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(回答先: 統一協会の資金で電通 が仕掛けた「冬ソナブーム」。ペ・ヨンジュン・ファン3500人 過去最高出迎え 投稿者 救国の草莽の志士 日時 2004 年 11 月 27 日 16:25:08)
日本歴史を振り返って見ればよい。古くは、古代日本の神功皇后の時代に北朝鮮の中国国境近い好太王の碑に記されているように、大量の古代日本軍は神話の神功皇后に率いられてとか海峡を渡った。小生の古代史理解では、大和朝廷は南朝鮮の任那に日本府があったのだから、もともと朝鮮系加羅国あたりのルーツに遡るであろうから、南朝鮮加羅国にあった大和朝廷の始祖あたりが三世紀の東アジアを揺るがした大気候変動か何かの影響で民族大移動となり北方騎馬民族系の高句麗あたりの南下進出にトコロテン布きに追い出されて、朝鮮海峡の対岸に持っていた植民地の北九州に逃亡せざるを得なくなり、亡命政権の第一次首都移転で第9代の崇神天皇(はつくにしらすすめらみこと=初めて国を治しめす天皇(スメラミコト))が海峡を渡ったのだが、北九州王朝が移転して植民地軍の日本原住民の土豪達を引き連れて本拠奪還に帰還戦争したのだろう。これは、強くて鴨緑江近くまで攻め上ったようである。朝鮮戦争時の国連軍のようなものである。それから後は、植民地の方の日本国に王朝を移転して第15代応神天皇(はつくにしらすすめらみこと=初めて国を治しめす天皇(スメラミコト)=崇神と同じヤマト言葉の名であうことに注意)の時に、北九州から首都を「東征伝説」にあるように船で瀬戸内海を移動して堺近くから大阪に上陸して、その子の仁徳天皇の頃に征服王朝として近畿地方に大古墳を築いて、やがて更に東進してヤマト地方に移動して大和朝廷を作ったと解釈すべきだ。
次に、軍が海峡を渡ったのは、ずっと下って13世紀の世界帝国フビライ汗の元帝国のモンゴル軍であった。最初の文永の役の遠征軍は、元が征服した高麗軍であり、今の北朝鮮軍と鎌倉武士との戦争だった。神風で台風襲来に遠征軍の船が沈んで、日本はなんとか事なきを得た。次は、その間に漢民族の王朝「南宋」を遂に滅ぼして、漢民族の南宋軍を中心にして編成した第二次遠征軍の弘安の役も、やはり台風襲来で船が沈んで壊滅して、敗走した。
その後は、それから三百年後の豊臣秀吉の朝鮮征伐であった。これも2回に亘って今度は日本から15万人ぐらいの戦国武将達を率いて北朝鮮国境まで行って、隣の宗主国「明軍」の大軍の介入で勢いが止まり、やがて朝鮮人の民衆蜂起のゲリラ戦と李舜臣率いる朝鮮水郡の亀甲船に敗退して敗れ秀吉が死んで家康が引き揚げた。
そして、近代の明治になって江華島事件・日清戦争・日露戦争と続く大陸進であり、昭和の満州事変・日中戦争・大東亜戦争での日本の大陸遠征軍である。こうして概観すると、この海峡があるおかげで、日本侵略には最高の防衛らいんの防波堤となり、日本の安全が確保されて、日本からの大陸進出遠征軍も、李舜臣率いる朝鮮水郡の亀甲船に敗退して敗れ水軍で敗れ、日露戦争でもバルチック艦隊の壊滅でにほんは海軍の勝利で決定的になり、米軍も沖縄戦では甚大な被害を被り、本土決戦してチエチェンのように徹底的なゲリラ戦で戦えば、中国大陸からの200万人の無傷の遠征陸軍の帰還でどうなったか不明である。
だから、周りを海に囲まれていたということは、最低でも20個師団多く見積もれば50個師団分の防衛力に該当して、天然の防衛壁として日本国の安全を保障してきたのである。それが、もし海底トンネルなぞを作って、自由に朝鮮半島いや中国大陸・アジア大陸からの軍隊は勿論のこと、難民でも移動を可能にしたら日本の防衛ラインは一夜に消滅するに等しい。そんなことを許すのは、日本の滅亡に導くに等しい。だから、この構想に賛成する輩は、日本滅亡を意図する勢力の代理人か工作員か手先の売国奴である。
かつて、ケ小平は「日本を攻め滅ぼすのに武器はいらない、ただ国境を開き自由に出国させればよい。」と言ったという。中国は、一人っ子政策で黒子という戸籍のない子が数億いるらしいので、中国首脳の言によれば現在、本当は17億人もいて、自由に移動を認めれば、3−4億人は一斉に日本に向けて移動を開始するという。まさに、人間爆弾であって小船ででも海に乗り出せば、皆、日本海に漂着する。だが、船の数の限界があって、そんなには来れないのである。もしここで船はいらず歩いて渡れるとなれば、7−8億人の中国人が政治難民や経済難民として歩いて移動してくるだろう。これで、日本人の原住民は少数民族になるのである。
だから、「安全保障」の点でここは「日韓海底トンネル」は絶対に阻止せねばならないのである。