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シリーズ・現代の優生思想との対決(8)優生学の歴史
http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/366.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 11 月 24 日 21:03:06:HcDLIonJaW4jM
 

■優生学(eugenics)の始祖…フランシス・ゴルトン(チャールズ・ダーウィンのいとこ)(1822〜1911)
http://www.mirai-city.org/chuo/hospiyusei.html ほかより。

優良な人間の子孫のみを残していこうという発想そのものは、遺伝子が発見される遙か以前、古代ギリシアの哲学などにも見られます。プラトンの『国家』は、選択的な血統作成によって自己改善を追求する社会を描写している。優生学的理想についての言及は、古くは旧約聖書までさかのぼって見ることができる。
しかし、優生学が学問として本格的に展開されるようになったのは19世紀になってからです。19世紀、産業革命によって大きな発展を遂げたヨーロッパ社会では科学万能主義が広く普及していました。チャールズ・ダーウィンは『種の起源』という本を著し、今まで支配的であったキリスト教の生命観を根底から揺るがす進化論の考え方を提唱しました。さらに生物学の研究も大きく進展し、遺伝子の機能や生物の遺伝法則などが次第に明らかにされていきました。このような状況下で、人間の能力や社会の構造もダーウィンの自然淘汰や適者生存の考え方で説明できるのではないかという考え方が起きてきました。このような考え方は「社会的ダーウィニズム」と呼ばれています。「優生学」は社会的ダーウィニズムの一つの典型です。

[はじまり・・・イギリス]
「優生学」という言葉を最初に使い始めたのは、イギリスのフランシス・ゴルトンという人物です。彼は『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンのいとこにあたり、優生学の基礎を築きました。ゴルトンは、人間の才能がどの程度遺伝によるのかを明らかにするために、家系に関する資料を集めて統計学的手法でアプローチを試みました。つまり、ダーウィンの「自然淘汰」や「適者生存」の考え方を人間や社会の分析に持ち込んだわけです。ゴルトンは1865年に「遺伝的才能と性質」という論文を発表し、この論文の中で、精神的特徴が遺伝的であることを述べ、優れた素質の男女間の早期結婚、劣った素質の男女間の結婚遅延を奨励しています。さらに1869年には『遺伝的天才』という著作を発表、天才の家系調査によって人間に関する遺伝論の実証が試みられています。

ゴルトンは1883年『人間の能力およびその発達の研究』という本の中で初めて優生学"eugenics" を提唱し、人間に淘汰の考えを初めて持ち込んだ。この考えはさらにアルフレッド・プレッツとウィルヘルム・シャルマイエルに受け継がれ、1895年プレッツにより『民族・社会生物学雑誌』が創刊され、また1905年にはドイツに「民族衛生学会」(註:民族衛生学とは優生学と同義。)が設立される。優生学が学問としての体制を整えることとなったのはシャルマイエルによる貢献が非常に大きい。彼は1903年『遺伝および淘汰の社会的・政治的意義』という優生学における初めての大規模な論文を書き上げ、淘汰の考え方を人間に直接応用し、ここに優生学が誕生するのである。

そして1904年、世界初の社会学会であった「第一回イギリス社会学会」の席上で、ゴルトンは「優生学−その定義、展望、目的」という講演を行いました。彼はここで、「優生学とは、ある人種の生得的質の改良に影響するすべてのもの、およびこれによってその質を最高位にまで発展させることを扱う学問である」と唱えました。

この発表をきっかけとして、1907年にロンドンで優生教育協会が設立されます。ゴルトンは主に統計学的手法を用いて人間の遺伝的要因を分析しようとしたのに対し、優生教育協会は早い段階からメンデル説の立場に立ち、さらに優生学の重要性を国家に認めさせるための社会的な影響力を獲得していきました。特に当時のイギリスで社会問題として認知されていた「精神障害女性の出産問題」では、精神障害が遺伝によって継承されるのではないかという当時の社会意識を利用し、「劣悪家族の女性は平均7.3人の子供をつくる」という多産論を唱えました。このような調査報告を重くみたイギリス政府は、1913年に精神障害者の強制収容と性的隔離を含めた精神病法を成立させました。

なお、フランシス・ゴルトンは、指紋鑑定法や顔写真を使う方法も考案した生物統計学者。独自の技術を使って、複数の個人を連続して写真板上に感光する。そうすると、実際に目の前に薄ぼんやりした「典型」が現れてくるのだ。同じ方法で、全く異なる様々な典型を表示できる。例えば、将校、私兵、殺人・暴力犯罪・暴力ではない重罪などの既決囚、ユダヤ人などである。彼はいわゆる権威主義的な人物だった。もっともそんな人間にしか、番犬用の音のでない笛を発明したり、犯罪者を特定するための世界標準になる、指紋を導入する中心的役割を果たすことなどできなかっただろう。(Hacking[1990=1999:271-272]) http://www.u-gakugei.ac.jp/~tschin/einfuehrung/einfuhrung041025.pdf

[アメリカ]
…優生学的政策を最初に本格的に実施していったのはアメリカ合衆国です。1902年、インディアナ州の少年院付き外科医であったH.シャープは、アメリカで犯罪者や精神障害者が急増しつつあることを憂慮し、その解決策として断種(手術で生殖器官を切り取って子孫を残せないようにすること)を説きました。…1907年にインディアナ州は世界初の断種法を制定、他の州でも続々と同様の法律を制定するところが現れ、最終的には1937年までに32もの州で断種法が成立しました。特にカリフォルニア州では、精神病患者は断種を行ったものだけが施設の外に出られると定め、精神病者以外に梅毒患者や性犯罪の累犯者にも断種手術を行いました。1921年の全米での断種件数3233件のうち、カリフォルニア州の断種手術は2558件にのぼりました。このカリフォルニア州の断種政策はドイツにも伝えられ、のちにナチス政権はカリフォルニア州の断種法を参考として遺伝病子孫予防法を制定しています。…1927年、連邦最高裁は、「犯罪傾向の子孫を放置し、精神遅滞の子供を餓死に追い込むのを座視するよりは、社会が、明らかな不適応者が子供を作らないようにすることは全体にとって善である。強制的な種痘の法理は、充分輸卵管切断にまで拡大しうる」とし、強制断種を合憲としました。…『米国優生学協会』(American Eugenics Society)はゴルトンの後を継ぎ、絶対移民制限法(1924
年)は、「劣等人種の移民が増大することによるアメリカ社会の血の劣等化を防ぐ」ことを目的として制定された。ただし、この時の法律文の「社会的に不的確な者」には共産勢力に怯え、赤狩りを進めるアメリカの背景も見え隠れしている。
…1960年代後半の公民権運動の高まりで、社会的弱者の権利も注目されるようになってからのことです。…

[ドイツ]
ドイツも19世紀後半からイギリスやアメリカの影響を受けて優生学が発達しつつありました。ヒトラーの政策は突然実施されたのではなく、すでに下地はそれ以前から形成されていたのです。
ドイツ優生学の基礎を築いたのは、アルフレート・プレッツという人物です。プレッツは1905年に民族衛生学会を設立します。この学会はやがてドイツ優生学の拠点となります。プレッツは「社会」という概念と「種」という概念の違いを強調しました。「社会」に支配的な原理は、隣人愛や愛他主義といった相互扶助であり、闘争と淘汰を本質とする「種」と逆方向にあることを指摘しています。…そして彼は、「社会」が「種」の進化の可能性を遅らせていると主張し、「種」を中心とした「社会」へと再編成するべきだと主張しました。… 
第一次世界大戦後の1920年、法学者カール・ビンディングと精神科医アルフレート・ホッヘは『生きるに値しない生命の抹消の解禁』という本の中で、「1.病気や負傷などで救済の見込みのない者、2.不治の白痴、3.重い病が原因で無意識状態に陥っているか快復してもその不幸に悩む者」に対する「安楽死」を求めているがこの当時はまだそこまで実施できる状況にはなかった。
1939年9月1日のドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が勃発するが、その2ヶ月ほど前、成人障害者に対する「安楽死」がヒトラーの命令により検討され始める。ナチスの安楽死は「優生思想と経済負担の軽減」をモットーに計画された。これは「国家が、(障害者という)無能な人々を余計な苦労をしてまで生かしておくために莫大な費用を投下し、そのため健康者の医療が貧弱になり、かえって多くの犠牲者が生まれている」との考えがはたらいていた。このようなプロパガンダから、国民は安楽死作戦を容認する考えを持つようになったと考えられる。…ホロコーストは1942年に開始されるが、優生学はユダヤ人抹殺のためだけに使われたわけではない。
戦後のニュールンベルグ裁判によればT4作戦によって虐殺された人々の数は27万5千人とされている。

[日本]
明治維新後の富国強兵や、福沢諭吉氏の『脱亜論』をはじめ多くの学者が脱亜入欧を唱えていた。そんな日本において、ハンセン病患者が路傍に座り物乞いをしていると言うことは日本の恥である、との考えがあったこと。日本政府が患者に対して何らの援助も行っていないと言うことが恥という考えもあった。が、後にこの考えはハンセン病患者の存在そのものが『国辱』あるいは『国の恥』という考えに変わっていく。
1907年2月12日(明治40年)、「癩予防ニ関スル法律」公布。強制隔離収容、断種、1915年光田健輔・長島愛生園長、ワゼクトミー(=精管切除による断種)を開始(1952まで)。1916年『懲戒検束規定』。1931年9月18日満州事変から事実上の戦争状態に入った。二度目の法改正、強制収用強化、1929年から無癩県運動…戦後も。
1938年1月11日、「厚生省」の誕生。内務省から、衛生局・社会局を独立させるかたちで。当時、厚生省がつくられたのには、国民の優生を保つことがその最大の理由であり、国民の福利厚生の向上ではなかった【※実は今でも】。
1938年12月、草津・栗生楽泉園内に『特別病室(=重監房)』建設、実際にはここで医療行為等は一切行われていない。患者たちは暴動を起こした。重症患者付き添い・荷物運搬・下水清掃・水くみなど数百種に及ぶ強制労働に加え、十分な医療を受けられないことに対する「抵抗」であった。(高田孝『日本のアウシュビッツ』谺雄二・ハンセン病国賠訴訟原告団(群馬)・同支援する会、2000/07/15、ほか)
1940年2月27日「国民優生法」成立(すでに断種が行なわれていた癩患者のほかに障害者・遺伝病者などへの断種法)。
1940年豊田四郎監督の映画『小島の春』長島愛生園…木下昌明の映画評論『病気もの映画の落し穴』(「中央評論」)は藤野豊『日本ファシズムと医療』(岩波書店)を引用しながら、国策として「癩患者にたいする隔離予防策が推し進められた過程は、日本が富国強兵策をとり、軍国主義へ傾斜していったことと呼応している」そして、この浄化と隔離のイデオロギーを絶対化するのに役立ったのが、光明皇后が癩者の体を洗ったとされる故事や貞明皇后による寄付金などの<皇恩>の強調であった」「つまり、この映画は、そのポスターの宣伝文句に大きく<崇高なるこの人類愛に泣け!>と書かれていたように、一見ファシズムとは対立するヒューマニズムの世界を描いているようにみえながら、隔離政策の内実や癩者の人権を無視していることによって、反ヒューマニズムのファシズムとむすびついた非人道的な医療体制の片棒をかついでいたのである」。丸山真男風に言うなら、これは、その時その場では本心であっても、全体としては「無責任の体系」となる歴史の弁証法の悲喜劇なのか。 http://www.dwell-info.com/bnt/t118b.html

第二次世界大戦後の1948年7月13日、国民優生法は 「優生保護法」として改正・公布された。1952〜1953全患協「らい予防法改正促進闘争」国会座り込み・全国でハンスト・デモ・機動隊と衝突。しかし光田健輔は、予防法闘争の考え方に反対し、隔離政策の必要性を力説する。「癩予防法」は特効薬プロミンの発明があったにもかかわらず、変えられなかったどころか強化された。戦後のほうが軍国主義時代よりもひどくなった。1952年藤本松夫冤罪死刑事件。1957朝日訴訟には全患協も連帯し、これは実質的勝利。しかし1981秋田市で母子心中事件など悲劇多数。1996癩予防法は廃止されたが、そのあともホテルの宿泊拒否や嫌がらせなど、依然として偏見と差別の根は絶たれていない。【※あの光田健輔がひどいだけでなく国民すべての意識下の優生思想の「世間の空気」のせいなのだ!私もあなたもそれを作っているのだ。】

1970年代に兵庫県や神奈川県を中心に、計42都道府県において「不幸な子どもを生まない」「健康な子を生む」「陽の当たる子育成」とのスローガンのもと優生政策が行われている。★『日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」』をはじめとする多くの障害者がこの思想こそが★「内なる優生思想」であるとして批判する。内なる優生思想とは、以前からある「優生政策=外なる優生思想」に対する新しい優生思想である。
★★★「現代の優生思想は我々一人一人の内部に深く染み込み、潜んでいる。」これを内なる優生思想というのだ。

[今日の問題]
胎児の羊水診断などにより、出生以前に先天的異常を発見できるケースはむしろ多くなって来ている。この場合の堕胎などの行為の是非が「新優生学」の立場から論じられるようになるなど、優生学の考え方は新たな議論の段階に入ってきており、決して過去のものとなったわけではない。
さらに、江崎玲於奈が2000年の教育改革国民会議で「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をする形になって行くだろう」と発言するなど、平等とは相反する人間選別に利用されるのではないかと危惧されている。また、遺伝子工学の発達や精子銀行の登場は、優生学思想の別の面での不気味な復活を予感させるものである。
そもそも我々は、「病気や障害を持たず、長生きし、安らかな死を迎えたい」と願い、それを自分の子どもにも当てはめようとする。実はそのこと自体が内なる優生思想の現れなのであるが、しかし、これを批判する人間は殆どいない。

最近、「産む産まないは女の権利」とする意見が多く出ている。そしてこれに反対する意見も多く寄せられている。そもそも女性がこのような権利を主張するようになったのには、現在までの男性偏重社会に対して反省を求めるという意味もあるのだが、しかしそれにしてもこの思想にはある重大な問題点がある。それは、『権利の裏には必ず責任がある』という原則を忘れていることだ。【※と言うか、そこを突かれてしまうと、次のようなことになってしまいかねない。】
アメリカでは、「胎児診断や、もっと簡単に行える出生前スクリーニングが広く行われるようになった場合、『障害児を産むのはあなたの自由だが、障害児の養育にかかる余分な費用については全額個人負担して下さい』というような行政判断がなされる可能性がある」という。これを受けて日本でも、「産む産まないを女性が決めるならば、その後の養育は女性の責任において」という意見がでてくる可能性は大いにある。また出生前診断を受け、産むか産まないかを決めるのも全て女性の判断に委ねられるということは、逆に言えば仮に先天性疾患を持つ胎児を中絶した場合、それによって非難されるのは国家でもなく医師でも夫でもない、中絶を判断した妻のみが非難の的になるのである。
こう考えると、「産む産まないは女の権利」という思想の危険さが理解できる思う。この思想は、『女にとって不利、男にとって有利、国家にとっては好都合』であるといえる。ただ言える事実は、それが選択的であろうとなかろうと、出生前淘汰そのものは胎児殺しであり、法的な殺人でないにしろ、殺人に極めて近い行為であるということである。

…「公共の福祉」とは「社会構成員全体【の一人一人の個人にいきわたるよう】に共通する福祉」を意味する言葉である。しかし実際に運用されたとき、社会全体に共通する福祉を追求するためには個人の権利は制限してもよいとの解釈がなされ、多くの悲劇が生まれ・正当化されてきた。「伝染病という危険な病を持つ者を隔離し、社会から遮断することは、即ち公共の福祉を守ることになる。強制隔離は、患者の人権を侵害することになるが、公衆衛生のためには致し方ない。」というわけだ。…「足尾銅山鉱毒事件」、各地のダム建設、【水俣病、数々の公害、原発、米軍基地、自衛隊基地、戦争・軍事】エイズ差別…。
…差別・偏見は、マジョリティーとマイノリティーとの関係から生まれ、公衆衛生の維持と公共の福祉との2つの根拠を以て合理性と合法性を得る。差別・偏見は社会に対する啓蒙という教育活動により、撤廃が可能ではあるが、一度生まれた差別・偏見の撤廃は非常に困難である。そこで、差別・偏見を生まない努力が求められる。
差別・偏見を生まないためには、単に過去の歴史を暗記するのではなくそこに隠された社会的事実を見出し、現代の社会を常に見守って行くことが必要である。そして、再びハンセン病の歴史を繰り返さない努力をすることが、今まで辛さと憎しみの中で亡くなっていった多くの患者に対するせめてもの償いとなるのではないだろうか。

―――優生学とは何か(論文「日本におけるライ対策とハンセン病政策」(全5章+結論)須田博一 
「etoile」のHome Page!! http://homepage2.nifty.com/etoile/hansen/frame.html 
―――仮想都市空間「次世代情報都市みらい」"情報の継承"〜医療・福祉用語の基礎知識 http://www.mirai-city.org/data/hospi.html 齊藤貴義(さいとう たかよし) http://www.mirai-city.org/pro/main.html#namae
―――優生学 Tetsuya Morishita  http://dict.threetree.jp/3/47517.html   などより。
◆SF映画『ガタカ』GATTACA(1997・米) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00024Z5J0/249-7647952-3686754  http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD30818/story.html
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【※手ポリオ近藤・勝手に雑記】
「現代の優生思想は我々一人一人の内部に深く染み込み、潜んでいる。これを内なる優生思想というのだ。」
・・・それは、私にもあなたの中にもあるのだ。自分のこととして受け止めよ。他人ごとや高見の安全圏に身を置いて、えらそうに、ニヒリズム、シニシズムに浸って見下ろしているんじゃないのだ。または、涙と同情で慈善ボランティアをやりながらも、上記のような出生前診断のようなことになると、それこそが偽善・欺瞞で、むしろ優生思想の差別・偏見を補強してしまうことになるのだ。表向きにはどこから見ても「いい人」としか見えないでそれをやるわけだ。そういうことも感じないでラブ&ピースなどとやっている鈍感な者たちが潜在的にはかなり多い。それは、反戦運動もまったく同じ構図なのだ。専門家や有識者のほうがそういうタイプは多い。専門家や有識者や、ましてや権力者・体制側の者など信用するな。すべては自分が、もっとも悲惨な側の人たちのその身になって考えてみろ。その悔しさ・苦しさ・つらさ、そして「怒り」を、自分の内発のものとして真正面から認めること。すべてはそこからだ。なぜなら、本当に怒りたい人たち、もっとも悲惨な人たちは一番怒れない立場にされているからだ。しかも、その生命、存在自体が否定・抹殺されようとしているのだ!私にも、ある程度はわかる。私が両手不自由のポリオ[※]の身障者だからだ!「生きるに値しない生命」。インターネット上ではどんな人物にもなりすませると言って信用しないならそれも良かろう。だがな、おい、五体満足のみなさまがたよ、こんなことでウソは言わないぜ。本当に怒りたい人たちが怒れるようにするために、一人でも多くの一般の人たちが、強い者へ、偉い者へ向けて、「怒りの声」を上げ連帯共同することが最も必要なのだ。何も暴力は必要ない。怒ればいいだけだ。心の底から怒れ!怒りまくるのだ!!また、もっとも悲惨な目にあっている人が、もし、追い詰められて暴力をふるってしまったとしても、それを責め立てることはしないようにしたい。責められるべきは、そんなことに追い詰めさせた世界や政府や社会の仕組みなのであり、それには私たち一人一人もかかわってしまっているのだ。何もかかわっていなくても、それですでにかかわっていることになってしまうのだ。なぜなら今、生きていて、何らかの形でかかわれるはずのことをしないからだ。「弱者の逆暴力」などと言って、弱い者いじめをさらに上から弱い者いじめをするほどひどいことはない!だから、社会的弱者の怒りをみんなの怒りにしなければならないのだ。マイノリティーとはそういうものだからだ。そして、その一人一人の内発的な怒りによって、政府や国会や権力や体制を包囲するのだ。この図式は、テロと戦争を一緒にしてはいけないということにつながる。報復の連鎖ではない。テロとはなぜ行なわれるのか?どんなに追い詰められた状況なのか?誰がどんなやり方で追い詰めているのか?なぜテロと言われてしまうのか?みんなからテロリストのレッテルを張られることで、なお追い詰められて、行き場をなくされ、怒りや憎しみや絶望感をさらにつのらせ、一層、残虐と言われてしまうようなことをしなければならない状況に、追い詰めて行くのは誰なのか?それなのに本当に怒りを出してはいけないのか?おとなしくおだやかにお行儀よくしていなければいけないのか?それをやらないのが日本で、怒る代わりに自殺に追いこめられる。だから日本は自殺者が年3万人を超えるのだ。怒りを否定するとはなんなのか?へりくだるべきはどっちか?どっちにとって都合がいいのか?本当に戦争や差別・迫害・偏見・虐殺・弾圧・圧制・専制・隷属をなくしたいのなら、怒りの伴わない運動などありえない。それなら運動する必要性がない。または、必要性や緊張感・切迫性を感じさせられない。始めには、怒りがあったとしても、それを沈静、消去させる運動など、運動の敵である。怒れ!怒れ!!心が怒りの炎で焼き尽くされるまで徹底的に怒りまくれ!!!!!!ただし、断じて、官製(政府や体制公認)の怒りや世間の空気に乗った怒りではない。ひとりで自分の中から沸き起こる怒りだ。そういう怒りを否定するな!それが優生思想への対抗になるのだ。涙ではない。愛や正義ややさしさや思いやりや倫理や道徳や安心やおとなしさやまともさなどではない。それらでは劣性同士で相憐れむか、優生が劣性を高見から見下ろしたお恵み・施し・お情けに過ぎず、偽善・欺瞞に吸い取られ、うわべのきれいごとのたてまえの運動になり、優生思想の温存・補強になってしまうばかりだからだ。せいぜい、目先の利益を与えられることでごまかされる。すべては、根底を変えなければならない。もともと人間には優劣など付けてはいけないのだ。それには、怒りだ。今の基準で言われている優生の者たち、強い者、偉い奴に向かってこそぶっける怒りの復活こそが、今もっとも必要なのだっ!三浦朱門が喜んでいる。「非才、無才にはただ実直な精神だけを養ってもらえばいいんだ」(フフフフ・・・)。
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http://www.rivo.mediatti.net/~nanya/kouhan-5.html
ハンセン病の「冬敏之さんの意見陳述」 2000年1月18日 (全文は上記URL)
…私は、一九三五年二月に愛知県で生まれ、一九四二年九月、国民学校二年生の時に父と二人の兄と一緒に、ハンセン病の多磨全生園(※東京)へ夜汽車で強制収容されました。…(中略)…
私には、今も忘れられない痛切な思い出があります。最初に申しましたように、私には二人の兄がいました。すぐ上の兄は五歳年上でしたが、入園後、家族と引き離され、少年舎での慣れない共同生活と、子ども同士のいじめなどが原因で体調を崩し、一九四四年二月一日(※真冬)未明、鉄格子のはまった精神病棟の一室で凍死しました。   
病室とはいうものの、火の気はなく、三畳ほどの板張りの個室には、三〇センチ位の鉄格子の窓が一つあるだけで、一日中日も射さず、入り口の重い引き戸には、小さな覗き窓がありますが、戸にはいつも鍵が掛けてありました。その辺りでは、一二月ともなると、夜には室内でも零度近くになります。患者の看護人が、夜中に一度見た時は異常なかったとのことですが、園内一面に霜の降りた寒い朝、兄は黒ずんだ床の上で、全裸で死んでいたのです。痩せ細った体を丸め、手足を縮め、息絶えていました。報(しら)せをきいて私がかけつけた時、兄の遺体にはうどん縞の袷(あわせ)が掛けられているだけで、腰の辺りの床はオシッコで濡れていました。私より八歳上の長兄が、声を殺して泣いておりました。…(後略)
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こういう気持ちを、そのとおりの立場になって、怒りと憎しみと悔しさの極地まで味わいつつ、それでも、怒るな憎むなとぐっとこらえながら、国や社会を変えて行こうと前向きに行動していこうとしていたという気持ちをわかれ。これは過去のことではない。現在も差別や偏見はいたるところで続いており、そのほかのことでも、ひどいことがいっぱい起きている。
その究極の気持ちにもならずに、まず、明るく楽しくやりましょねなどと、軽はずみに言うものではない。そんなことをしてどっちがトクすると思う?この気持ちを心底わかって、その気持ちを持ちつつ、怒りを込めた運動をしていくべきであり、それを事実を直視せず、気持ちもわかっていない者が、明るく楽しくラブ&ピースばかりを押し付けるか、蔑視のまじった同情でお涙ちょうだいの泣き寝入りのようにすることほど、はぐらかしであり、他人ごとにしか捉えていないということであり、そんな残酷なことはない。特に、死んだ人、いや、殺された人の気持ちを考えろ。その人たちはもう、ものも言えない。怒ることも出来ない。それを言えるのは今生きている者たちだけだ。
 
ここで再度「青い芝の会」の綱領を掲載しておきます。 http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/990.html
《 全国「青い芝の会」綱領 》日本脳性マヒ者協会・全国青い芝の会総連合会(障害者の水平社宣言)
一、自らが脳性マヒ者であることを自覚する
一、強烈な自己主張を行う
一、愛と正義を否定する
一、われらは、健全者文明を否定する
一、安易な問題解決の路を選ばない
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【参考資料】
■チャールズ・ロバート・ダーウィン(1809〜1882) http://dict.threetree.jp/37/17593.html
・ダーウィンとその時代 http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/kurimotoUniv+.html
・進化論(Theory of evolution) http://dict.threetree.jp/37/17588.html
・進化 http://dict.threetree.jp/46/22025.html
 〜19世紀頃は、進化は進歩と同義であった。その頃はヨーロッパではフランス革命や啓蒙思想などの普及によって、人間社会が発展のさなかであり、多くの人がそれが生物の進化と同じものであると主張していた。20世紀には、社会的、文化的変化が進歩と厳密に同義であるという考え方は多くの社会科学者から受け入れられないものとなっている。また現在では一般的に、ダーウィンの進化の説明の解釈についても、生物の変化は進歩とは異なるものとして捉えられている。
・社会進化論(キリスト教社会主義者ハーバート・スペンサー) http://dict.threetree.jp/62/84680.html
・自由主義的国家(リベラリズム)/夜警国家 http://dict.threetree.jp/23/10312.html http://dict.threetree.jp/57/26634.html
 〜レッセ・フェール(自由放任)主義の元で、国家の機能を安全保障や治安維持など最小限にとどめた…   
■フランシス・ゴルトン(1822〜1911) http://dict.threetree.jp/14/102550.html
■グレゴール・ヨハン・メンデル(1822〜1884) http://dict.threetree.jp/18/7870.html
■カール・ハインリッヒ・マルクス(1813〜1883) http://www.google.co.jp/search?q=cache:JHdY-YEarMIJ:www.cs.kyoto-wu.ac.jp/~bakos/bakos/marx.doc+%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9&hl=ja%20target=nw ほか多数。
・「カール・マルクスとその亜流の暴力革命思想への徹底批判」木村愛二 http://www.jca.apc.org/~altmedka/marx-hihan-10.html
・「日本共産党犯罪記録」木村愛二 http://www.jca.apc.org/~altmedka/pro-series.html
■ヘレン・ケラー(1880〜1968) http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/354.html
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〜どんなに素晴らしい学問や思想や哲学や奇跡や宗教などを言ったりやったり書いたりした人のことでも、生きた「生身の人間」として見るべし。欠点や短所もあれば、実生活での生きざまや、その同時代を生きた人々との関係や、その時代の世間の空気・日常の価値観などが影響する。今の時代に当てはめるには、そこをわきまえて、現代に翻案した上で使わせてもらえばよいのだ。丸ごと全部あがめたてまつることはない。(丸ごと全部けなすことでもないけどね。)だから、私のような幼稚で未熟なドシロウトでも、なにもひるむことはない。私のような者がやること自体が、優生思想への対抗になるのだ。優勝劣敗・弱肉強食ではない世の中。この世に一人たりとも神聖にして侵すべからざる者などを作ってはならない。聖者・偉人・聖人君子などいない。すべては、ただの「人」なのだ。そういうことをまず、今いる偉い者・強い者に向かって身内でも実践すること。
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[※]ポリオ(POLIO)=脊髄性小児麻痺、急性灰白髄炎
http://www003.upp.so-net.ne.jp/manao/textE
ポリオで両手の障害は少数者。普通は足の麻痺の人が多い。手でも片手だけとか。
私は手の障害と言っても、指から手首から腕から肩・胸のあたりまでだ。両方の腕がだ。
服を着てるとわかりにくい。脱げば、上半身は骸骨の如し、骨皮すじエモンって奴だ。ビアフラやエリトリアなどのアフリカの飢餓でやせ細った子供たちの写真のような感じだ。その格好をさらけ出して8年前まで約15年間、銭湯に通っていた。今は風呂付の部屋に引越しできた。
私の右手は多少使える。字も書けるし、箸も持てるから、日常生活は、人とは少しやり方は違うけど、いろんなことが、かなりできる。たとえば、パソコンは、文字を打つのには、IMEパッドという、画面に小さな文字盤が出るのを、マウスで、右手と右足とを組み合わせて、狭い範囲で動かせば、やりやすく字が打てるのだ。最近は右手はこんなことばかりしているから、指が痛くなり、足も引きつり、ポリオの二次障害「ポストポリオ症候群(PPS)」というのが進む。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~polio/ 
さらに、精神的にもまいって精神科に行くし、胃腸も悪くなり、はらくだりもするのだ。「ゲリラ・クヨクヨ」という自分であだ名をつけた障害者の人がいたそうで、その人もいつも下痢してクヨクヨしてたそうだ。その人は、金満里さんの「劇団態変」の人で、その始めのころに、劇団を続けるかどうかの決定の決断をしてくれた人だ。筋ジストロフィーで、その直後に、若くして死んでしまった、と金満里さんの本に書いてあった。その人のおかげで、今もこの劇団はあるのだ。
私の左手は全然ダメ。何もできません。でも一番大事な左手。左手の服のすその上に「CHE」のバッチを付けています。
・・・最近、若い人…とも限らないけど、「ポリオ」と言っても通じない人が多い。しかも、障害者の中で、そういうことがある。これは、ひとつには、1960年のポリオ生ワクチン輸入の大運動のおかげで[映画『未来への伝言』と映画『われ一粒の麦なれど』と1960ポリオ生ワクチン輸入運動と現在 http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/400.html ]、それ以後に生まれた日本にいる人にはポリオはなくなったからです。もう一つの理由は、昔は、ポリオなどとは言わなくて、単に「小児麻痺」と言っていた。だから、主としては、40代以下の人に、しかし、それより上の人でも、ポリオという言葉があまり広まっていないのかもしれない。過去の歴史、それも、かなり大運動が全日本的に盛り上がって繰り広げられたのに、ほんの40年前のことが、ちゃんと語り伝えられていないのには、愕然とさせられる。たかがポリオでこうなんだから、これが、戦争や、反戦運動、安保闘争、大学闘争、全共闘などは、ろくに伝えられてないことは、簡単に推測できる。現代はインターネットでこれらのことは、いくらでもすぐに調べることが出来る。しかし、情報はやたらと集まっても、そのときのナマの空気、たとえば、60年安保の熱気、つまり、国会議事堂を取り囲む30万人の群集やそれと同時期に行なわれていた三井三池闘争「総資本対総労働」と呼ばれた史上最大の労働闘争とが連携し、労働闘争が反戦平和運動と自分たちの労働や生活とが一体となって運動に参加していた時のその雰囲気や、1968年の世界同時革命と言われた時代の東大・安田砦などでの、精神的な高揚と、その時の考え方、気構え、感覚、時代の雰囲気、つまり、日常性を破壊せよ!価値観の否定!既存秩序は支配秩序!既成秩序の破壊!人民の叛乱!既成秩序維持によって守られていた幾千万の神話を破壊せよ!自己の日常生活を温存したまま進められるものと考えない! http://zenkyoto68.tripod.com/imaik02.htm ・・・な〜んてなことの空気がどこまで伝わっているのかも、多分、ほとんど、絶望的なものがあるように思う。現に、私はその世代よりも10年ぐらいあとの世代だから、子供としての記憶はあれど、本当の意味は知っていない。さらに、ましてや、ダーウィンだのマルクスだのアダム・スミスだのの時代の空気など、本や情報を今の感性で読んでも、つかみきれないものがあるように思う。実際、マルクスにしても、そんなに丸ごとカリスマ的にあがめられていたわけでもなく、当時の文化人サークルのいろんな人たちの思想・主義・主張の一つに過ぎなかったのではないのか?現在の2004年のいろんな人がいろんな説を言ってるように、そのときのナマの生きた人間・同時代の世間の空気というものと合わせて考えないと、とんでもない操作に落とし入れられる気がする。誰でも、短所もあれば長所もある、ウンコもたれれば、心の奥底では、セックスもしたい、ただの人間なのだ。本音をごまかすな!ありのままの生きたナマの生活者としてすべて、たとえどんなに偉いといわれる人に対してでも、それを当てはめて考えろ!キリストもブッダ(ゴータマ・シッダールタ)も、誰でもみんな、ただの「人間」なのだ。それは、日本では特に「天皇」についてそう考えることが最も重要なのだ。この世の中に、過去の人でも、一人たりとも、「神聖にして侵すべからざる者」などという人間を作ってはならない。特に偉い奴らこそだ。すべては、ナマの人間として、その時、人間のひとりとして生きていたのだ。ふぅ〜。(つづく)
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【次回予告】シリーズ・現代の優生思想との対決(9)ダーウィン革命は人文・社会科学にどのような影響を及ぼしたか
・・・もう少し、基礎をやります。私はあまりにも未熟者。いろんなことを知らなければ…。なんだか、マハラバ村で大仏空和尚(おさらぎあきら おしょう)の話を聞く追体験をしているみたいな感じ。そうして「青い芝の会」の思想・綱領が出来上がったのだ。次回は「青い芝」を少し離れて、学者の態度・姿勢について、など。(つづく)

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