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(回答先: 黙示録プログラムとは何か 投稿者 愚民党 日時 2004 年 9 月 13 日 05:27:39)
愚民党さん、お久しぶりです。
細部の言い回しや整合性の僅かばかりの不具合を除けば、愚民党さんの“プロトコール”のSummaryや考察は大いに肯けるものですし、世界の中心軸を駆動しているFunction&Parameterの最有力なものとして“666”の周縁を挙げていることに、妙に腑に落ちるものがありました。
おそらく、我々の内なる選民(意識)に向かい合い、受けとめて、そして飼い馴らさなければならぬでしょう。我々は向い合うことができると想い込み、過去には意を決してそうしたのですが、受けとめるには器量が満たないことを身に染みる結果になりました。多大な犠牲を払うことで終結した太平洋戦争は、まさしくその外化の象徴であると言ってもよいでしょう。
受けとめることに失敗した我々は、飼い馴らすところまでに進むことができません。そこで先ず、後世代の人々は挙って一神教のPathosを何よって受けとめるべきか模索し、執心して来たのだと想います。けれども、私は一貫してそれを所謂日本的Ethosやその権化とされる天皇制では受けとめることができないと主張しています。何故ならば太平洋戦争の完璧な敗北という事実が証明しているからです。しかしながら、自身の探索の限界に特段拘りを持たなければ、日本においてPathosの煌きがあったかどうかについても、またその普遍性についても特筆すべきものが見当たりません。さらに、ここに焦点を当てて可能なかぎり阿修羅はじめ他の論考にも目を通していますが、今のところ得度するものに遭遇してはいません。
真実は、済われるべきは我々ではなく、我々人類に潜む“選民”に他ならぬのではないでしょうか。そして、“選民”を済うのは彼らが語る“ゴイム”、すなわち我々であると思っています。
問題は何を以ってして彼らを済度するかです。しかし、我々日本人にその当事者能力があるかどうかは、未だに不明です。
また、会いましょう。