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小泉政策の本丸とも言える郵政民営化が大詰めに差し掛かっている。
今日は「郵政民営化」を中心にもう一度「小泉政策」を考察してみたいと思う。
話は少しそれる気もするけど。
【ロシア学校人質事件で、北オセチア共和国の保健省筋は4日未明、死者が200人を超えたことを明らかにした。】
http://www.asyura2.com/0406/war59/msg/476.html
との事である。これは悲劇です。
911についてはKは一貫して「アルカイダによるテロ説」であると主張しているが、これは「アルカイダ」が悪いとの意味ではない、「根本的な原因は『アメリカ派遣主義政策』&『キリスト教史観の世界への押しつけ』」にあると思っている。
人間が求めるのは「幸福」ある。これは定義が難しい面もあるのだが、基本的には「自由」にやりたい放題にできれば「幸福」と思う人と、みんなが「公平」で争いが無ければ「幸福」と思うの二極に大別出来るだろう。
「自由」は政府(もしくは他の誰か)からの干渉を排除する考え方である。
「公平」は政府(もしくは他の誰か)が法などで規律と福祉のある社会を作れ(簡単に言えば「干渉しろ」)と言う事である。
結局は、「幸福」の二大要素である「自由」と「公平」は基本的には(色々と考えはあると思うけど)正反対な要素だとKは思う、要はバランス感覚なのである。
以上の事は単なる前置きでは無く「小泉政策」を考える上では忘れてはならないのです。
さて、「郵政民営化」問題である。これによる利点は・・・
1 民間で出来る事は民間にする事によって「競争から『良的なサービス』」になる事が期待され「市場の活性化」が期待出来る。
2 公務員が減少する。
3 財政投融資資金を元から断つ事によって「財政赤字」の縮小が期待出来る。
であるが、これはそれぞれ「かなり怪しい」理屈である。
1 については「郵便局のサービス」が他の民間企業に比べ「著しく劣っている」との認識を持つ人の意見としか思えないが、「十年時代を錯誤」しているか「事務的に洗練されたサービス」と「温かみのあるふれあいの感じるサービス」の混同があるだろう。
これは「究極的には全て機械化サービスにしろ」との意見と同意なのである。合理化思考からの考えであり。将来は機械化に対応出来ない高齢者の切り捨てになると思われるが、それは「自己責任」の押しつけであり、「政府としては『責任放棄』の逃げ」の思考である。
更に、「市場活性化」による「競争社会」がいずれ破綻をきたす事を、一部の馬鹿議員は全く気付いていないし、破綻時(政策失敗時)には「政治責任」を取ろうなどとは露ほども考えていないと思われる。
一部の馬鹿以外の議員は「破綻を予感して破綻に備えている」と思われる。Kは全国会議員の「海外資産の公開」を求めるべきだと思っている。それにより「確信犯」が分かると思っている。前にも書いたが「非国民法案」を作るべきである。
いずれにしても、郵政の「民営化」は「企業倒産」を増やし、「地方の郵便局の撤退」を生む事だけは間違いがない。
仮に、国が強権を持って「地方撤退を許さない」のならば、「現郵政公社自体が倒産」して膨大な「税金の投入」が行われるか、「新たに国家経営の郵政省的な組織を作る結果になる」可能性があると思われるので、過疎地は見捨てられるしかないのである。それが「自由競争原理による収益優先の合理的社会」なのである。国鉄民営化により地方路線がどうなったのか?すでに第三セクターでも地方自治体でも維持できないのである。
2 についてだが、公務員が減少してどうなるのだろう?福祉切り捨てにはなると思うが・・・
郵便局員(貯金・保険関係)の人に聞いてみると・・・
「銀行員と同じ仕事をしているのに給与は銀行員の半分以下で、銀行員さんに比べ短い時間の勤務時間だとも思えない」そうである。
一応独立採算制を採っている郵政公社なので、「税金」には直接関係ないので、少なくとも「郵政公社の公務員削減」については(悪い事をしなければクビにもならず)「潰れない企業」に対する憎しみの思考なのだと思う。逆に言えば「(社会的に)悪い事をしてもクビにならないかもしれない(国家的に潰せない)民間企業」の職員を増やす事が「国民の利益」に繋がるとは考えられないと思えるのだが・・・
現状において、公務員相手には異常に強い「苦情頻発者」がいるという話も聞くが・・・
3 についてだが、これは「ダッダ子の意見」であろうか?少なくとも論理的な思考ができれば、順序が逆である事は明白だと思う。「財政投融資資金があるから財政投融資するのではない」「財政投融資資金が必要だから郵貯のお金を運用するのである」確かに、貸し付け業務を規制しているので、国家に委託される面もあるだろうが、「赤字国債」の乱発している「国家」が「郵貯よりの資金が余るので財投に回す」の論法は詭弁以下である。
郵政という機構においては「不良債権になる貸し付け業務を規制」しておいて、大蔵省(現財務省)において金融の主導権を握った結果が今日であろうが、そのツケを「訳の分からん子供の論法」で地方切り捨て、福祉切り捨て、弱者切り捨て、合理化一辺倒という国民への押しつけをしようとしている「小泉政策」というのがKの考えである。
と、各項目について考察してきたのだが、基本的には「小泉政策」は財政再建における「緊急回避」的意味合いの部分もある事は確かである。しかし、郵政の民営化についてはこの「緊急回避」にもあたらないと思われる。郵政は独立採算性なので税金からの人件費縮小ではないし、市場の活性化の刺激が増税に繋がるものでもない。更に言えば、もし倒産したら「国家の屋台骨が軋む」企業を市場に放出しただけで、「国家破綻」の確率は更に増し、失業者、倒産企業は更に増えると思われる。
100害あってあって1利無し政策のような気もするが、多分、郵政民営化方策が将来失策だと判明しても小泉総理の竹中大臣も「全く責任を取らない」と思う。本来ならば「政策被害者の会」的ものができて、裁判に持ち込むべきだろうが・・・
最後に最初に戻るのだが、このような「弱者の怨念を作る政策」「失業者の怨念を生む政策」「地方格差を生む政策」が、テロを生むのである。
つまり、小泉総理には「テロ」を批判する権利がないのである。自分の政策が「テロ」を生むのである。
もし仮に小泉総理が「本当にテロのない社会」を望むのならば、最初に「政策の転換」を考えるべきなのである。
過労死寸前、実際に失業した者、鉄道もない場所での生活者、倒産した企業戦士・・・
彼らが手っ取り早い「抗議行動で有効な物」を求めるとすれば「テロ」になるのである。
その様に考えれば、911等の一連の「テロ」の真犯人は小泉総理であり、ブッシュ大統領なのである。