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(回答先: 隷属からの開放は夢の中の夢 投稿者 Ama 日時 2004 年 8 月 13 日 16:22:20)
「無痛文明論」森岡正博
苦しみとつらさのない文明は、人生の理想のように見える。
しかし、苦しみを遠ざける仕組みが張りめぐらされ、快に満ちた社会の中で 人はかえってよろこびを見失い、生きる意味を忘却してしまうのではないのか・・・。
ある 看護婦さん・・・その彼女の受け持つ集中治療室(ICU)に、患者が運び込まれた。
脳に損傷のある患者で、モニターがつけられ、栄養と薬が点滴で投与され 温度調節され、大切に管理された部屋の中できめ細やかなケアがなされ、患者はさいわいそれ以上症状を悪化することなく、安定した状態になった。
しかし、その看護婦さんはケアをしながら 何ともいえない気持ちになったという。
身体を拭いたり 体位を変えたりする都度、「私達はいったい なにをやっているのだろう」と疑問を持つようになった。
というのも、その患者にははっきりとした意識がないのだが、しかし死んでいるわけでもなく、すやすやと眠っている状態なのである。 適切な治療と看護をほどこしているから、患者はとてもしあわせそうに、いつまでも すやすや眠っている。
おそらく、ふたたび目覚めて起きてくることはないであろう。 このままずっと、栄養と薬の点滴を受けつづけ、看護婦のきめ細やかなケアによって身体は清潔に保たれ、温度と湿度を快適に管理された部屋の中で、ただ気持ちよく眠りつづけることであろう・・・。
身体を取り巻く環境を完璧にコントロールされ、それに包み込まれるようにして、やすらかな表情で眠りつづける人間。 仕事や勉強もすることもない、人生の悩み事もない、面倒な身のまわりの雑事に追われることもない。 痛みも、不安も、恐怖もない。
それら全てから守られ、楽で、快適な眠りのなかに居つづけるだけでよい。
その看護婦さんは言った。
「結局、現代文明が作り出そうとしているのは、こういう人間の姿なのではないでしょうか」。 現代文明とは、集中治療室で すやすやと眠っているこのような人間を、社会規模で作り出そうという営みなのではないだろうか。 元気そうに働き、楽しそうに遊んでいるように見えても、実はその生命の奥底で ただすやすやと眠っているだけの、そういう人たちを、都市という名の集中治療室のなかでシステマティックに生み出そうとしているのではないのか。 だとすると、一体誰がそのような罠を仕掛けたのか。 何故文明はこのような方向へと進んでしまったのか。
「無痛文明」の姿をよりよく知るため、少々回り道になるが 人間と家畜との関係について考えて見たいと思う。 なぜなら、集中治療室の人間に最も似ているのは、実は家畜工場の中の家畜だからである。 狭い檻のなかに閉じ込められ、日光や温度などを人工的にコントロールされ、食料はベルトコンベアによって充分に与えられ、そうやってひたすら食べて眠ることが彼等の生になっているニワトリたちのことを想像して欲しい。
人間は、家畜にしていることと同じ事を、人間に対しても行ってきたのではないか。
それをもって 文明だと言ってきたのではないか。
・・・これが、人間の進化の ・・。