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株式日記と経済展望
http://1234tora.fc2web.com/index.html
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オリックスの宮内義彦会長こそ怪しげな外資の
水先案内人だった。彼こそトロイの木馬なのだ。
2004年8月30日 月曜日
◆「人間力」の衰退 内橋克人
http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/030819ningenryoku.htm
「ご破算主義」の本質について指摘すべき第二の点は次の通りです。
既得権にあぐらをかくことは許さない。ゼロから再出発して公平な競争の出発点にすべてのレース参加者を並ばせるべきこと。これは確かに望まれる企業間競争の鉄則です。
けれども、抽象的存在としての企業でなく、呼吸する人間にとって、ここで絶対とされる徹底した「競争至上主義」は何をもたらすでしょうか。現実は、しばしば破壊的競争の結果、繰り広げられるのは「レース・トゥ・ザ・ボトム」(どん底に向けての競争)であり、そのような社会をそのままにした競争至上主義では、結局、もたらされるのは「低位平準化」一人間生存の条件において低いほうにサヤ寄せされる)のほかにない、そういう方向に向かわざるをえないということなのです。
また、大(巨大資本)と小(中小企業)が同じ土俵で戦えば、十中八九、大が小にうち勝つのは目に見えています。重要なことは「大と小の間の剥き出しの競争(戦い)でなく、両者の間の競争をしていかに公正たらしめるか」というところにあったはずです。
その道を求めてこその戦後日本の営々たる努力でした。この原理、努力までもはや古いのだ、という。
それで、既得権排除の先頭をまっしぐらに疾駆してきたオリックスの宮内義彦氏。その宮内氏は総合規制改革会議を舞台に電力はじめその他、業界の規制撤廃を激しく叫びつづけてきた“先駆者”ですが、背後では、かの醜聞にまみれた米エンロンの日本上陸を手引きしていた。なんのことはない、もっとも強硬な規制緩和・撤廃論者が、ほかならぬ怪しげな外資の水先案内人だった、というのですから、企業家倫理とはまこと不思議な存在というほかにありません。
エンロンがどのような企業で、なぜ米政府をバックに世界のエネルギー規制撤廃を強引に主張してきたのか。グローバリズムのけん引役を担ってきたのか。そして、その後、この巨大企業はどうなったか。米エンロンやワールドコムの正体、悪質な錬金術については、後述します。
既得権糾弾大いにけっこうです。けれども、既得権益に代わる新規の甘い権益にまっ先に与(あず)かれる人と企業が、絶大な権限をもつ総合規制改革会議の議長の座に、もう何年にもわたって居座りつづけている。これこそまさに既得権ではないのでしょうか。
私は「競争セクター」と「共生セクター」の併存する「多元的経済社会」が二一世紀のあるべき姿だ、と主張してきました。分断、対立、競争が原理の競争セクターもときには必要でしょう。けれども、同時に連帯、参画、協同が原理の共生セクターが足腰強く育つ社会でなければ、私たちの二一世紀は極めてミゼラブルなものになってしまうだろう、といいつづけてきたのです。その後者、すなわち共生セクターを鼻の先で一笑に付しているのが、ほかならぬ彼らです。
以上、これがご破算主義のもたらす第二の危険です。
そして第三は、もう指摘するまでもないところです。ご破算主義は突然のルール・ブックの変更をもたらします。「ご破算で願いましては……」のあと、それではだれが新しいルールを決めるのでしょうか。むろんのこと、それは最後の勝者です。競争至上主義の行き着くところ、待っているのは「ウイナー・テイクス・オール」(一人の勝者がすべてを奪う)という結果のほかになく、ご破算論者もそのことは認め、かつ礼賛しています。一人の最後の勝者が新しいルールを決める。
そのうえ、規制緩和、構造改革論は.「小さな政府」論ともつねに一体です。政府機能を悪として排除し、すべてを市場に任せることを善とする。正当な政府機能をも最小化すればするほどよい政府だ、というのですから、ルールの策定も民間の最終勝者にすべて任せられる。勝者に都合のよいルールヘとルール・ブックは書き換えられていくでしょう。
現実に世界は「一人勝ち」社会へと驀進しています。国際的に見れば、世界の心配、すなわち「アメリカ一極集中」(ユニラテラリズム)もその帰結の一つにしかすぎません。
ところで、ここで断っておきたいのですが、私は何が何でも競争が悪だといっているのではありません。厳しい生存競争の生物界を観念的に否定しているのでもないのです。
逆に私たち“もの書き”の世界こそ、激しくも苛烈なる競争の世界にほかならない。
私はこの世界で少なくとも過去、何ものにも属さず、そして肩書きもなく、辛うじて四五年を生きぬいてきたものの一人です。観念的で、きれいごとの競争排除論者などでありえるはずもないでしよう。
これはすでに書いたところですが、私がもっとも嫌悪するのは「自分だけは安全な壁壕(ざんごう)に身をひそめながら、競争こそは善だ、と叫び、適度な失業は経済安定に欠かせない、といい、構造改革に痛みは不可避だ、と説教をたれるエリートたち」です。なぜか、政権にスリ寄る日本の主流派経済学者にこのような人が多すぎる。
私は基本的にそういう人間を信頼していない。多くの人物を目の前にしてきた結果の悲しき結論です。
以上、ご破算主義、すなわち小泉流構造改革について三つの特徴を指摘しました。
◆今日のぼやき 副島隆彦 2004年8月30日
http://snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi
この会議を仕切っているのが、オリックス会長の宮内義彦氏である。宮内氏は、カルト経営者の稲盛和夫氏と同じように、米国型の姿に日本社会を構造改革をするべき役割を負わせられた人である。宮内氏は、おそらくナベツネの失脚の一連のスキャンダルを背後で操っているのではないか。宮内氏自身はナベツネに気に入られている子分のようなフリをしながら、機会が来ればナベツネに襲いかかって、日本の野球利権を奪い取ろうとしているだろう。従来、ナベツネの「読売新聞」を通して日本国内のパブリック・リレーション(PR)を行っていたアメリカとしては、ここで宮内・オリックスや稲盛・京セラの勢力に宗旨替えしようとしていると思われる。
宮内氏は、米国型に日本経済を改造することで、うま味をすくい上げていこうという哲学を経営に取り入れている、「アメリカの手先」である。アメリカのビジネス・インナーサークル(その最たる例が、アメリカ商工会議所の出先機関である在日アメリカ商工会議所=ACCJ、グレン・フクシマ系)と結託して、日本のビジネスをアメリカ企業に開放させ、そのおこぼれにあずかろうという発想で動いている人たちである。
オリックスの宮内会長といえば、あおぞら銀行(旧日本債券信用銀行)の買収劇の際にも、サーベラスという外資系投資ファンド(代表は、ダン・クウェール 父ブッシュ政権副大統領)とのつながりが噂された。一部週刊誌では、宮内氏自身がサーベラス・ジャパンの、「アドバイザリーボード・チェアマン」に就いていながら外資参入を促す、「総合規制改革会議」の議長を務めている事実が暴かれた。
利害関係にある会社の利益の代弁をして、政策を決定するように働きかけることをいうのをアメリカでは「利益相反」といい、建前上は厳しく禁止されている。オリックスの宮内会長は、自社のビジネスを上手く行うためにサーベラスの利益代表として「総合規制改革会議」での発言権を強めている。日本の新聞はアメリカの対日経済要求の実相がどのようなものであるかを知っていながら、知らんぷりをしている。「宮内会長の奥さんが夜間コンビニに行って薬が買えないで困った、だからコンビニでの薬の販売を解禁しましょう」と言った、とかいうエピソードだけは大々的に報道するくせに。
(私のコメント)
先日はモルガンスタンレーのロバート・フェルドマンこそ竹中平蔵の黒幕だと告発しましたが、外資による日本乗っ取り工作は彼らだけで出来るものではなく、多くの内部協力者がいる。その代表格の人物がオリックスの会長の宮内義彦なのだ。宮内会長は小泉首相の懐刀であり、数多くの諮問委員会のメンバーとなって、小泉首相の「構造改革」の中心的人物になっている。
規制緩和にしろ構造改革にしろ外資にとっては日本経済を乗っ取るための方便であり、小泉首相や竹中大臣が、途中でルールを変えてまで創造的破壊行為をするのはなぜか。昨日まで良かった事が今日からいけないと決められたらプレーヤーはとんでもない被害をもたらす。コンビニにおいても薬の販売が認められるようになりましたが、売れ筋の商品を奪われた商店街の薬屋は大損害だ。
この調子で行けば日本中の商店街は、コンビニに転業するか廃業するかの選択を迫られるだろう。その結果得するのは外資系のウォルマートなどの超大手小売業だ。今では日本では大手企業のダイエーですら外資の手先によって解体されようとしている。だから今では勝ち組と思い込んでいるコンビニやスーパーもやがてはウォルマートなどの外資によって買収されてゆくのだ。
西友ですら外資にとっては虫けらのごとき存在であり、小泉首相や竹中大臣が勝手にルールを変えてしまえばどんな企業だって潰れてしまうだろう。UFJにしても昨日までは不良債権でなかったものが、金融庁の検査官が代わっただけで不良債権にされてしまう。こんなデタラメがあっていいものだろうか。金融庁も外資の言いなりになり、日本の政治家は手出しが出来なくなっている。
日本の政治家がなぜ金融庁や竹中大臣を辞めさせる事が出来ないかというと、原因は小泉・竹中内閣による構造改革を止められないからですが、なぜ小泉首相を辞めさせられないかというと「構造改革」によって地方経済が疲弊してしまっているからだ。選挙をやるたびに自民党は負け続ける事がわかっているから小泉首相を辞めさせれば彼は選挙に打って出るだろう。森田実氏は次のように書いている。
◆自民党内の“沈黙”の原因 2004年8月29日 森田実
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C0802.HTML
Q君。まことに「百聞は一見に如かず」です。自民党内の沈黙と無気力の背景にあるのは、非常識を好む小泉首相の性格への極度のおそれのようです。「自分の権力さえ維持できればよい。反対者は許さない」という非常識で強権的な性格をおそれ、小泉首相批判を控えているのです。批判すれば怒って衆議院を解散し、自民党をつぶしてしまう乱暴な性格をおそれて、縮んでしまっているようです。まるで古代ローマのネロの時代を見るようです。すでに恐怖政治が始まっているのです。
Q君。すでにおわかりのように、政治家の多くが自分のことばかり考えているのには驚かされます。国民のことを真剣に考えている政治家は少ないのです。雑誌のインタビューでの発言を見ると、何人かの国を憂い、国民のことを心配している勇気ある政治家がいます。繰り返しになりますが、先に記した亀井静香さん、加藤紘一さん、古賀誠さん、二階俊博さんのほか、野田聖子さん、伊吹文明さん、河野洋平さん、荒井広幸さんらがいます。
小泉首相の“異常性”をおそれているような政治家は、今の日本にはもはや必要ありません。小泉首相が自己の権力維持のためだけに衆院解散を行い、総選挙に打って出れば、そんな政権は支持されません。そんな政治は終わらせなければなりません。自民党が国民に支持されるためには、そんな小泉政治を勇気をもって否定することです。勇気のない国民を忘れている政治家は政界から去ってもらいたいと思います。解散のブラフで縮んでしまうような弱い人間は政治をしてはいけないのです。勇気ある政治家の決起を望みます。
(私のコメント)
日本の国民も小泉首相の「構造改革」と言うものがどのようなものか分かり初めて来ている。メガバンクの統合も国民は望んでいないにもかかわらず進められている。金融庁が銀行を締め上げているからですが、郵政の民営化も国民は望んでいないにもかかわらず小泉首相は進めようとしている。しかし今一番しなければならないのは日本の景気の回復であり、「構造改革」しないと景気が回復しないとは、内橋克人氏によればご破算主義なのだ。
自民党の実力者にとっても小泉首相を辞めさせるべき時は来ていると思っている。小泉首相のほうが内閣改造で大臣の椅子を餌に生き残りを考えている。小泉首相自身は単なるカラクリ人形であり、陰で操る大物秘書や外資の手先の宮内氏のような人物が政治を仕切っている。最大派閥の橋本派も1億円の闇献金で最大の危機が訪れている。自民党は完全に腐りきり、数年間は野党に転落して本当に日本の国益を考える人物に入れ替えるべきだ。