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(回答先: 35万人であろうが、350人であろうが、数字は問題ではない。虐殺があったかどうかが問題だ。南京戦争博物館館長 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 8 月 08 日 00:21:50)
ジャック・どんどんさん、どうもです。
「南京虐殺」問題は、歴史認識(事実認識)ではなく、どのように政治的決着がなされているかを出発点にしなければならないと思っています。
歴代日本政府の重大な“怠慢”は、中国が一方的に「南京大虐殺」を言い募っているわけではなく、日本政府も「南京虐殺」があったことを受け容れていることをきちんと国民に教えていないことです。
(日本政府は1951年のサインフランシスコ講和条約の第11条で極東軍事裁判の判決を受諾していますから、サンフランシスコ講和条約を否定しない限り、政府の公式見解として「南京虐殺」や「平和に対する罪」を否定することはできない法論理になっています。「南京虐殺」は、極東軍事裁判で“あった”と認定されています)
内閣を中心に政府を構成する人たちは講和条約の否定なくして「南京虐殺」を否定することはできませんが、民間国民や国会議員は立場が異なりますから、極東軍事裁判の非を主張することも、「南京虐殺」に関わる別の認識を自由に打ち出すことも、サンフランシスコ講和条約を否定することもできます。
歴代内閣が、「南京虐殺」を認めている事実なぞないかのように「南京大虐殺」論争を放置していることに無責任さを感じています。
(それを事由に絞首刑になった当時の中シナ方面軍司令官松井石根大将も、俺が罪をせっかく背負って死んだのにその甲斐がないじゃないかと思っているでしょう。彼は軍規に則った占領ではなかったことだけで敗軍の将として死刑もやむをえないと思ったはずです。彼は、自分の刑死が日中の友好回復につながることを望んでいました)
政府は、「南京虐殺」を政治的に受け容れていることを広く知らせるとともに残されている戦時中の資料を民間に公開し、民間人の力で政治的決着と事実のあいだにある齟齬を埋めてもらう努力をすべきだと思っています。
そして、何より重要なのは、人々の力で「敗戦責任」について合意を形成することだと思っています。