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日本語で書くということ【<水村美苗>読売新聞】世界を覆う植民地的な二重言語状況の下で
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投稿者 傍らで観る者 日時 2004 年 11 月 18 日 07:45:25:ayjHlPlEsGXTU
 

去る10月23日に青山学院大学で開かれた「活字文化公開講座」から、作家・水村美苗氏の講演を収録した、11月16日付読売新聞PRページの内容を紹介:


 私は、父の仕事の関係で十二歳からの二十年をアメリカで過ごした。だが、アメリカになじめず、古い日本の小説を読んで育ち、やがて日本で小説家になりたいと思うようになった。
 アメリカから戻って日本に落ち着いたのは、一九九〇年ごろである。私は驚いた。日本語そのものが変わってしまったのである。私が知っていた日本語は消え、その代わりに、過去とのつながりもなければ、現在を捉えようとする意思にも欠ける、悲しい薄っぺらい日本語が氾濫していた。それは、日本語ではなく「ニホンゴ」であった。
 なぜこうなったのか。
 思うに、それは英語が世界言語になったことと深く関係している。今、世界中で国を代表するような知的な仕事につく人は、母国語に加えて英語を知らねばならない。その二重言語状況が、日本でもいつのまにか進みつつあったのである。
 例えば、数学を含む自然科学の分野では、すでに取り返しのつかないほど日本語は滅びている。新しい発見をすれば、その知的所有権が分単位で自分のものになったり、人のものになったりする時代である。今、自然科学者は、最初から自分の研究を英語で書き、互いの研究を英語で読み合わざるをえない。社会科学でも英語の必要は進んでいるし、文学でも英語の文献が圧倒的に多くなるにつれ、英語は欠かせなくなる。
 日本語は英語とかけ離れた言葉である。このような二重言語状況は、日本語を母国語とする人には大きな負担でしかありえない。高度な教育を受けた人ほど、英語を使いこなすのに力を吸い取られ、日本語で書かれたものといえば、パラパラと読み流せる本や、雑誌しか手に取らなくなる。
 本来ならば日本語を支えるべき人−−日本文学を力強いものにすべき人が、日本語などは真剣にとらなくなりつつあるのである。
 近代史の中で植民地化された国々において、知的エリートは、二重言語状況を生きざるをえなかった。現地語しか知らない人とは全く違う言語空間で、全く違うことを考えざるをえなかった。ところが日本は植民地化されず、最高学府まで日本語で教育が受けられ、そこに日本文学が奇跡的に花開いたのである。その奇跡が今消えつつある。
 私たちはどうすればよいのか。これは最終的には、義務教育の改革という国家事業が必要であろう。
 だが何より重要なのは、読者が日本語にもっと多くを望むことである。「ニホンゴ」で書かれた本が氾濫する中で、孤立した精神をもち、もっと深いもの、高いもの、真に面白いものを日本語から望むことである。読書とは孤立した行為だが、それゆえ、そこに文学を救う可能性がある。


水村美苗氏プロフィール:
 米・エール大学仏文科卒業、同大学院修了後、帰国。後にプリンストン、ミシガン、スタンフォード大学で日本近代文学を教える。
 1990年『続明暗』で芸術選奨新人賞、1995年『私小説 from left to right』で野間文芸新人賞、2002年『本格小説』で読売文学賞。


以下、『私小説 from left to right』より抜粋:

・若い娘が男の気を引きたいのは盛りのついた動物の本能だろうが、動物の本能はそれが人間に現われたとき、露骨に政治的であった。政治的だということは歴史の力関係の中に現れるということである。(p.304)

・ふいに日本に居た間はこのような孤独というものを忘れていたことに思い至る。そして他の人と同じではないというだけで変人扱いされる国から、変人どころか狂人がいても誰も気にしない国へと戻ってきたことにあらためて気がつくのであった。(p.411)


義務教育の改革は今、「英語教育特区」のような形で、水村美苗氏の言及する方向とは逆向きに進んでいる。

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