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(回答先: シリーズ・現代の優生思想との対決(インターミッション)世界は、うんこだ。 投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 12 月 20 日 16:34:07)
手ポリオさん、こんばんは。
「差別とは何か?」という事について対話しませんか?
「自分はこうなのにアイツはなんでああなんだろう?」
という事から差別が始まると思います。
自分と他者に違いがあり、自分の方が優位に立っていると思う事です。
それは例えば「自分はうんこ臭くない。アイツはうんこ臭い。」
という事から生まれるわけですね。
「うんこ臭い」側は「そんなの大した違いじゃないじゃないか?」
と主張したいわけですが、差別する側は、
「え〜っ!!何言ってんの!うんこ臭いって、サイテーじゃん!」
って言うわけですよ。
この意識は何か?ってことですよね。
考えてみたら「うんこ」自体が差別されているわけですよね。
「うんこ」は「汚い、臭い」と思われているわけですね。
これはどこから来た意識か?って事ですね。
うんこは誰でも出すものであるにも関わらず
「私はうんこなんかしません。」と言わんばかりに忌み嫌われている
わけですね
これは、子供にうんこは汚いものだとちゃんと教えないと
うんこまみれになっても平気な子になってしまうので
小さい時に親が子供に刷り込むからこうなるのでしょうね。
う〜ん、この話からどう展開していいか難しいのですが、
差別とは何等かの観点から何かを「下等なもの」と判定する事から生じるのでしょうね。
衛生観念は、うんこを差別し、
生産に価値があるという思想は、身体障碍者や精神障碍者を差別します。
という事は差別を無くす為には、衛生観念と「生産性価値観念」の批判が必要ですね。
ところでルサンチマン(怒り)ですが、差別者に対する怒りは当然の事なのですが、
差別者は「差別する事がごくごく当たり前の事」のように差別するのです。
それに対する怒りは、差別者にとっては「差別されて悔しいから怒っているのだろう
が、差別されて当然のヤツだから差別しているんだ。」という反応しか引き起こし
ません。
彼等に怒りは通用しないのです。
と書いて来て、うん?
やっぱり一々抗議するしか差別者を目覚めさせる事はできないのかな?
と思いました。
考え直します。
済みませんでした。