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(回答先: 「もののあわれをしる」人と「ファナティックな皇国思想」の間は? 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 11 月 19 日 13:06:31)
ジャック・どんどんさんへ
秋成vs宣長の天皇神話論争についてあまり深入りする気はないのですが、ちょっとだけ気になったもので。
>中世の宗教学者が、聖書の世界こそが現実であると錯覚していたように、宣長先生同様の過ちをおかしたのでしょうか。
(小林の受け売りで気が引けますが)宣長は、歴史的事実と神話を同一視(錯覚)したわけではありません。
「古事記伝」でやろうとしたことは、古人(いにしえびと)の心で「古事記」を読み直そうと言うことです(言語論とも絡んでくるのですが)。
古人は神々をどのように理解していたのか、それを知るためには「古事記伝」生成の現場まで立ち戻って、古人の心性と同化することによって、初めて成され得ると宣長は考えた、ということです。
小林は講演や小論で、宣長の方法の独創性と、現在の(こざかしい理性の)眼で宣長を批判することの愚を何度も述べています。
小生は、秋成の宣長批判は(それはそれですごいのですが)、その先駆けと考えています。
いうまでもなく、宣長の仕事をファナティックな皇国思想と関連づけるのは、愚の愚ですね(そのような誤読を呼び寄せる芽はあったようですが、ニーチェとヒトラーを結びつけることでニーチェを批判するようなものです)。
宣長の「古事記伝」の注釈は、その辺のこざかしい神話学や神話研究とは一線を画しています。
秋成は「古事記伝」をほかの誰よりも深く読み込んだのかもしれませんが、宣長のやろうとしたことを捉え損なっていたということですね。
秋成の読みは宣長のねらいを最初から外していたので、宣長も反論のしようがなく、水掛論のような格好になったのではないでしょうか。
ところで、エリアーデの話が出て来たので、関連事項として一言付け加えます。
エリアーデは宗教・神話研究では理性の人でしたが、一方で非常に魅力的な幻想小説家でもありました。
古代神話研究や比較宗教研究は透徹した理性の賜物と言えますが、ヨーガの実践家でもあったエリアーデは、それだけでは満足できなかった。
「ホーニヒベルガー博士の秘密」や「セランポーレの夜」と言った、おそらくエリアーデ自身が体験し、しかし理性的記述ではできなかった出来事を小説化したものです。
宣長が「古事記伝」の注釈でやろうとしたことと、エリアーデの幻想小説とは同じ位相にあるものと考えています。