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(回答先: 『国際商人(国際金融家)や体系的宗教を中心とした歴史認識』へのレス 投稿者 tangerine(旧 三四郎) 日時 2004 年 9 月 17 日 01:41:11)
「三四郎」改め「tangerine」さん、お久しぶりです。
お気になさらずに、マイペースでお進めください。
私のほうも、様々な事件や経済問題に気をとられてレスが遅くなり申し訳ありません。
「農耕共同体の中央集権統合としての帝国」や「遊牧騎馬諸家族連合の版図拡大しての帝国」に較べると、「自作農&大土地所有者都市国家の版図拡大としての帝国」であったローマ帝国のほうが現代に類似していると考えています。
(いちばんよく似ているのは「商人にとっての共通制度の世界化をめざしたイスラム帝国」だと思っていますが、欧米支配層はそのような観点に立たないでしょうから、それはおいておきます)
ローマ帝国は軍事力により版図を拡大し、それにつれ商業(遠隔地交易)と金融活動(軍事費調達)も拡大していきましましたが、それと同時に自営農民という国家基盤は自壊していきます。
(西)ローマ帝国崩壊の根本的原因は、自営農民の没落にあると考えています。帝国化が自営農民の窮乏・没落をもたらしたのですから、帝国化自体に崩壊の要因があったとも言えます。
商業活動さえ蔑視していたローマ帝国の拡大する商業活動と金融活動を主として担ったのが、カルタゴ(フェニキア)人やユダヤ人であったことは間違いないはずです。
そして、彼らにとっての利の最大化をめざす政治(宗教)的活動がローマ帝国の動きに強い影響を与えたと考えています。
(西)ローマ帝国の崩壊要因として、版図拡大に伴う商業・金融活動の拡大やカソリック化を上げることもできますが、軍隊の傭兵化もそれらに劣らない要因だったと考えています。
(ポニエ戦争までは自営農民が軍隊の中核を担っていたが、徐々に傭兵に変わっていく。傭兵は金の切れ目が縁の切れ目ですから、経済的窮乏は軍事力の維持や軍機構の統制を不全に追い込みます)
古代ローマは、世界性が希薄な都市国家として分を弁えない拡張政策に突き進んでいったと思っています。
ミトラ教やカソリックが浸透するまでのローマはギリシア的な宗教観念や世界観に覆われていたわけですから、世界帝国になる精神的態勢にはなかったはずです。
アテネは(地中海)世界帝国に利を見い出しそれをめざしましたが、周辺都市国家同盟によって阻まれます。(スパルタなどは、奴隷制を基礎にした自営農民による強固な支配にこだわった)
マケドニアのアレクサンダーは世界帝国に向かいますが、それは、マケドニアやギリシアの世界化というよりギリシアのオリエント化ないしヘレニズム(相互浸透)につながり、東地中海地域のその後の歴史を大きく規定したと思っています。
ローマ帝国の“精神性”もこのヘレニズム化されたギリシア精神の強い影響下にあり、ローマ帝国の東西分裂も、ガリアなど北西に版図を拡大するなかで生じた精神性の亀裂が深淵にあると思っています。(西ローマ帝国領域では都市国家ローマとしての精神性が空中分解してしまった)
ローマ帝国がキリスト教化せずミトラ教化していれば、まったく違った歴史をたどることになったかもしれません。
神官政治に近づいたはずのミトラ教化と言わずとも、ギリシア正教化しても大きく変わっていたでしょう。
カソリックという世俗政治権力と地上での覇を競う巨大宗教機構の存在が、その後のヨーロッパ史を強く規定しました。
(ギリシア正教は、世俗政治権力との融合や相互補完性に存在基盤を求めた。カソリックの存在が戦乱が打ち続くヨーロッパ史のキーであったと思っています。個別世俗政治権力はカソリック機構を利用しようとし、カソリック機構もまた個別世俗政治権力を利用しようとした)
欧米諸国は、(西)ローマ帝国崩壊後を受け継いだわけですから、末期(西)ローマ帝国との類似性は“宿痾”のようなものです。
>「蛮族の存在」
>たわけた空想ですが、近代社会も「蛮族」の侵入で崩壊ないしは変化する可能性がある。
>我々近代人が徐々に「蛮族」化することで、
>世界的に何か大きな変化が起きるのではないかと漠然と感じることがあります。
「蛮族」を自由な連合を基礎とした自立自存的集団と考えると、その多数派化以外に「近代」がひっくりかえる芽はないかもしれません。
世界化された「近代」は、外部からの侵入による崩壊ではなく、内部からの侵食による自壊になると思っています。