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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu83.htm
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深田恭子主演 『下妻物語』 オジサン・オバサンにも
十分楽しめる、痛快で斬新な青春映画である。
2004年11月27日 土曜日
◆映画『下妻物語』 フラグメンツ(ライター日記)
http://www.mypress.jp/v2_writers/tokyodog/story/?story_id=502701
話題の『下妻物語』を観た。
嶽本野ばらの同名小説の映画化。主演は深田恭子。
監督・脚本の中島哲也は、おもにCMの世界で活躍してきた人。トヨエツと山崎努がスローモーションで卓球したり焼き肉食ったりする「LOVE BEER!」というアレを手がけた人だそうだ。
CM出身の映画監督は枚挙にいとまがないが、この作品ほどCMの手法を強引に映画にあてはめた作品は観たことがない。これはまるで「長いCMを観ているような映画」だ。ホメ言葉には聞こえないだろうが、掛け値なしの讃辞としてそう言いたい。
随所でギャグが炸裂する映画なのだが、そのギャグの部分にいずれもCM的手法が使われている。そして、それが見事にキマっているのだ。
CM出身の映画監督にありがちな「映画コンプレックス」が、微塵も感じられない。「CMの手法で映画を撮ってこそ、オレの強みが発揮できるってもんだ」という監督のつぶやきが、スクリーンの背後から聞こえてくるようだ。
“友達なんて1人もいなくても平気”な孤高のロリータ少女・桃子(深田)と、過剰なまでに「熱い」ヤンキー少女・いちご(土屋アンナ)の、奇妙な友情の物語である。
ラブストーリーの場合、主人公とヒロインの間に立ちはだかる障壁(身分の違い、年齢差、健常者と身障者の差異など)が、読者や観客を引っぱる駆動力となる。
同様に、友情の物語も、壁/差異こそがドラマを生む。本来ならおよそ相容れないはずの、相違点だらけの桃子といちご。2人に友情が生まれるまでの磁場のぶつかり合いが、この映画の駆動力だ。
観ながら思い出したのは、高樹のぶ子の芥川賞受賞作『光抱く友よ』。地味な優等生少女と奔放な不良少女の友情を切なく描いた、清冽なる名作である。
『光抱く友よ』は、発表当時から古風な印象を与えるほど、きわめてオーソドックスな友情物語であった。いわばスタンダード・ナンバー。対して、この『下妻物語』はいわばパンク・ヴァージョンだ。
矢継ぎ早にくり出されるギャグ、30秒のCMを100本作って“映画という接着剤”でつなぎ合わせたような映像。それでいて、骨格はあくまで古風な友情物語。才気あふれる若手バンドがスタンダード・ナンバーを斬新な手法でカヴァーしたような、そんな印象の映画なのである。
『光抱く友よ』が友情の終焉までを描いた作品だったのに対し、この『下妻物語』は友情が本格的に始まるというところで終わる。だから、後味もさわやか。
それと、舞台となる茨城県下妻市の風情が、栃木県出身の私には郷里を思い出させて懐かしい。
洋服を買うためだけに上京して「週刊東京『少女A』」(※)と化す桃子の姿が、輸入盤を買うために東武伊勢崎線に乗って上京していた10代のころの私とオーバーラップしてしまう(笑)。
ロリータ・ファッションで決めたフカキョンを写したポスターだけで敬遠してしまう向きもあろうが、オジサン・オバサンにも十分楽しめる、痛快で斬新な青春映画である。
◆『下妻物語』 神崎のナナメ読み
http://kanzaki.sub.jp/archives/000308.html
女優深田恭子(21)の主演映画「下妻物語」(中島哲也監督)が世界公開されることが13日、分かった。
今年5月に開催されたカンヌ映画祭のマーケット試写会で見た各国の映画関係者から配給のオファーが殺到。
米国を含む7カ国で上映されることが確実となった。
現在までに6つの国際映画祭での上映も決定しており、今後も上映国は増える見込み。
深田にとって初めての欧米進出作品となる。
アイドルから本格女優に脱皮しつつある深田に朗報が届いた。
ロリータファッションに身を包んだ女子高生を演じた「下妻物語」が、米国、イタリア、スペイン、オランダ、中国、韓国、タイの映画配給会社から上映依頼が立て続けに届いた。
きっかけは今年5月にフランスで開催されたカンヌ映画祭だった。
世界各国の映画会社関係者が集まるマーケット試写会で、タイトルを「カミカゼ・ガールズ」とした英語字幕版を2日間にわたって上映。
カンヌでの上映会後に「楽しいストーリーと、ポップでインパクトのある映像が魅力的」「主演女優の存在感と個性に引きつけられた」などの高評価を得た。
この日までに7カ国での公開が確実となった。
さらに、カルロヴィヴァリ(チェコ)、ハンブルク(ドイツ)、トリノ(イタリア)、フランダース、ブリュッセル(ベルギー)、ハワイ(米国)などの国際映画祭での招待上映も決まった。
これらの映画祭での反響次第では、公開国も広がる可能性がある。
主演ドラマがアジア圏で放送されたことはあったが、欧米に主演作品が進出するのは初めてのこと。
日本では5月29日から公開中。
公開2カ月前まで40館規模の公開予定だったが作品評価が高く急きょ156館に拡大された。
座席数の少ないミニシアターを中心とした興行だが、配給する東宝は「興収10億円を目指します」と話している。
(私のコメント)
『下妻物語』の映画のポスターを見るとフカキョンファン向けのアイドル映画のように見えますが、見てみると正統派の青春物語で、映画に良くありがちな時代感覚のズレは全く無く、ハイビジョンで撮影された画像がとてもきれいだ。監督はテレビコマーシャル畑から出てきた中島哲也監督のこの映画はアート感覚にあふれている。
ストーリ−自体は特にどうと言うことは無いのですが、カンヌ映画祭で評判を呼んだのも、映像美の新しい感覚が評価されたのだろう。主人公の桃子はロココ調の生活に憧れ、ひらひらにのついたロリータファッションでその個性を主張する。僅かに高校生の場面では制服だが、周りの生徒からも完全に浮いた存在なのですが、友達が一人もいなくても全然平気だ。
私の学生時代や会社員時代からの体験でも言えるのですが、若い女の子は周りから仲間はずれにされることを異常に恐れるようだ。お昼休みの食堂で一緒に食事をする仲間がいないという理由だけで転職の理由になったりする。だからみんなが茶髪にすれば自分も茶髪にするし、ファッションもみんなと同じファッションを揃える。それほど仲間はずれにされることを恐れる。
だから桃子のような存在はフィクションでしかないのですが、誰もが桃子のように自分を主張して生きてみたいと思っているのだろう。そんな桃子にイチゴというヤンキーの女友達が出来るのですが、イチゴも最初は特攻服ファッションでゲンチャリを乗り回していましたが、やはり仲間と同じ格好をしていましたが、自我に目覚めてレディースを抜けて桃子との友情を大切にするようになる。
現代の日本教育では個性を尊重した教育と言いながら、画一的な没個性の人間を作り出している。街を歩けば若い人のファッションは自由なはずなのに驚くほど画一的で皆ジーンズをはいている。就職しても黒のスーツでまるで制服のようだ。私は銀行員でしたが茶系の背広やグリーン系の背広などを着て、ダークスーツはほとんど着なかった。だから映画の桃子的なところもあったのだろう。
この映画のせいかこの夏は街でもロリータファッションの女子高生を時々見かけましたが、深田恭子のように似合ってはいなかった。個性を主張するにしろどれが似合うかは自分で見つけるべきで真似しても意味はないのだ。映画では服飾デザインの才能を認められて、代官山のロリータファッション専門店のデザイナーになりますが、多くの女子高生はデザイナー学校へ行って服飾デザイナーになったりしますが、才能のある人はそんな専門学校行かなくともなれる。
考えてみれば才能のある人は学校へ行かなくともいいのですが、才能の無い人ほど学校へ行って勉強をする。だから美術専門学校へ行けば才能のない人の溜まり場だ。普通科の勉強が嫌いだから来ているような学生ばかりだ。本当に才能があれば映画の桃子のように周りから反対されても服飾デザイナーに自然になっているだろう。
才能の無い子は普通科の学校でサラリーマンになるように教育されるのですが、その中に才能のある子がいると変人奇人として爪弾きにしてしまう。先生などがその子の才能を見つけ出して伸ばしてあげればいいのですが、先生自体がデモシカ先生だから個性を潰して普通の鋳型に嵌め込もうとする。
私もこうして毎日「株式日記」を書いているのですが、小学校の頃は日刊の学級新聞を書いていた。毎日記事を書くのですがそれが苦にならなかった。作文も優秀賞をいつももらって読み上げられた。高校時代も読書感想文など褒められた記憶がある。ならばその方面の職業を選べばよかったのだろうけれど、銀行員になってしまって失敗したと思っている。