマガに引用した英国在住女性の投稿を、グレース孝子自身による「自作自演」と勘違いした。しかし、英国在住の女性は、どうやら実在したらしい。彼女は非礼を詫びながら、丁寧な文章でGrace馨子と阿修羅に名乗り出てきた。そして、グレース孝子の自作自演ではないことを、投稿の経緯を含めて説明している。
そしたら、きみの対応は「それは失礼しました。私の勘違だったようです」でよい。
ぐずぐずネチネチとわけの分からん言葉を重ねる必要はないのだ。きみの対応は、まったく男らしくない。潔くないぞ。
あまつさえ、
> 文体が男、ご主人のものかと思いましたものですから・・・
とは、なんのこっちゃ。
わしは数十年、物書きをやっておる。また、若い人たちに文章の指導もしてきた。しかし、Grace馨子さんとやらの文章を読んだだけで「文体が男」とは断定できない。きみは、どの部分をもって、そんな断定ができるのかね?
最近の若い人の文体は、ジェンダーフリーとやらを推進するバカ教師どものせいで、男女の区別ができんようになっておるぞ。
例えば、昔なら、男が「この料理はうまい」と言うところを、女は「この料理はおいしい」と表現したものだ。ところが最近は、女でも「うまい」と言うし、男でも「おいしい」と言う。文体上の男女の別が失われている。(このへんはジェンダーフリー以前の、単なる無知かも知れんがね。ジェンダーフリーは無知を糊塗し、是認する役割も果たしている)
はなはだしいのは、学校の教師までが「お腹(なか)がへったね」などと耳障りな表現を平気で使うことだ。そんな歪な表現は、ちびまる子の踊るポンポコリン以前にはなかったもんじゃ。正しくは「腹(はら)がへった」か、「お腹(なか)がすいた」かのどちらかでなければならぬ。ちびまる子で育った教師には、それが「耳障り」であることすら感じられないらしい。言語文化や言語感覚の摩滅が著しい証左と言うべきか。
また、戦前の女性なら文章上で絶対に使わない表現がいくつもあったが、今は高校・大学の国語の教師でさえも、その区別がつかず、女が平気で男言葉を使用する。男言葉・女言葉とは、日本語では、もはや死語と言うほかない。(ちなみに、英語にも男言葉と女言葉の別がある。ゲイが使うのは女言葉=女性的表現じゃ)
そんな日本の言語状況下で、「文体が男」とは、何をもってそう断定できるのか、言葉の専門家としては是非とも知りたいところだ。透徹した教えを乞いたい。
納得のいく回答が得られたら、わしは以後、きみのことを「先生」と呼ぶことにしよう。
ま、それより、潔い答えの方が望ましいとは思う。きみが、もし男なら、ね。