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私の幻聴体験
2004年12月7日
「幻聴が聞こえたら」より
http://www.geocities.jp/ec71276/gennchou/
私の幻聴体験について書きます。
こういった体験告白の形を通じて怪しげな集団に誘う輩も多いかと存じ上げますので、警戒して読んで頂ければと思います。精神的に参っている人をうまく誘い込むカルト宗教などには惑わされないようにしなくてはいけません。なお、心霊的な内容を多分に含んでおりますので、受け付けられない方は読まれないようにお願いします。
私が幻聴体験をすることになった切っ掛けは、高校生の頃にまでさかのぼります。当時、私の体には具合の悪い所がありまして、現在はどうってことないことなのですが、当時の思春期の私にとっては非常に深刻な悩みなのでした。また、当時は超能力などオカルトに興味を持っておりまして、その手の本をよく読んでおりました。
そうこうしながら高校生活を送っていたある日、少し怪しげな気功師の方と出会いました。その人にいろいろ話を聞いたところ、体の不調を気功で治せるとのことでしたので、私は喜んで習い始めました。しかし、しばらく経つとやはり治すのは難しいといわれ、お金を返されました。今思い返すと、そのような得体の知れない人物に頼った自分は、非常に浅はかなことをしていたのだと思います。私は残念でしたが、その後も自己流で気功は続けていきました。
数年経つと、朝目覚めた直後の意識が朦朧としている間に、よく人の声が聞こえてくるようになりました。そして、予備校の寮に入り勉強に集中していた頃は、部屋のドアがドンドンと叩かれることがよくありました。しかし、ドアを開けてみると、誰もいないのです。今考えても不思議な体験(ポルターガイスト現象)ですが、当時の私は「誰かイタズラしているのだろう。」と信じ、疑いを持ちませんでした。相変わらず、目覚めた直後によく人の声も聞こえるのですが、これは何か夢の類だろうと気楽に考え、気にせずにかなりの集中力で勉強を続けて希望していた以上の大学に合格しました。
しかし、晴れて大学生になり一人暮らしを始めると、また新しい現象に見舞われることになります。一軒家の二階の一部屋を間借りしたのですが、眠りが浅いとき、夢現(ゆめうつつ)の状態の時に、私の方にたくさんの人の気配が近づいてきて、ガヤガヤと喋りながら近くを通り過ぎていくという出来事が起こり始めるのです。週に何回も、そのうるさい集団が通り過ぎて行き、たまりかねた私は、大家さんに「夜に家の近くをうるさく通り過ぎていく人たちがいますね。大学生でしょうか。」と文句を言いました。大家さんは、それを聞いて不思議そうにしていましたが、私の方は「それどころじゃない。」といった心境でした。この頃は、自分の方の感覚などに問題があるのだと気がついていなかったのです。
これはうるさい部屋に住んでしまって失敗したと感じ、一年経ってから引っ越しをします。今度は、二階建てのアパートの一階でした。なお、大学生になってしばらくしてからPHSを持つようになっていたのですが、この頃にアナログ式携帯電話に変えています。そして、引っ越しをして数ヶ月後に、今思い出しても非常に苦しかった体験が待っていました。
例の、ポルターガイスト現象は引っ越し後にも時々起こっていたのですが、私は「このアパートにもガラの悪い輩が居るのかな。」という具合でした。その後、現在に至るまで理解不能な事件が起こります。引っ越し後しばらくしてから、深夜に、自分の隣の部屋から男女の話し声が聞こえて来るという出来事が度々起こり始めたのです。何週間か我慢した後、深夜の一時頃に私は110番してしまいました。隣の部屋には、毎回違う人たちが訪ねて来ていたことを知っていたので、私はカルト宗教の集会場ではないかと疑っていたのです。
今思えば、この男女の声は幻聴であり、隣の部屋の住人とは無関係なのですが、当時の私は混同してしまっていました。しかし、警察官が二人来て、私が「隣の部屋がヤバイです。」と文句を言っていたところ、隣の部屋にタイミング良く訪問者が来たことを不思議に感じ良く憶えています。真っ黒なドレスを着て花束を持った若い女性が、深夜の二時少し前に、隣の部屋に遊びに来たとのこと。そして、隣の住人はカルトではないとの証言をして去っていきました。私は、その時間の遅さとタイミングの良さが非常に気になり、警察官に伝えました。そうしたところ、私と某巨大新興宗教団体との関係を聞いて去っていきました。私はその団体に、非常にアレルギーを感じて現在に至ります。今まで数知れず勧誘されましたが、未来永劫入信することはないでしょう。
その後、私に不思議な出来事が頻発するようになりました。
まず、深夜、アパートの前に黒いドレスを着た若い女性がおり、周りを男たちが取り囲んでいたのですが、私を見て、その男たちが一斉にバラバラの方向に散っていくという出来事がありました。
そして、私が隣部屋の住人の声だと勘違いしていた男女の声ですが、ある日、その声(幻聴)が私の存在に気づいたのです。テレパシーのように頭の中で意志が通じ合い「あ、こいつ聞こえているぞ。」という具合です。それからは「私は神だ。」などと言いはじめたり、なんと、私を操ろうとし始めたりしました。つまり、典型的な統合失調症のケースに発展してしまったわけです。そして、毎日もの凄い勢いで「死ね!死ね!」などの罵詈雑言のオンパレードです。そして、その幻聴が聞こえるときには非常に激しい頭痛も伴っていたのでした。当時、MRIかCTを受ける知恵があったら、脳に何らかの異常が見つかったかもしれません。残念ながらそういう知識はありませんでしたが。
とにもかくにも、そういう状態が何ヶ月も続き、私は精神的に非常に疲弊していきました。はたから見たら、精神病患者か廃人に見えたはずです。もの凄い大声で幻聴が聞こえるので、ヘッドホンを付けて大音量で音楽を聴いて苦しみを和らげていたくらいなのですから。大学生でなかったなら、一人暮らしを続けることは不可能であったと思います。日常生活に支障が出るくらい激しい苦痛でした。そして、その頃の私の発言は怪しくなり、この出来事をうまく伝えられずに、友達も何人か失いました。
道を歩くと、向かいから歩いて来る通行人が自分の悪口を言っているように感じました。しかし、よくよく注意して通行人の方を見ると、何も喋っていません。通行人が通り過ぎる時に、タイミング良く幻聴が聞こえてきていたのです。つまり、通行人が喋っているかのごとく、幻聴の主が私を騙しにかかっていたのでした。この時に適切な判断が出来なかったなら、その後の人生が変わっていたかもしれません。しかし、よく観察してみると、耳の外から聞こえてくる肉声と頭の中から聞こえてくる幻聴の間には、確かな違いがあることに気づくことが出来ました。幻聴は、肉声よりハッキリと頭の中に聞こえてくるし、聞こえ方が少し違っていたのです。
しかし、例え肉声と幻聴の区別が出来ても、このような苦しい状態が続くと精神的に参っていくものです(幻聴による罵詈雑言等と激しい頭痛の、苦痛の二重奏でした)。「このままの状態が続くのなら、俺はもう駄目かもしれない。このまま醜態を晒し続けるくらいなら、死のうかな。」と、死ぬことさえも覚悟しました。当時、統合失調症であった私が正常な判断をすることができたのかどうか。ともかく、格好が悪いから死んで終わりにしようかと考えたわけです。しかし、その後、どうせ死ぬならもう少し頑張ってみよう。死ぬ前に、死ぬ気になってあがいてみよう、と思い直します。
私は、自分を危機的状況から救ってくれるものは何か無いのか、藁にもすがる思いでした。しかし、カルト宗教の危険性だけは当時から認識していましたので、スティーブン・ハッサン著『マインド・コントロールの恐怖』等を読み、これはヤバイぞ、苦しくてもこういう宗教団体には絶対に行ってはいけないぞ、と非常に警戒していました。この本には、統一協会の幹部信者だった方が、御自分の入信から脱会までの体験、そしてその後の救出カウンセリングの体験、カルトやマインド・コントロール等について詳細に書かれています。その頃の私は、このような本を読みつつも新興宗教団体に入りかけたりしたのですが、それだけ、正常な判断をする力がなかったということです。
その後、不思議な縁もありまして、古本屋でC.A.ウィックランド著『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話』という本と出会います。この本との出会いが、私にとっての蜘蛛の糸でした。この本の内容を簡単にまとめると、アメリカの精神科医が除霊という方法で精神病患者を治していくというものです。私を汚く罵る声が登場する前ならば決して読まない本でしたが、この頃の私には非常に興味深い本に変わっていました。
ところで、この頃の私は精神科に罹りに行くことを避けていました。精神科に罹る→統合失調症と診断される→精神病院に入院、というルートが固定観念としてあったので、もう二度と日常生活を送れなくなるかもしれない、親にも迷惑がかかる、そういう理由で避けていたのでした。
しかし、今考えると、その選択が最前であったという自信はありません。だから、精神科に罹らないことを決して勧めしません。私を含めた日本人にとっては、精神科にかかってしまうと人間性までも疑われかねないという雰囲気があるのを感じます。そうこう悩んでいるうちに、こじらせて悪化させてしまうことも多いのだそうです。現在は、精神科に罹り薬を飲み続けることにより、かなり高い確率で治るという話を聞きます。精神科に対して構えず、風邪を治しに行くように、気軽に行った方がいいのかもしれません。心の風邪を感じたらすぐに、という風にです。これから読むのが楽しみな本に、H.M.クレックレー著『私という他人・多重人格の精神病理』やきたやまおさむ著『みんなの精神科』などがあります。
なお、精神科医である著者が退行催眠という手法で患者を治療していた(患者の心の傷になっている記憶を見つけるため)ところ、偶然、患者が生まれる前にまで遡ってしまったことにより様々なことを知る、ブライアン・L・ワイズ著『前世療法』や、作家である著者が北海道に山荘を建てたところ、激しいラップ現象等の異常現象に見舞われ始め、霊障だと解釈された著者は霊能者の方々を頼るのですが、その過程で様々なことを体験をされていくという、佐藤愛子著『私の遺書』などの本も今まで読んできたのですが、そちらも私にとっては非常に勉強になる内容でした。今後、折を見て触れていきたいと考えています。
話を元に戻しますと、この『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話』の内容を簡単に説明すると、ウィックランド博士の夫人を霊媒として精神病患者に憑いている霊(憑依霊・低級霊)を呼び出し、博士が対話をすることにより、霊を様々なしがらみから解放して患者を治療するというものです。私は熟読し、この本においては霊媒を通して喋っている憑依霊が、自分のケースでは、私の頭の中に直接に話しかけてきているのだと理解しました。
つまり、幻聴を心霊的に解釈すると霊聴ということになるのですが、私のように声に攻撃されている場合は、憑依霊・低級霊に取り憑かれた、ということになります。そこには、高いレベルの霊の声に感応する予言者や霊能者などとの間に、明確な隔たりがあるわけです。
この本が縁となり、ある協会に入会するのですが、その会に行くと霊能者の先生がおり、私が自分の体験を話すと大変心配していただきました。そして、驚くような体験が毎週のようにありました。その体験の一つとして、通い始めた当時、私はこの協会と平行してある宗教団体にも月に二回ほど通っていたのですが、それを言い当てられ、「偏りのある宗教団体に所属するのは良くないことです。」と助言をいただけたことです。すぐに辞めたのですが、今思い出しても、そこは「カルトの定義」にかなりよく当てはまる新興宗教団体でした。
その協会に通いはじめ、段々と快方に向かい現在に至ります。通い始めた頃は、統合失調症患者に非常に近い状態であり、協会の方々には非常にご迷惑をおかけいたしていたと思います。そして、私は心霊を学ぶ者としては、現在に至っても非常に無知であり全くもって未熟です。しかし、いくつかのことは心に染みて確信しました。
一つは、死んだ後に肉体は滅びても、心、つまり魂は生き続けるということです。自分の体験から、そして今まで読んだ書物から、この霊魂不滅の思想が真実であるとの確信に至りました。そして、それがわかってしまうと、考え方もおのずと変わることに驚いています。(思想・信条は人それぞれで自由なのですが、わたしの場合そうだということです。)
もう一つは、自分が幻聴(憑依霊・低級霊)に苦しめられ続けたのは、自分の心境が低いことも非常に影響しているという事実です。私の場合、気功などを原因として脳内になんらかの異常が現れ、幻聴が聞こえ始めたのだと解釈しています。そして、それを霊的な視点から解釈をすると、この世とあの世を隔てていた壁に穴が開き、霊の声が聞こえるようになった、ということになります。
ということは、つまり、自分が高い心境に至れば、それに応じた霊の感応が得られるということです。それは、書くことは簡単でも、並大抵な努力では出来ないことなのですが。今まで下を向いて生きてきたのを、急に上を向いて生きていけるように修正するのは非常に難しいことです。私の場合も、幻聴によりに精神的に苦しく、激しい頭痛も続いている状態の中で修正を試みたため、最初は、非常に辛いものがありました。そのような中で快方に向かったのは、協会、そして多くの本(様々な分野の)との出会いが、心境を改善させることに非常にプラスになったからだと感じています。特に、協会の方々には感謝してもし足りないくらいだと感じています。
ところで、私には精神科に行く勇気がなかったと先ほど書きましたが、この協会に通い始めてから数年後に行きました。そして、精神科の先生に自分の体験を話したところ、その頃には精神的にも落ち着いており、もちろん、幻聴と肉声との区別も出来ていたため、統合失調症ではないが薬は頂けるとのことでした。しかし、私には薬を飲んでも飲まなくてもあまり変化がないように感じられたため、結局、精神科に通うのを途中で止めてしまい現在に至ります(これは良くないので真似しないでください)。
それでは、今後も、自分の体験をふまえ、現在までに読んできた本や、これから読む本を材料に、幻聴などの現象について少しずつでも書いていきたいと思いますので、なにとぞよろしくお願いいたします。