現在地 HOME > 掲示板 > 国家破産36 > 259.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 奴等の象徴である「シナイ山」は5千円札から1千円札へ 投稿者 愚民党 日時 2004 年 8 月 13 日 19:04:36)
http://schneidtbach.web.infoseek.co.jp/Sinai.htm
十戒の山で、各種の典拠によりホレブであったり、シナイと書かれるが、同時にならべて使われることはないので、一つの山であったに相違ない。語源的には、バビロニアの月の神Sinが語源という説など、いくつかあるがはっきりしない。言い伝えによれば、シナイ山はシナイ半島にあり、“放浪の砂漠”(badiet et-tih)の北、2000メートルの山地の北にあることになっている。この山々の中では、神から法が与えられた場所をめぐり4つの峰が覇を競う。Dschebel musa, Dschebel selbal, Ras es-safsaf, Dschebel katerin である。この言い伝えの源は、初めてキリスト教の僧がシナイ半島に入植した皇帝ユリアン(AD360-363在位)の頃まではさかのぼることが可能だが、旧約の時代まではさかのぼれない。 これに対し、こんな乾ききった岩だらけの場所では、人は確実に餓死するとしか考えられない、そんなことがありえただろうか疑問である。南部の山地は全く水のない地域で、そこに到達するのは大変な労苦を伴う。さらに、葦の海はスエズ湾にはなく、おそらく紅海の東端のアタバ湾であろう(列王記上9:26)。
そうするとシナイ山は紅海の東にあったに違いない。ところが、シナイ山は火山だったに違いないのだが、この半島には火山は存在しないことが決定的に重要である。シナイ山での神の顕現の描写は、以前は雷鳴の描写と理解された。しかし、山が激しく震動した(出エジプト記19:19)という描写は、雷鳴では説明し難い。第二に、シナイ山は溶解炉に比べられ(同19:18)ているが、これは火山を前提とすれば素晴らしい描写だが、雷鳴ではまったく理解できない。第三にヤハヴェは火の中から山に下る(同19:20)と書かれている。申命記4:11には、もっとはっきりと、“山は燃え、火は中天に達した”と書かれている。燃える山とは火山以外にはありえない。
第四に、火と雲の柱が加わるが、これらも火山なら説明がつく。シナイ半島ではなく、紅海の東海岸、南のアデンからメッカ、メディナをこえてエドムにいたる地域には、数多くのクレーターと溶岩地帯があり、ここはハラ(Harra)と呼ばれる地域である。クレーターは今日では消滅しているが、過去に噴火があったことは分かっている。
聖書の他の記述によると、シナイ山はミディアンにあり(出エジプト記3:1、ハバクク書3:7)ヤハヴェはシナイ山からエドムを越えて彼の民のもとに急いだ(士師記5:4、申命記33:2、ハバクク書3:3、詩篇68:9)。信ずるに足る正確な記述によると、カデシュからエドムを越えてシナイ山まで旅するには11日かかる(申命記1:2)。これらの記述はすべて地理的に正しい。ミディアン人はエドム人の南の隣人であり、紅海の北東及び南東、つまりまさに火山のあったハラの地に住んでいたためである。火山の仮説は、まずベケ(Beke)が主張し、グンケル(Gunkel)が後に独自に主張を展開したが、ムジル(Musil)はハラ地域中間部(長さ:37度10分から東、幅27度10分から北)に今尚聖なる山とされる消滅した火山El Bedrを発見する探査旅行を行った。この山地の近隣には、広く、実り豊かで、かなり水がある平地がある。シナイが月の神シンから来ていて、El Bedrは月だから、シナイとEl Bedrを同じと、名称だけでそれを証明するのは不十分である。葦の海とカデシュ間は遠くかけ離れており、これも名前だけによる推論に疑問を呈する。
最古の記述によれば、神は聖なる山シナイ山のいばらの藪で炎に包まれて顕現した(出エジプト記3:1)。これらの聖なる場所と神ヤハヴェの名前はモーセの伝説のなかから発見された。後の聖書物語作者たちは、さらに聖なる神の洞穴を発見した、に違いない(出エジプト記33:22、列王記上19:9)。他の伝説では、モーセがいかにしてイスラエルの人々をエジプトから脱出させ、シナイ山でヤハヴェの法を与えられたかを語っている。かくて、シナイ山はイスラエルの宗教の礎となる場所であり、イスラエルの人々の権利を基礎づける所となった。さらに後世の作者によって、エリヤがシナイ半島に関連付けられている。