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私は貝になりたいと今の反戦運動とひきこもりと怒りをうたえ
http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/154.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 10 月 08 日 02:05:44:HcDLIonJaW4jM
 

「ふさえ、賢一さようなら お父さんは二時間ほどしたら遠い遠いとこへ行ってしまいます。
もう一度逢いたい、もういちど暮らしたい・・・・
お父さんは生まれ変わっても人間にはなりたくありません、人間なんていやだ。
もし生まれ変わっても牛か馬の方がいい。
いや牛や馬ならまた人間にひどい目に逢わされる。
どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ深い海の底の貝にでも・・

そうだ貝がいい。
貝だったら深い海の底でへばりついていればいいから、なんの心配もありません。
深い海の底だったら戦争もない、兵隊に取られることも無い。
ふさえや賢一のことを心配することもない。

どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は貝になりたい・・・・・」

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/8207/kai.htm
http://zongeria.hp.infoseek.co.jp/natukasi_tv/kai.html
http://www.oct.zaq.ne.jp/poppo456/index.files/b_kaini.htm
http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/1996_01/960127.html
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393441532/ref%3Dsr%5Faps%5Fb%5F/250-2276401-7280230
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【TV「私は貝になりたい」1958年:その時代と今】
近年、テレビでリメイクされたのを見て感動したという人は、ただちに元の作品を見てください。
情緒性においてまるで比較にならないくらい、『オリジナルのテレビ作品』「サンヨーテレビ劇場 私は貝になりたい」
(白黒・1958年10月31日・フランキー堺)のほうが、胸に迫るできばえであることに気がつくでしょう。
旧作のほうのビデオやDVDは出ていないようですが、横浜のここへ行けば→ http://www.bpcj.or.jp/ 誰でも見られるそうです。http://www2.city.yokohama.jp/GNLREF/owa/search_lists.cgi
なお、物語・その他の内容は上記の書くサイトをご参照ください。
(また、その映画版は1959年・白黒・フランキー堺。でも、元祖テレビ版が一番いい。)

なお、上記のサイトのひとつの中で説明されていたことで、後半の生放送部分がVTRも残っていたのは、
TBSが録画を残したのではなく、ネット局の大阪・ABC朝日放送(大阪テレビ放送)が、
たまたま購入したばかりの放送局用の新型VTRを試しに使うとき、この作品が芸術祭賞出品作品だから
録画しておこう、というようなことで残していたらしい、芸術祭の審査員には、生放送のテレビを見れるところに
来てもらったそうだ、というのを、昔どこかで読んだ気がする。

1958年当時の大阪のテレビ局名は「大阪テレビ放送(OTV)」=
「ABC朝日放送ラジオ」+「NJB新日本放送ラジオ(現・毎日放送MBS)」との2つのラジオ局との合弁で、
1つのテレビ局OTVをやっていたそうだ。ラジオは別々。へんなの。
また、東京のTBSは、当時KRT(株式会社ラジオ東京:KRラジオのテレビ局"KRT")、
呼出符号JOKR−TV、チャンネル6、映像出力10KW、音声出力5KW。
1960年(昭和35年)11月、株式会社東京放送と商号変更し、"TBS"を略称とする。

昔はクロスネットと言い、今で言うところの、毎日新聞系JNNのTBSと、朝日新聞系ANNのABCが、
ネット提携していた。1975年までねじれていた(いわゆる腸捻転騒動)。

…そういう時代だったのだ。敗戦からまだ13年。朝鮮戦争休戦協定が成立1953年7月27日から5年。
日ソ国交回復1955年から3年、シベリア抑留最後の帰還兵1021人を乗せた帰還船が舞鶴港に入港した
1956年12月26日から2年後、1960年安保闘争2年前。

人々の記憶に強く焼きついていた戦争の悲惨な記憶、
また、直接、身近な日常生活に影を落としていた戦争の影響。

2001年10月1日から、TBSは、JOKR−TV→JORX−TV、呼出名称も「東京放送」から「TBSテレビジョン」に変更。
衛星デジタルハイビジョン高画質ワイド画面・多チャンネルマルチメディア、M−PEG2・AAC、EPG、
音声ステレオハイファイ5.1ch.ドルビーサラウンド、実際は音声8トラック放送、8ヵ国語放送、デジタルラジオ、
ビデオオンデマンド、ペイパービュー、複数言語字幕選択放送、クローズドキャプション、
有料チャンネル、巨大スポンサーCM、番組・CM連動データ放送、独立データ放送、双方向インタラクTV、
センターアクセス、SKY PerfecPC、DirecPC、インターネット連動?BMLとHTML、
epステーション終了・完全失敗、ざまあみろ。
BS東経110度・CS124度&128度・CS110度・ディレクTVの取り込み排除、ヒューズ、マードック、
三井三菱住友安田伊藤忠などなど巨大軍産複合グローバルキャピタルコングロマリット衛星ビジネス、
赤道上空3万6千q(35,786km)、南南西に開けた場所のみ、大雨・大雪・厚い雲、ブロックノイズ、モザイクノイズ、
地震等でアンテナの位置が少しでもずれたら「0」か「1」のデジタルだから映るかまったく映らないかのどっちか、
フリーズ画面、リセット、緊急災害情報不可能、アナログならノイズは多くなっても何かが映り聞こえる、
アナログ放送は2011年をもって終了する問題、
CATV、地上波デジタル、オプティキャスト、ケーブルインターネット、VoIP電話、ケータイ・モバイル移動受信テレビ、
Ti-vo、ハードディスクレコーダー、DVDレコーダー、D−VHS、ハイブリッドレコーダー、
IEEE1394、ランダムアクセス、録画中も追っかけ再生、ソリッドステートデジタルボイスレコーダー、
著作権・放送権、B−CASカード、C−CASカード、ICカード、CPUカード、スイカ、住基ネット、
MP−3(MPEG−1 Audio Layer 3 非可逆圧縮フォーマット)、ナプスター、
デジタルコピーガード、コピーガードキャンセラー、エンコーディング:カントリー・リージョン、
光ファイバーブロードバンド、ストリーミング映像配信、ビットレート、アップスキャンコンバーター、
家庭テレビとパソコンディスプレイの映像周波数帯域の変換、パソコンとテレビとの融合、通信と放送の垣根をなくす、
個人で世界へ発信可能?世界の放送が個人で見られる?
日本でアルジャジーラの個別受信は難しい。技術的・経済的には簡単に可能になるはず。全地球衛星ネット伝送。
衛星は軍事、インターネットもアーパネット軍事、GPSも軍事、マイクロ回線も軍事、
エシュロン、カーニボアー、サイバークライムトリーティー、エネミー・オブ・アメリカ、盗聴法、
有事法制・指定公共機関・放送局、・・・

技術はすさまじい進歩なのに、見たいものはほとんどやらない。
戦前から昭和25年までは、日本放送協会のラジオのみ。大本営発表。
多チャンネル・マルチメディアになっても、それとほとんど変わらない。アメリカ大本営発表。
人間のテレビではない。もう元の「私は貝になりたい」のようなものはできない。
弱き者・小さき者・名もなき者・虐げられた者の本音の
怒れる嘆く声・心を映すような放送はできない。
あたりさわりある、シンキクサイ番組などやれるわけがない。
そういうことを直視したり掘り下げたりしては、いけない。
首がかかってしまう。生活が破綻させられる。なにも考えるな。
怒りを発散させる材料は、政府公認のものをいくらでも提供してあげるから。
反戦・福祉運動でさえ、そういうことのかけらも触れようとせず、
または触れたとしても、精神訓話や手続き論で穏やかにするように押さえつけ、
明るく楽しく愉快に、たいして深刻には見せようとしないのだから、
または、もし、深刻なことを扱ったとしても、
直接関係ない遠い国や、遠い昔や、特殊な人たちの中のことなどにして、
それをお情けで“まともな方向”にするように、お救いしましょうにしているようだから、
ましてやテレビが触れられるわけがない。
それよりも、いつも明るく楽しく愉快な番組をやっていれば楽だわ。ハッピー、ラブ、ピース!

自然界はアナログ。端数を切り捨てない。割りきれないで永遠に続く数字や概念もある。
くたばれ、微分積分著作権。
しかし、デジタルだからできることも多い。この掲示板自体もデジタルもの。
どこまで活用するかは、バカとハサミとデジタルは使いよう。
デジタルをアナログの心で使うべし。
テレビもパソコンも、しかり。
ビデオジャーナリスト、アジアプレスネットワーク、ビデオアクト、ビデオプレス、ビデオニュース・ドットコム・・・
Fucking Copyright, Just Copyleft ! http://mayday.nodong.net/2002/html/media_music.htm

なお、現在、OTVと言えば、沖縄テレビ放送のことである。http://www.otv.jp/
[ご参考]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%94%BE%E9%80%81
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%94%BE%E9%80%81
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%8E%E6%97%A5%E6%94%BE%E9%80%81
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【付記1・今の叛戦運動】
「私は貝になりたい」・・・けっ。どうせ、つねに、くだらねえチャチャを入れる奴らが、いつもいる。
貝になっても、潮干狩りなどで、人間に取られて食われるとか、
環境汚染で深い海でも生きていかれなくなりつつあるとか、
そんなふうに、こういう「比喩」「もののたとえ」を
使っているのではないと、わかっているくせこきゃあがってよ、へっ。
こういう、深い深い、苦悩や、悔しさや、憤りや、絶望感や、やりきれなさ、
という気持ちを真正面から触れたくなくて、オチャラケにする奴らがいる。
ダサイ・ウザイ・シンキクサイ・ネクラなどとレッテルを貼って、排除・抹殺する奴ら。

しかし、むしろ、こちら↓のほうが、たちが悪いだろう。
こりゃあ、かわいそうだねえ、二度とこんなことにならないような世の中にしなくちゃねえ、
戦争はイヤだねえ、だから反戦ウン動に取り組みましょうね、という程度の奴ら。
そういうやからが、他人ごと・昔のこと・遠いよその国のこと、あるいは、
慈善運動・偽善運動・余暇活動・趣味・片手間仕事・自己の自尊心満足運動・
自分を高みの安全圏に身を置いて今現在の生活状況を肯定しながら行なうお助け運動、
などに、すべてをしてしまう奴ら。
そういうこと自体が、戦争構造を裏から肯定し、両面から作り上げ、補強しているのだと気がつかず、
それで反戦しているつもりになっている奴ら…。ラブとピースのお花畑で、お月さん、こんばんわ。

今、すでに多くの人たちが、貝にさせられている。
ドンパチやる戦争ではなくても、貝にさせられている多くの人たちがいる。
そのままで、生まれ変わらなくても、人間のまま、生きたまま、貝人間にさせられている。
もしかしたら、チャチャを入れてくる人たちの中にも、そういう心・気持ちがいっぱいあるのに、
真正面から出せなくて、そのはけ口として、オチャラケにしてしまう人たちも、いるのかもしれない。

そういう人たちが、本心の叫びを、口を開いても、いじめられないような世の中にすることが、
叛戦運動であるはずだ。
一番、口を開きにくい状況でこそ、大きく口を開いて、大声で、
「いやなことは、いやだ」、
「怒りたいことは怒りまくる」、
「ダサイ・ウザイ・シンキクサイ・ネクラが、なにが悪いか!」
と言えること、
それができれば、貝から人間に戻れる。
それを、一番硬く閉ざされている貝こそが
一番口を大きく開けている奴らに向かって、口を堂々と大きく開き、
怒りを真正面からぶつけ、たたきつけることができる人間になれる世の中にしなければいけない。

人間に貝のような殻(から)をつけさせるもの、特に上の者・偉い者に向かうとき、殻をつけさせるもの、
…それが道徳・礼儀・節度・倫理・お行儀・遠慮する・へりくだる・謙虚になる、などなど。
つまり、服従・隷属・屈服・こびへつらう・寄生する・お情け・お恵み・お願い・お助け・
お世話になる・面倒をおかけする、などなどのこと。
面など倒せばいい、世の話をして、なにが悪いか。

今、現に、一番簡単に口を大きく開いているやから、
または、口は開いていないように見えても、いや、見えなくして、
その意向が・思考が・言葉が、威力を示しているやから=影の勢力、
これらを闇から引きずり出し、こちらが口を開き、大声で、こちらの言葉を使えるようにすること、
平和・人道・福祉・人権・自由・解放・民主・道徳・倫理・節度などは、我々の基準を向こうにこそ、
守らせるべきものだ。
こちらは強い側・偉い側への節度や礼儀などを、向こうの作る基準で守る必要はない。
まったくかけらも、さらさらない。
そういう強い側・偉い奴らのほうにこそ、「私は貝になりたい」と思わせるようにすること。
永久に、偉い奴ら・権力者どもは、貝になればよい。
私が貝になる必要はない。
そういうやからが、貝になればよいのだ。
我々が奴隷になるのではなく、奴らこそ奴隷にして、こき使えばよい。
こういうことを認めようとしない奴らも、すべて、すべて、貝になればよいのだ。奴隷になりな。

殻(から)を開けて、口を開いて、言葉を取り戻すには、
明るく愉快に楽しく元気に、清く正しく美しく、ではだめである。
それでは、向こうの価値基準、言葉の「うわべの建前のきれいごと」のワクに、
すべて吸い上げられ、溶け込まされてしまう。
こちらの言い分は、汲んでもらって、通ったことにされてしまう。

それに、そんな、明るく愉快に楽しく元気に、清く正しく美しくの世界は、
悩み事や、いやなことや、あたりさわりのあることなどは、
言い出しにくい雰囲気にされる世界になるだけだ。

明るく楽しく愉快な世界とは、
弱い者は、いつまでたっても、痛いとか、イヤだとか、おかしいとか、言えない世界。
そういうこと言うと、ダサイ・ウザイ・シンキクサイ・ネクラ・クドイ・シツコイ・ネンチャクシツ…。
あるいは、言うときには、穏やかな言い方で正式な手続きを取って秩序正しく言いましょうね、
などというようにされて、
悩み事や、いやなことや、あたりさわりのあることなどは、本音の心境を何も出させない世界。
それでも、明るく愉快に楽しく元気に、清く正しく美しくの、わきあいあいを演じさせられる世界。
悩み事や、いやなことや、あたりさわりのあることなどは、何もない世界。

なんて、すばらしい、せかい!
♪ I see trees of green, red roses too. I see them bloom for me and you. And I think to myself,
...What a Wonderful World !? Good morrrrrr...ning, Vietnam!
http://www.ompersonal.com.ar/omcafe/wonderfulworld.htm
(↑Click on PLAY to listen, this song by Louis“Satchmo”Armstrong)
(↑ルイ・アームストロングの画面下の、一番左側のボタンの、○の中に三角があるところをクリックして、
○の中が、‖ になれば、勝手に歌が聞こえてきた。CDなど買わなくてもすむ。)
http://www.eflclub.com/2songs/wonderfulworld/wonderfulworld1.htm
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000066A5M/250-2276401-7280230
What a new world order! brave new world...

殻(から)を開けて、口を開いて、言葉を取り戻すには、トーゼン、
怒り・憎しみ・恨み・妬み・僻み・嫉み・むかつき・キレル・苛立ち・憎悪・ひねた・
ダサイ・ウザイ・シンキクサイ・ネクラ・クドイ・シツコイ・ネンチャクシツ・ユーウツ・
誹謗中傷・罵詈雑言・暗い・おぞましい・陰険な・陰湿な・邪悪な・醜い・見苦しい・
歪んだ・汚らわしい・むごたらしい・いやらしい・恥ずかしい・失礼な・荒ぶった・荒々しい・
毒々しい・牙をむいた・刺々しい・そういう心にさせるもの・復讐心を持たせる気持ちの元・・・
などなどを、その気持ちになりきる状態になり、その実態と根源を、真正面から見つめ、
そして、そのとおりの言葉と行動で、本音の心境を反対運動として示していかねば、
土俵、価値基準、言葉の意味を取り返すことはできない。人間を取り返すことはできない。
それでなきゃ叛戦運動じゃない!
なぜ、ああも、明るく楽しく愉快におとなしく穏やかに礼儀正しくお行儀よくあたらずさわらず、
心の棘も毒も牙も抜き、清く正しく美しいよい子よい人であるように見せかけようとするのだろうか?

人間は、貝ではないし、貝になる必要もないし、心に殻(から)を付けることもない。
心の殻を取り払い、ありのままの気持ちを出せるようにしないのか?王様も、みんなも、みな裸。
ストリップこそ反戦ウン動か?いや、温泉だろ?「いい湯だな」?かえるさん、熱いですよ。
服は殻(から)ではないわいな。心の殻(から)を脱ぎ捨てろと言っているのだ。
心の殻って、なんだろう?心が、いい湯って、どういうことかな?

そういうことを、どこでも、押さえられ、言えなくされ、言ったとたんに無視・排除されてしまうから、「私は貝になりたい」。
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【付記2・こんなことを調べたりするので、アスペルガー・シンドローム。】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
http://ja.wikipedia.org/w/wiki.phtml?title=%E8%87%AA%E9%96%89%E7%97%87&action=edit§ion=5 
これ↑読むと、ピッタリあてはまってるわいな。アーメン†。
こうして、「反社会的人格障害」という病名が公的な医療用語として作られ、公式な診断書に書かれ、
戦争権力構造にまともに反対する者は、正式な手続きを経て、精神病院に、一生放り込まれる。
そういうことは、すでに、1977年横浜米軍戦闘機墜落事件の被害者の女性の例を始めとして、数限りなくある。 http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/962.html
「戦争と精神障害者(身体障害者の記述も含む)」http://www.asyura2.com/0406/war60/msg/404.html 
http://www.asyura2.com/0406/health9/msg/122.html  など。
または、回復(転向)したふりをして、おとなしく、しつづけれれば、
外に出られるかもしれないが、二度と反戦・政府批判などには、かかわれないだろう。
外に出ても牢獄と同じ…。「獄中と獄外は同じ〜うなぎ屋」 http://bridge-inc.net/catalogs/inun/wc044.html  http://www.asyura2.com/0403/ishihara8/msg/491.html
しかも、まわりも自分がキチガイの仲間だと思われたくないから、誰も助けてはくれない。

が、しかしだな、今の反戦運動のメンタリティーでは、とてもそういうことに反論できないのみならず、
自ら、世間の目と同じレベルで、精神病のレッテル・スティグマを貼られるのを怖れて、避けて、
つとめてお行儀よく、穏やかに、“まともに”振る舞おうとし、また、させる。
もし、わかっている者がいても、学術的・評論家的なことを言うだけで、
運動の実践に結び付けようとは、決してしない。態度・行動で示さない。自分のこととして取り組まない。
キチガイと思われるのを恐れていやがる。ご立派な偉い専門家の先生さまとか、
いわゆる、まともな反戦運動団体の、ご立派ないい人たちだものね。“まともな反戦運動”???
なにがまともで、なにが精神障害か?それを考えるだけでも、戦争の本質が見えてくる、
世間の空気との関連が見えてくる。
というものだろが。あまりにも、価値基準の意識がひらぺったい。表面的すぎる。
かしこまってうわべの建前ばかり演じてるうちに、本音も建前にしかできなくなった儀礼人間。
そのレベルで「和を以って尊しとなす」を広めようとするものだから、
反戦運動が、ただのうわっつらの仲良しゴッコにしかならない。
反戦運動・反権力・反体制・反世間の意識・時代の空気を変えるということになっていかない。
斉藤貴男などの言う「自ら安全を求め支配されたがる人々たち」ばかりの反戦運動。
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0407/sin_k181.html
これでは、まったく、戦争勢力には、たちうちできんわな。
それどころか、ますます、向こうの手のひらに乗っかって、応援してしまう。
何十年もやっている連中なのに、その経験や知識や情報や人脈などは、なんだったのか?アホドモメラガ。

こんなことは、私のような反戦運動二年程度・パソコンは一年の者でも、すぐに感づくのだ。
私は、こむずかしいことは、ほとんど知らないし、経験も何もない。知能もそんなに高くない、と思う。
じゃあ、知能が高かったり、何かの能力がなければ、反戦運動にかかわってはいけないのか?
または、劣った者は、お勉強して、変わり者は、よい子にならなければ、いけないのか?
今の学校システムなんて、軍隊で刑務所だという認識もないのか?
押し付ける勉強なんて、洗脳と去勢、支配と服従、抑圧、屈服、踏み絵と同じだということも認識しないのか?
そういう意味のお勉強など、まったくやるつもりもない。絶対にやらない。
そんな学校式・お勉強式の反戦運動では新自由主義と同じだね。または、どこぞの共産主義とかね。
右翼も左翼も一緒だった。社会ダーウィニズム、レッセフェール優生思想…。
その証拠に、ザミャーチンの『われら』も、ハックスリーの『すばらしい新世界』も、オーウェルの『1984』も、
元々は、レーニン・スターリンのソ連共産主義批判で書かれたものなのに、
今は新自由主義・新保守主義批判として読めるわけだ。つまりは、軍事力による金力覇権主義。
真ん中の時代に、ナチス・ファシズムと日本天皇軍国主義へ当てはめて読むこともできる。
また、今の、ボケ不破とアホ志位の日本共産党にも当てはまる。
能率・効率・お役に立ちましょ、組織・集団・団体・お国のために、か?
いいかね、組織などのため、なんてことは言ってはならない。組織など解体し、叩き潰すためにしか存在しない。
すべては一人一人の個人の自覚、目覚めから始まる。
弱い小さな怯える個人としてのそのまんま。
強い大きな偉そうな個人なんて、いりません。神聖にして侵すべからざる者など、一人たりとも作ってはならん!
その上で、あくまでも、小さい個人としての自主的・自発的・好き勝手で連帯が起きてくる。
あくまでも、バラバラでよろしい。
それが叛戦なんだと思うが…。「戦」の字は、本当なら「占」に「戈」と書くべし。
そして、だ、どんなにアホでマヌケなバカでも、対等に言いたいことを言えるようにかかわれなければならんのだよ。
いや、むしろ、お利口でまともな者どもなどよりも、アホでおかしな者ほど、重要にせねばならない。
私は、こむずかしいことはほとんど知らないし、経験も何もないし、知能もそんなに高くないと思うのにもかかわらず、
いわゆるお学校式の、お勉強式などやる気はさらさらない。
ただ、直感と、不服従の反骨精神だけでやっている。私なんか身体障害で精神障害だもんね。ありがたいな。
それだけで、充分さ。それをそのまま、ありのまま出せるようにできればいいのだ。あなたもやってみない?
……などと、そこらじゅうで言ってたら、無視・排除され、つまり、嫌われ、どこにも行けなくなり、
とうとう、引きこもりになっちまった。
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【付記3・引きこもりを恐れず】
★個人の実存を尊重し、社会的排除を許さぬ。
★社会の価値観とは違った自分独自の人生観を見つけろ。 
★ひきこもりと戦争構造とは密接な関係がある。
★また、「反社会的人格障害」とか、その手前の「境界性人格障害」とかいう言葉も、実に政治的響きがあるではないか?

【引きこもり―――自己責任・個人・国家・社会全体・新自由主義・社会的排除】

●『引きこもりを恐れず』高岡健(著)価格¥788(税込)出版社:ウェイツ(2003/09)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901391380/qid=1086429073/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/250-7216740-9482637
選択肢の少ない日本社会の中で、拒否権を行使しているのが引きこもりなのだと著者
は示唆する。加えて、近年のネオリベラリズム(新自由主義)の流れに著者は反対す
る。ネオリベラリズムは個人の“自己責任”を欲求する。ただしそれは個人の幸福の
ための自己責任ではなく、国家のための自己責任である。ネオリベラリズムは、再生
産の環境を国家の政策によって破壊してゆく。にもかかわらず、病気も少年犯罪もす
べて「自己責任」だとされる。そのなかで、定義もはっきりとしない“引きこもり”
が個人の心の問題とされ、本人または親のみが責められると著者は憂慮している。こ
うして社会全体が引きこもり本人を追い詰める。安直な“引き出し行為”はそれに拍
車をかける。そうして追い詰められた人々に著者は「それでいいんだよ」と心から訴
える。個人の実存を尊重し、社会的排除を許さぬ著者の姿勢は一貫している。
[カスタマーレビューより](一部抜粋)
●『自分の弱さをいとおしむ 臨床教育学へのいざない』庄井良信=著 
2004年6月発行 本体価格1200円
http://www.koubunken.co.jp/0350/0326.html
失敗を恐れ、間違いを恐れ、弱い℃ゥ分と向き合うことを恐れる子どもたち。子ど
もたちだけではない。「よい親」「よい先生」を強いられるこの社会の中で、いま多
くの大人たちが、子どもたちと同じような強迫感を抱いている。
でも弱音を吐いたっていいんだよ! 泣いたっていいんだよ!
第4話 しみじみ感じる心をはぐくむ──あかるさ強迫(躁的防衛)に苦しむ子ども
a.. あかるいお返事ハイ?
b.. 元気はつらつの授業の悲しみ
c.. ハイテンションで躁状態の休み時間
 d.. がんばって「普通」する中学生
e.. なおさらにぎやかな愚かさ
第7話 親(おとな)もつらい激しい競争社会──傷ついた人びとの絆が未来をひらく
a.. かさこじぞうの世界から
b.. 北海道のシチューのように
c.. 「よい子」でないと見捨てられる?
 d.. 人材競争社会が「不安」を生むとき
e.. 効率主義、業績主義、成果主義 
 f.. 傷ついた人びとが未来を準備している
●『新しいうつ病論―絶望の中に見える希望』高岡健(著) 価格¥1,890(税込) 
出版社: 雲母書房 (2003/10)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876721491/ref=pd_rhf_f_1/250-7216740-9482637
[レビュー内容(「MARC」データベースより)]
日本のうつ病をめぐる状況はいま、新自由主義の登場、軽症・慢性を特徴とする「新
しいうつ病」概念の輸入、新たな抗うつ剤市場の開拓という波にさらされている。う
つ病の歴史と現在を丹念に検証し、著者独自のうつ病論を展開。
[カスタマーレビュー]より「希望を与えてくれた本。」
米英から輸入され、広がりつつある概念「新自由主義」がどのようにうつ病を引き起
こすかを書いてあります。「新自由主義」とは個人に過度の「自己責任」を要求する
思想のことです。要約すると、1.過度に個人責任を押し付けられる→2.絶えられ
ない人が出てくる→3.(-_-)うつ  とのことです。
そうならないために社会の価値観とは違った自分独自の人生観を見つけろとのこと。
文章の論理構成は非常にしっかりしていて、読みやすかったです。
●『精神科医はいらない』文芸シリーズ 下田 治美(著) 価格¥1,260(税込) 
出版社:角川書店(2001/12)
目次 由布さんの薬箱 新聞報道で知った医師の診察能力 イズム診療ってなに?
精神病の医師 精神科医にプロはいない? ひきこもりは病気か ほか
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048837249/asyuracom-22/250-7216740-9482637
●『人格障害論の虚像―ラベルを貼ること剥がすこと』高岡健(著)価格¥1,890(税込)
出版社:雲母書房 (2003/01)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4876721300/ref=pd_sim_dp_2/250-7216740-9482637
著者によれば、人格障害とされるものは実はどれもあいまいで、その症例は、しばし
ばモラトリアム期の不安や「自分探し」の行動と重なり、即座に精神病と断定するこ
とはできない。それなのに「社会全体の安心を目的として、特定の個人を葬り去るた
めに貼りつけられるラベル」として、人格障害は機能してきた。(以下略)
[レビュー]より(一部抜粋)
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★「ひきこもりビートニック」★
プロジェクト<ひきこもりMMHP> http://www.hope.soj.jp/
■辺見庸が"ヌエのようなファシズム"と呼ぶ、現代日本のコンフォーミズム(順
応主義?)こそ、撃ち砕かれなければならないものだ。
●ひきこもりって何?
▼代表的なビートニックの詩人アレン・ギンズバーグの「houl」は次のような
一節から始まる。
 I saw the best minds of my generation destroyed by madness,
                      starving hysterical naked,
▼「咆える(houl)」と題されたこの有名なビート文学の金字塔は、ギンズバ
ーグの非常に親しかった友人が自殺したことにインスパイアされて書かれたも
のだったと記憶している。ちょっと日本語に訳してみると、
 ぼくは見た
   ぼくの世代の最良の精神(or知性)たちが
         狂気によって破滅させられるのを
            かれらは飢え、錯乱し、剥き出しのままだった
▼最近、何人かの元ひきこもり青年たちとの付き合いが始まったが、彼(女)
らは現代の best mind たちであることは間違いない。繊細で、自意識過剰で、
やさしい。そして、なによりも知的だ。彼(女)らは有り余る時間の中で、書
物を読み、あらゆる種類の映画をビデオで見、音楽に耽溺している。もちろん、
「パソコンはお手のもの」という人たちも多い。
▼この国のひきこもりたちは、現代のビート・ジェネレーションになる可能性
を秘めていると思う。抑圧的な科学文明とそれに依拠した"豊かな生活"。あ
ちらこちらで戦争が起こっているのに、安穏として惰眠をむさぼる小市民社会。
こういうシステムに同化できないビートたちが反乱し、社会に対するアンチテ
ーゼとして、また自己表現として詩や小説を量産したように、ひきこもりの中
から文字で世界を撃つ者たちが出てくるのではないか。
▼"日本ひきこもり族"の中から、現代のギンズバーグやジャック・ケロワッ
ク、ゲリー・スナイダー(彼はまだ存命だが…)が現れて、この国の市民社会
やライフスタイルを更新する、という空想を僕は描いている。辺見庸が"ヌエ
のようなファシズム"と呼ぶ、現代日本のコンフォーミズム(順応主義?)こ
そ、撃ち砕かれなければならないものだ。
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【付記4・「怒り・憎しむこと」について。】
辺見庸『抵抗論』(←この人もグチをこぼしてるばっかりだけど、言わないよりは良い)
http://www.ihope.jp/resist.htm
「イラクやアフガンで米英の部隊がレジスタンス勢力の攻撃で被害をだすたびに、私は
名状の難し、どこか『喜び』に近い感情を抑えることができない。そのことと死傷した
米英兵たちへの同情とは別のことであり、論理的にもかならずしも矛盾しはしない、と
思う。爆撃、侵略、大量殺戮、占領を激しく憎み、憤激する一方で、侵略者への反撃の
成功を喜びとし、みずから志して、あるいは余儀なく戦線にある兵士やゲリラたちの悲
惨な死を、敵と味方の区別なく悼む。それのどこがおかしいというのか。倫理的にそこ
まで踏みこむことなしに、つまり、当方としても当事者らの百万分の一くらいの傷さえ
負うことなしに、絶対安全圏からにこにこ笑って『反戦』などといえた義理か。怒り憎
しむことは、いつから、だれによって禁じられたのか。怒り憎しむことは、いつから、
だれによって『悪』と断ぜられたのだろう」

「おそらく私がいちばん腹を立てているのは、彼のコメントにおけるいちいちのまちが
いについてではないのだ。この戦争への怒りも悲しみも滲ませない、あたかも官僚の答
弁のような無機質な語り口に苛立つのである。」
(「抵抗はなぜ壮大なる反動につりあわないのか 閾下のファシズムを撃て」より)

辺見氏は、イラク戦争を強行したブッシュやそれに従った小泉だけを「怒り」の対象に
しているのではありません。
辺見氏にとって、「怒り」のない抗議とは、自分達の住む国や社会が生み出している戦
争を、「安全」な場所から自然災害のように嘆くだけの無責任な態度なのです。
『抵抗論』におけるこのような辺見氏の考え方は、「古臭い」ものでしょうか?

Antiwar Net News No.56(2004/6/17) http://www.ihope.jp/i/news56-1.htm 
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【おまけ】
記録映画「怒りをうたえ」全三部+「進撃の論理」
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/

ビデオ「怒りをうたえ」「進撃の論理」の購入方法
http://homepage2.nifty.com/ikariwoutae/starthp/subpage02.html

http://www.chunichi.co.jp/anpo/1030.html
一九六八年十月二十一日の「国際反戦デー」。新宿駅「米軍タンク車輸送阻止」。
米軍のジェット燃料を運ぶタンク列車が新宿を通っていた。線路の石をポケットに詰
め込む。機動隊とぶつかるが催涙ガスで散らされる。新宿駅東口に出ると、駅前広場
を埋め尽くす群衆が見えた。三万人はいた。デモ隊とやじ馬が混然となり、西口につ
ながる地下道わきの大看板は音を立てて破れ、そこから群衆が線路内になだれ込む。
翌日午前零時十五分、警視庁は十三年ぶりに騒乱罪を適用した。

一九六〇年六月十五日、数十万人が国会を取り囲んだ六〇年安保闘争。初の戦後民主
主義世代。一般学生には社会主義への志向より、岸信介首相が強行採決で民主主義を
無視した怒りの方が強かった。

ではでは。ヒヒヒ。

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