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(回答先: 混合診療:民間メンバー、解禁を要求−−経済財政諮問会議(毎日新聞) 投稿者 シジミ 日時 2004 年 11 月 17 日 22:42:11)
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2581dir/n2581_04.htm
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2583dir/n2583_06.htm
第2581号 2004年4月19日〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第37回
「公正な医療資源の配分をめざして(1)」
李 啓充 医師/作家(在ボストン)
市場原理と不正義
現在,医療における配給の典型は臓器移植における臓器配給である。市場原理派の人々が主張する,「医療にも市場原理を厳しく適用することが正義である」とする原則を演繹すれば,臓器の配給も「臓器売買(オークション)」で行なうのが正しい施策となるのだろうが,現在,先進諸国で,臓器売買を許容している国は存在しない。死生観など文化の違いがあるにもかかわらず,臓器売買は許容できないということでは誰もが一致しているのである。生死の分かれ目の決定を市場原理に委ねることは著しい不正義であるという共通認識があるからに他ならない。
臓器売買が不正義であることに合意できるのであれば,人工腎臓,人工心臓を競売にかけるということが不正義であるということにも,容易に合意できるだろう。人工臓器にとどまらず,生死に関わる医療・身体の重要な機能に関わる医療については,これを市場原理に基づいて配分することは著しい不正義となることは,論を待たないのである。
しかし,なぜか昨今の日本では,「混合診療解禁」の名のもとに,「高い価格を払った人だけに必要な医療へのアクセスを許すことが正義である」という意見が声を強めている。さらに,総合規制改革会議がその代表であるが,混合診療解禁を唱える人々は,単に市場原理が正義であると主張するにとどまらず,「企業のビジネスチャンスを拡大しろ」と,医療を「corporate greed(企業の欲望)」に曝すことをめざしているだけに,呆れざるを得ない。
http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2583dir/n2583_06.htm
混合診療の解禁が意味するもの
市場原理派の人々は「価格を支払う意思のある人をアクセスから排除することは悪である」と「配給制」一般を否定し,価格原理に基づく資源の配分が正義であると主張する傾向がある。しかし,価格原理に基づく資源配分は,財力がない人々を資源の配分から排除する「価格に基づく配給」に他ならない。「混合診療の解禁」を主張する人々は,混合診療の解禁とは,実は,財力のない患者を必要な医療から排除する「価格に基づく配給制」を医療に導入することに他ならないという基本が理解できていないようである。
一方,市場原理派の人々が配給制を好もうと好むまいとにかかわらず,現実の医療は,小は医師の診療時間の配分から大は臓器移植の臓器配分まで,さまざまな配給制の下に運営されている。例えば,医師の診療時間の配分であるが,金持ちの患者には長い診療時間をかけ,そうでない人には短く,などとしている医師など世の中に存在しない。重症患者,処置に手のかかる患者には長い時間をかけ,軽症の患者には比較的短い時間でと,患者の「医学的必要度」に応じて有限である自分の労働時間を配給しているのである。
また,臓器移植にしても,血液型,組織適合性,移植を受けることの必要性など,「医学的メリットの大きさ」が配分の基準であり,臓器配分の優先順位を決める際に,レシピエントとなる患者の財力・社会的地位が入り込む余地はない。臓器配給の例でも明らかなように,社会が合意できる合理的なルールの下で実施される限り,医療における配給が不正義となることを懸念する必要はないのである。
社会が合意できるルール作り
換言すると,医療全般における配給制の是非を論じること自体に意味はなく,個々の医療について,どのようにして社会が合意できる配給のルールを作るか,そのための仕組みを用意することのほうがはるかに重要なのである。
例えば,仮に人工心臓が実用化された場合に,適応のある患者すべてに人工心臓を配分することは保険財政的には不可能であろう。しかし,保険財政的に不可能であるからといって,「人工心臓は高いので保険外診療とし,混合診療で他の保険診療と組み合わせる」方法がなぜ著しい不正義となるかについては,もう説明の必要もないだろう。保険財政が限られているのなら,どういった条件の患者に優先的に人工心臓を配分するのか,臓器移植のレシピエント選択の優先基準に準じる形で社会が合意できるルールを作り,そのルールに従って配給を実施する以外に方法はないのである。
人工心臓に限らず,将来的に保険財政がいよいよ逼迫した暁には,高額医療の配給とその仕組み作りについて,真剣に考えなければならなくなるだろう。