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戦後50年の自民党と社会党による所謂「戦後50年体制時代」は妥協と馴れ合いによる怠惰の政治が行われた時代としてマイナスのイメージでとらえられている事が多いとKは思っている。
しかし、Kはその考えに疑問を感じている。勿論、妥協と馴れ合いの時代がベストとは云えない。だが「バランス感覚こそ重要」としてとらえた場合、「落としどころの考察による政治はベター」だろうと思う。
全ての事柄は二極化している。
自由と公平、理想主義と現実主義、改革と保守、国体優先と国民優先、資本階級と労働者階級、男性と女性、行動派と考察派・・・
理想家はともかく二極化した事柄のどちらか一方に振りたがる事が多い、その為には「レッテル貼り」という「呪い」を振りまきもする。それは一種の世論操作であり、マスコミなども「意識があるか否かは別にして」利用されたりもする。どのような事になるか?
それは、誤った常識の形成という「呪い」の呪縛に罹る大衆という形で表れる。
戦後50年体制をマイナスのイメージでとらえるという事が既に程度の差はあるとして、「呪い」に罹っているという事とも云える。
それは、徹底的な合理主義的からの「呪い」である。徹底的な合理主義から呪われてしまうと間違った合理化に陥る事もある。どのような事になるかというと「余裕」や「余剰」という「あそび(単なる遊びではなく車のハンドル的な緩み的意味合い)」をも無駄として切り捨てる。本来能率の維持を目的とした「休息」「休憩」「休暇」をも平気で切り捨てる傾向もある。
戦後50年体制と現在の二大政党時代を冷静に比べてほしい。勿論、時代背景が異なり一概に比較はできないとは思う。しかし、急激な国家債務は50年体制時には無かったし、それ以外の様々な「悪夢のような政治」は「妥協と馴れ合いが消えた時より始まった」とも云える。合理主義が「見えなかったモノを見えるようにした」部分も多いのだろうが、合理主義がその問題をより拡大している面もある。
今こそ、「落としどころ」を再考察すべきとKは思っている。
以上「Kのつぶやき」より転載
http://kdesu.ameblo.jp/
なお、Kの駄文、意見、考察については誰でもご自由に引用してもらって構いません。
引用に関して一切の注文はありません。(引用して論破されてKに振るのは困ります)