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筆者:山口正紀
出版社:現代人文社
定価:1900円+税
http://www.janjan.jp/book_review/0409/0409209055/1.php
『メディアが市民の敵になる』書評〜さようなら読売新聞 2004/09/22
著者である山口正紀氏は昨年12月末、定年まで5年8ヶ月を残して読売新聞を退社した。記者でありながら社外でも活発に活動を続けていた氏は、本人の主張によれば「社外のメディアで読売新聞社も含めたメディア批判、報道批判を続けたことに対する報復的な人事で、10年前に取材部門を追放された」のだそうだ。その後は読売の社員としては社内のみでの仕事になるが、「編集記者」としても「記者」であることが彼を会社につなぎ止めておいたらしい。
しかし、彼が「読売新聞記者」の名前で活動を続けたことが、会社としては困ることになったらしく、上司が「社外メディアへの執筆では『読売記者』の肩書きをはずして欲しいと要請してきた」らしい。記者の名前が欲しいがために読売にとどまっていた彼としては当然、それを断ることになる。それに対する会社の対応が、彼の営業渉外職への配転つまり記者職の剥奪だったという顛末自体は、我々が知っている「読売新聞」の出来事としてはそれほど不思議な気がしない。
私は「週間金曜日」の読者でもあるので、氏が「金曜日」紙上「人権とメディア」欄に読売新聞記者の肩書きで書いていたことを知っていた。逆に、読売の記者がこんなにリベラルで反戦・反侵略の論陣を張っていることを意外に感じていた一人でもある。今の読売新聞の立場から考えるとまったく逆の「反読売」思想ですらあるこのような記事を、記者の肩書きを持ったままで書くことを許しているのだとしたら、読売新聞という会社は、日頃私が感じているよりははるかに懐の深いところなのかと思ったことすらあった。
しかし、現実はやはりそうではなかったようである。現在、日本全体を騒がせているプロ野球問題の根にいると言われる読売グループを支配する某独裁者は、「読売新聞は、編集局、論説委員会、調査研究本部など、紙面政策にかかわるあらゆる機関を通じて、社論を絶えず一本化する」との主張をしているのだ。そんな中で、彼の居場所がなくなることはむしろ当然であろう。彼が入社した30年前とは違う会社になってしまった読売こそが、我々の知る「読売新聞」である。
そういう意味で明らかにこれは普通の読売新聞記者が書いたものとは一線を画している。市民の側にたったひとりの良識あるジャーナリストが、ある会社に所属し続けることができるのかどうかで、その会社のジャーナリズム度が測られるとしたら、この本は報道機関としての読売新聞への死刑宣告でもあるだろう。
本の前半に掲載された1999年から2003年までの報道検証記事はどれも重く、そこで取り上げられたほとんどすべての問題が現時点での問題として未解決の課題として我々に残されていることを再認識させられる。00年1月14日「死刑執行報道 『死刑大国』を支える世論操作」、00年10月20日「警察の不祥事報道 転換迫られる取材・報道姿勢」、02年11月29日「日朝交渉報道 日本人が向き合うべき問題は」などは、依然として最新ニュース報道に対する批判の先取りにもなっているのだが、社会およびマスコミの反応は鈍い。
また、マスコミでは大きく取り上げられることが少ない「恵庭OL殺人事件」に対して、息長く追跡取材および批判を続けてもらっていることは、事件の起こった北海道に住む人間のひとりとして感謝の気持ちを覚える。
フリージャーナリストとしての氏の今後は、我々の国の今後を占ってもくれるだろう。氏のような活動を支える海としての我々市民のあり方も問われる一冊である。
(栃内新)
『メディアが市民の敵になる』を読む〜外部圧力で「記者職」を剥奪された記者の報道検証