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(回答先: 子供は国家に差し出された人質なのか? ヘロデ王はベツレヘムで児童を大虐殺した(パーマン21号さん投稿) 投稿者 愚民党 日時 2004 年 9 月 08 日 16:55:06)
愚民党さん、通信ありがとうございました。
論点は多岐に渡るようですので、少し整理する時間が必要です。
ほとんどの個人が現在の政治状況に無力であることを痛感しています。
問題意識は各人固有であり、
どのような対処が有効であるかはまだまだ不明です。
しょせん時流に呑み込まれていく前の、
ささやかな抵抗でしかないのかも知れませんが事態の解明は急務です。
1)「ヨハネ黙示録は予言書であるのか」
・・・思うに否定的です。
この書は当時の布教状況を反映した、暗号史料であるようです。
無用な弾圧を避けるためには今も昔も
言葉の加工処理は必要だったのでしょう。
666の獣とは、当時の具体的な権力者のことと思います。
しかしこの書を予言の書として流布し
計画する集団が古代から?存在することは事実のようであり、
彼等を666と呼ぶことは正しいのかも知れません。
よって彼等の犯罪は、
黙示録のイメージに沿ったシンボル化された事象が先行します。
2)「フリーメイスンは悪の陰謀組織であるのか」
・・・思うに否定的です。
フリーメイスンはダミーのターゲットにすぎません。
悪党が自分の罪過を他人になすりつける何時もの手です。
何故なら秘密結社の根本は、
「最高目的の秘密」「構成員の秘密」「アジトの秘密」
が確保されることにあり、
これらが露見しては構成員を保護しつつ活動することができません。
3)「悪の陰謀組織は存在するのか」
・・・思うに肯定的です。
ただし「善と悪の陰謀組織が存在する」が、
より正しい答えです。
悪の陰謀組織だけが存在するならば、
とうにこの世は滅亡しています。
4)「ハルマゲドン実行部隊は存在するのか」
・・・思うに肯定的です。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には救世主降臨信仰があります。
そのもっとも過激なカルト部分は、
互いに仇敵でありながらも、全世界をハルマゲドンに向けて、
宗教的憎悪を仕掛ける戦術において同盟軍となる可能性があります。
出遅れ気味のイスラム教世界に対しては、
キリスト教原理主義者が後援会長として
アルカイダと言う組織を育てて来たようですし。
5)「仏教系武装カルトは存在するのか」
・・・思うに否定的です。
日蓮系列の某巨大宗団はかつての大本教団のように
潰そうと思えばいつでも潰せる規模のものです。
その予行演習が「対オウム戦争」であり、
今回の「対左翼・自作自演/自己責任報道」であったと思います。
有力外様勢力が国家権力に刃向かうことのないよう、
ああした「公安自作の偽計事件」が発生したのです。
この宗団は既に体制内の権力分子、
保守層の集票マシンとしてしか生き残る道はないように思います。
たとえ誰であれ、さからえば、ああ(麻原)なるのです。
存在する以上、(宗団も左翼も)利用価値があるのでしょう。
ただし左翼の利用価値は米政府による日本保守層への目付として。
6)「現天皇家はいかなる存在なのか」
・・・答えは、救世主伝説を信じる宗教的秘密結社である、
と言うことです。
ソロモン系ユダヤの秘密結社エッセネ派から
救世主イエスが出現したように、
日本に渡来した北イスラエルの
黄色系ユダヤ人グループにも、
救世主待望信仰があるのだと推察します。
その端的な現れが擬制イエスである聖徳太子による立国伝承です。
救世主とは民族や国家の存続危機に合わせて出現します。
現皇太子をその人物であると見る神道家たちがいるようです。
もしそうであるならば現天皇家はその務めを果たした事になり、
雅子妃による男子誕生はもはや絶対条件ではなく、
男系長子相続の「契約は終了している」ものと思います。
●今この日本では、毎年3万数千人の自殺者が発生しています。
国家が認める数値だけでこれほどなのですから、
実数は遙かに多いのでしょう。
内に向かう殺人、それが自殺です。
ですからこの国では、毎年3万数千人が殺害されているわけであり、
多分その倍の人口が自殺と言う分類名称を施されて、
殺害されていることになるであろうと思います。
その凶刀が他人に向けられる日が到来すれば、
犠牲者の数は万単位ではすまなくなります。
思うに日本はその臨界点に向かって突進しています。
国民自身の自己破壊願望の延長線上に戦争への道が開けてきます。
すべての自殺が悪であるとは思いません。
しかしこれが精神の病でなくしてなんでしょうか。
陰謀だけで戦争がおこる訳ではありません。
詐欺が発生するには、
無知と強欲、それに過信や依存心が必要です。
たとえ何が起ころうと、
心の戦いの総和が国民の意思として反映されます。
反戦闘争も海外奉仕活動も実際には戦争と変わりありません。
心の戦いに破れれば、人生そのものを失うしかないのです。
厳父と言う言葉があります。
むかし父親は家庭に向かって世間の厳しさを教える教師でした。
母親はその厳しさから子供たちを庇護する存在でした。
しかし今では父と母とが二人して社会に出てしまい、
子供たちを庇護する存在がどこにもいない状態が生まれてしまいました。
ヒッキーが発生したのはおおむね、子供達の責任ではありません。
世間そのものと直通ルートで結ばれたこの卑俗な組織は、
功利的な互助会程度のものとしてのみ機能してきたからです。
庇護という役目を期待されていた女性の社会進出が当然のことならば、
「自然の人間」を無視した社会関係による混乱も当然のこととして
この社会はその責任を引き受けなければなりません。
国家がもし戦争をするようにと厳命するならば、
それは国家が国際情勢と言う名の
世間の厳しさの中から発した究極の言葉であります。
国家とは基本的には、各家庭の中で培った父親像のことと思います。
母親不在の家庭で育った未成熟な「子供達?」の感受性は
かつての時代のような忠義と愛国の精神もない代わりに、
冷酷と裏切りを信条とする比類無い暴力性を備えているものと感じます。
まともに成長した人間は殺人もしなければ、自殺もしません。
おそらく考えたことさえないでしょう。
しかし賢明な人間は、時と場合によっては
その困難な選択を決断しなければならないことを理解しています。
各自の高度な信念体系?が
「自殺」や「殺人」をどのように選択したかがすべての関心事となります。
最後の審判とは基本的にはそのことを指しているように思います。
つまり「あなたは結局何者であるのか?」と言うことです。
それは法体系とは無関係に存在する、
ごくありきたりの?むき出しの人間に関する問いかけを
神と悪魔が姿も見せずにささやきかける光景です。
そうした場面が人類平等に迫りつつあるものと判断しています。