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(回答先: 『冬のソナタ』ヒットの理由は少女マンガの刷り込みである。たけし主演映画『血と骨』、あまりにも異なる韓国人ドラマ 投稿者 TORA 日時 2004 年 11 月 16 日 14:32:58)
◆キャンディ・キャンディ 夢のほとり
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nem/omoiire/comic/candy.html
考えてみると元々、私には少女マンガを好きになる素地はあったんだと思います。少女マンガそのものはあまり知りませんでしたが、それまでも『あしながおじさん』『赤毛のアン』『少女パレアナ』『小公女』などといった、欧米の少女向け名作文学は大好きでよく読んでました。ジュディ・アボットは私にとって理想のお姉さんでしたし、パレアナやアンは素敵なガールフレンドでした。
『キャンディキャンディ』はそれらの過去の名作のエッセンスを取り込んで少女マンガの形にアレンジしたような作品でしたので、それに引き込まれていったのも自然な流れだったと思います。
“みなしご”という設定は上記の四作品全部に共通していますし、不器量でおてんばな女の子と言えばアンやパレアナがそうですよね。ラガン家でイライザやニールにいじめられる様子は『小公女』が連想されますし、エンディングはもろに『あしながおじさん』です。
それに少女マンガ特有の恋愛要素を折り混ぜて、序盤はラガン家の召し使いとして、アンソニーの死後はロンドンの学院で、何度も辛い思いをし、悲しい目に遭いながらも決して挫けず心優しい人々に支えられながら明るく生きてゆくるキャンディの姿を描き出して行きます。
そして学園を去った後のキャンディは自分自身の生きる道を見つけて、自分の足で自立していく姿を描いています。まさに大河ドラマと呼ぶにふさわしい体裁を持った作品だと思います。
どんな時にも明るくひたむきに生きるキャンディ。そしてそれを取り巻く人々。アンソニー、テリィ、ステア、アーチー、パティ、アニー、ポニー先生にレイン先生、メアリ・ジェーン校長、フラニー、そして困った時にどこからともなく現れてキャンディを元気づけてくれる謎の青年アルバート。
そんなキャンディを取り巻くキャラの中でも特に大きな意味を持つのが恋愛の対象となったアンソニーとテリィでしょうね。
親切で優しいお坊ちゃまタイプのアンソニー、口が悪くて不良っぽいテリィ。性格は対称的ですが、それぞれに心の中に傷を持って生きています。
しかしアンソニーの場合とテリィの場合は同じ恋愛という形を取っていてもその接し方はかなり違っているような気がします。アンソニーの時はどちらかというと一方的にアンソニーが優しさをキャンディに与えていて、キャンディはそれを受け取るだけのような形で、正に王子さまって感じでした。
しかしテリィの時はキャンディはテリィと対等な立場で恋愛をしています。エレノア・ベーカーとの一件でも、キャンディはテリィの心を頑なな心を溶かす為に大きな役割を果たします。
アンソニーとテリィに対するキャンディの恋愛の形は彼女自身の成長をあらわすものなのかも知れません。
(私のコメント)
少女マンガの「キャンディ・キャンディ」は西欧の少女向け小説を集大成したような設定のマンガのようですが私は見た事がない。「赤毛のアン」は全部ではありませんが読んだことはありますが、少女向けの大長編小説で、とうぜん読書好きの女の子なら読んでいる小説であり、「冬のソナタ」にもそのような設定が生かされている。
それに対して現代の少女達はもっとどぎついセックスの少女向け?のマンガを読んでいる。小説の「赤毛のアン」やマンガの「キャンディ・キャンディ」は、もちろん現代でも読んでいる少女もいるでしょうが、傾向としては少女向けのセックスマンガが主流になっている。今は少女達も夢やメルヘンチックなものは流行らないようだ。だからヨン様に熱を上げるのは中年女性であり、ルーズソックスの女子高生にはピンと来ないようだ。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu83.htm