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(回答先: 金久美子(キム・スンジャ)哀悼 投稿者 愚民党 日時 2004 年 11 月 15 日 04:18:39)
久しぶりの愚民党さんの文章に接し非常な重みを感じました。
私は演劇のことは素人だけども、妹さんを亡くし、金久美子の死に接して悲しみを新たにしている愚民党さんを拝察いたします。
92年の「感想文」感銘しました。
けど、愚民党さんの腹の中の力強い重力を感じております。
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新宿梁山泊92年9月公演「リュウの歌」感想
>しかし今から戦略的後退をしようとしても、遅いであろう。日本スター
リン資本主義の日本的経営その巨大組織は、かつての日本軍と同じ運命を
たどるであろう。中国大陸と東南アジアにおいて戦線を拡大した日本軍は、
毛沢東反日坑戦戦略と、アングロ・サクソン各個撃破・陣地奪回戦略によ
って、徹底して敗北させられてきたのである。中国大陸では、10万人か
ら延安にたどりついたときは1万人しか生き残ることができなかった革命
軍が、この長征という戦略的後退によって生成させたガイストによって、
日本軍の戦線をズタズタに分断した。この中国戦線の日本兵は生き残れた
が、東南アジア戦線では90%がアングロ・サクソンの戦略によって殲滅
させられてしまった。アングロ・サクソンとは固有の闘争者であり、一度
彼らがおのれの生死観において戦争を決意すれば、徹底して敵を壊滅させ
る。
>日本スターリン資本主義の巨大組織は、大日本帝国軍隊の敗北をリアリ
ズムにおいて総括してこなかったのである。70年代の気分とは、周恩来
によって、侵略戦争の賠償請求から解放されたことによる、他者要因から
生成した経済主義であった。日本イデオロギーとそのシステムは、日清戦
争により、中国から巨額の戦争賠償金を収奪し、その資金の活用により、
世界経済に伸し上がっていった歴史を隠蔽し、USAの世界戦略を利用し
て、中国民衆に支払わなくてはならない損害賠償金をチャラにしたのであ
る。何とゆう自己欺瞞・他者欺瞞の外交戦略であろうか?
>しかし日本経済の幻想が、夢の残骸として立ち腐れしつつある90年代
は、いかなる意味構造においても、70年代80年代の浮かれた気分に止
めをさすだろう。その歴史が自己欺瞞・他者欺瞞の歴史であろうが、結語
は必ず表出するのだ。私の現在の精神的危機とは、終わりの始まりの過度
期に、自己動物的本能が未来から規定されていることによる。
>記録者の原点とは皇帝権力に、おのれのきんたまを切って落されても、
徹底した執念で歴史を叙述した、司馬遷「史記」の表出形態であろう。あ
る体系を創造するためには十年単位で仕事を孤立無援でしなくてはならな
い。クラウゼッヴィツの「戦争論」、マルクス「資本論」、こうした人間
の長期持久のパワーに私は興味がある。
>私は現場からの逃亡者であるが、すくなくても飼い慣らされた死は拒否
したい。アダムとイブが失楽園に追い出されたように、私ももうすぐ世界
と出会うだろう。その世界とは何か? おのれの腹をくくり、自己存在を
テキスト存在へと表出させることのできる、緊張したそれでいて、なおか
つ激励される関係の世界である。この固有とはかけがいのない固有なので
ある。新宿梁山泊は民衆の辺境の場所へと空間と時間を置き、そこから固
有の物語を立ち上がらせる。そこに私は感銘する。しかし私の欲望は民衆
の辺境の場所と、同時多発的に進行しているローマ帝国の執行人たちの円
卓、そのもうひとつの辺境をかいまみせてもらいたいのである。その場所
が永遠に隠されている以上、そのテキスト存在は想像力の辺境から幕を切
って落とし、むきだしにせねば、全体空間をめぐる演劇へと上昇すること
はできない。司馬遷がなにゆえに龍神から「史記」を叙述したのか? そ
の答を私は求めていく。
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70年代に発する愚民党さんの自分との対決を演劇を通して実践されている姿を見ると、いまだになんらの哲学的な解決もできない自分にとって励みになります。
>クラウゼッヴィツの「戦争論」、マルクス「資本論」、こうした人間
の長期持久のパワーに私は興味がある。
人生は持久戦ですね。
がんばってください。