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(回答先: 列島逆さマウスパッドで「環日本海の中心」PR 富山【朝日新聞】 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 11 月 13 日 10:21:23)
バルタン星人さんこんにちわ。スターリンは戦略を考えるとき地図ではなく、地球儀をみていたそうです。確かに広大なソ連を見るには平面地図より地球儀が適している。で、私も真似をしてできるだけ地図を見ずに地球儀をみています。
またオーストラリアで出版されている国内地図を見せてもらったら南が上なんですな。確かにオーストラリアの人口集中地のシドニー、メルボルン、キャンベラは南東部です。もしも北が上に描いてある地図ならば見づらいかも。それから国民の心理としてもよいでしょうね。北が上なら「あれ〜南極のまん前の地の果て〜」みたいな感じになる。
列島逆さマウスパッドの地図は北朝鮮のノドン・テポドンミサイル、そして中国吉林省通化の東風核ミサイルの攻撃範囲そのもの.....なんて無粋なことは言いますまい。また「環日本海」を「環東海」と書き換えさせよとする輩が多いなんて発言も今回は控えましょう。
バルタン星人さんが下さった面白いテーマで発想転換の糸口を考えてみたいと思います。
私は中国地方の過疎地の山村で生まれ育った。山陽・山陰という言い方では辛うじて山陽に入る場所です。昔は日本海側を「裏日本」なんて失礼な言葉で呼んででいましたね。
「裏日本」という言葉は今では死語とも言えますね。私達が中学くらいまでは太平洋側と日本海側を示すのに「表日本・裏日本」という言葉が使われていたように記憶しています。しかしこの言葉は日本海側の人々にとって差別的なニュアンスがあるので使わなくなったのでしょうね。
荒波の日本海側の冬と燦燦と太陽が輝く太平洋側の冬を考えると「表と裏」をイメージしてしまう。しかしこれは明治以降の傾向だと思われます。明治以後の工業化政策においては外国との貿易が重要ですから幕末に開港した横浜や神戸などの太平洋側の港が大事です。それゆえ幹線交通(東海道線)や工業地帯は圧倒的に太平洋側に集中する。そうなると太平洋側が「表」日本海側は「裏」という感じになってしまう。
けれども21世紀の現在においては日本海側の解釈が随分変わってきているようです。江戸期における河村瑞賢が開拓した「西廻り・東廻り航路」において日本海側は主要港を多く押さえていた。そして地域同士の交易を最大限に活かしており、日本海側が太平洋側に対して「輸出超過」という大変豊かな状態であったと思われます。
日本の米どころは日本海側に多いですね。庄内、加賀は江戸時代は100万石の大外様藩、秋田、新潟も米どころ。
鳥取も国名である因幡あるいは稲葉は水田耕作可能である平野の比率が高いでしょう?だから「稲の葉がたなびく」というような意味で多くの日本人の主食であった米の収穫は人口に比して効率が高かったのではないでしょうか?奈良、飛鳥時代から国府がおかれ、万葉集の選者であった大伴家持も国守として赴任するような重要地でした。
考えてみれば因幡(鳥取)は飛鳥・奈良時代から農産物、海産物、木材、塩、鉄(たたら)全部自給自足が可能であったはずです。外部との交易がほとんど無くてもやってゆけたと思われます。これは日本海側では鳥取に限らず他の地域でもそうだったと思います。
日本海側の冬の風雪は農民には気候的には不利です。けれどもその分屋内で家内制手工業を発達させて商品経済は活発でした。能登の輪島塗り、富山の薬、その他色々な場所で冬場に織物を盛んにおこなっていた。こうした自給自足+アルファの状況で日本海側が太平洋側に対して「輸出超過」になったのでしょうね。
高速道路が無い!新幹線が無い!と一部の日本海側の人々は文句を言います。でもそれは東京中心の考え方の奴隷になっていると思います。
今一度、本来日本海側が持っていた豊かさを考え直して地域活性化が出来たらいいなと思いうです。鳥取の豆腐ちくわみたいに(腹が減っているので食べ物を思い出してしまうのですが)そこでしか買えないような特産品なんかの区域外への発信を行うなど。