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(回答先: ソロモンのマリアとルカのマリア_羊飼いの子とマギの子【絵画に見る二人の子供イエスC】シュタイナー人智学と東方の密教 投稿者 傍らで観る者 日時 2004 年 11 月 15 日 07:48:08)
引用: 絵画に見る二人の子供イエスD
ルドルフ・シュタイナーは、1909年以来、二人のイエスの秘密を語ったが、その際に文献や伝承を引用することはしなかった。「人智学は密議伝承者達の源泉以外のものには基づかないのであり、…今日霊的探求によって見出されるものは、後に文献に向き合った時に、それらと比較されるようにすべきである。」(『ルカ伝』第1講)
「エジプト人福音書」には次の一説がある。「二つが一つとなり、外なるものが内なるもののようになる時、世に救いが来る。」
更にエミル・ボックは『イエスの幼・青年時代』の中でカバラのゾハル書の次の言葉を引用している。−「ダビデの子、ヨセフの子は一人ではなく、二人である。」「他のメシア、ヨセフの子は、ダビデの子であるメシアと一体となる。しかしヨセフの子であるメシアは死に、小さな丘が大きな丘から生を受けるとき、蘇る。」
それに対してソロモンの子とは母、古い、即ち豊かな地上経験をもった魂だった。そしてこの子供は最初から世間の耳目を引いていた。彼のために東洋の賢者がやってきて、彼のためにヘロデは赤子を虐殺した。古い文明の国、エジプトへ逃亡し、その後、ナザレへ移り住み、そこで二人のイエスは友達となった。
右の絵の作者は1400年頃のニュルンベルグのマイスターで「イエスとヨハネと共にいるマリアとエリザベス」という題が付けられている。左のマリアは青い服を着て王冠をかぶって本を開いており、それによって王家の英知ある婦人であることが示されている。これに対して右側の女性は、若く乙女のように愛くるしい顔をしており、ブロンドの髪をのぞかせている。王冠はしていないが、左の女性がしてない放射状のオーラをしている。
右の女性をエリザベスと考えることは不合理である。エリザベスは非常に年をとってからヨハネを産んだのであるから。この絵ではむしろ左の女性の方が年をとっているようである。右の女性は、魂の驚くべき調和をもったルカ伝のマリアと考えるべきである。その証拠に、右の女性の銘帯には、「イエスの母」(Sichin Mutter Ihesu(s) tut mier)という文字が見えるのである。
ヨハネと考えられる子どもは裸であり、一般にヨハネをあらわす獣皮を着ていない。子羊も十字架の杖も持っていない。何より、拝むようにイエスの方を見ていない。ヨハネが銘帯をもつ場合、「そこには、“これが神の子羊である”と書かれており、イエスの方を向いていなければならない。上述の銘帯もよく見ると、「母」(Mutter)で切れて、Ihesuのuの次にsのはねあがりが来るので、「お母さん、イエスが僕に・・・・するの(場面からすると浅鍋を取る(またはよこす)という言葉を補うことができる)と読むべきだが、それでもヨハネにふさわしくない。
二人の子どもは共に右の女性の方を向いている。二人の女性は、マリアにつきものの糸巻き棒を共に持っている。しかし右の女性が微笑しながらそれを回しているのに対して、左の女性の動きは止まっている。
しかし、左のイエスがオーラに十字架を有しているのに、右の子どもは持っていないという指摘があるかもしれない。そうではない。それは子どもの頭上で、母の手によって回されているのである。