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アジアの風景画の歴史はヨーロッパより遥かに早く、中国では岳や河川・湖沼など自然の景観を描いた山水画が既に六朝時代(魏晋南北朝時代/222〜589)に成立し、唐の時代には大いに隆盛するようになっていました。また、宋(北宋/960-1279)の時代には「三遠」(さんえん)と呼ばれる一種の空気遠近法の手法が成立しています。宋の画家・郭熙(かくき/11世紀)は、著書『林泉高致』の中で高遠、深遠、平遠という三つの視点を組み合わせた独特の遠近法「三遠」を説いています。「高遠」は山の麓から山の頂きを見上げる視点、「深遠」は渓谷の奥を水平に望む視点、「平遠」は近くの山から遠くの山を眺望する視点であり、三つの視点が矛盾する境界部分には霧や雲海をたなびかせるような描き方が工夫されます。既に斉(南北朝時代の南朝の第四王朝/479-502)の画家・謝赫(しゃかく)は著書『古典品録』の中で「気韻生動」を筆頭とする“絵画の原理”(美学)である「六法」を説いています。つまり、それは「気韻生動、骨法用筆、応物象形、隋類賦彩、経営位置、伝移模写」の六つの原理です。骨法用筆(筆使いの基本)、応物象形(個々の形のデッサン)、隋類賦彩(彩色技術)、経営位置(構図、配置)、伝移模写(全体の形のデッサン)の四つは訓練によってある程度は修得できるが、気韻生動(作品の生命力、勢い)は画家に与えられた天賦の才能であり、後から学ぶことはできないとされています。この山水画の技術と理論は、飛鳥・奈良時代の7〜8世紀頃には隋・唐を経由して日本に伝わり、大和絵など日本画の伝統に溶け込んでいます。このような訳で、中国・日本などアジアの風景画の歴史に比べると、ルネサンス以降に本格化するヨーロッパの風景画の歴史は大変新しいものであることが分かります。
ところで、ヨーロッパの風景画の歴史の中でもネーデルラントは特別な位置を占めています。そこではネーデルラントの特別な自然環境と歴史的・地政学的な条件が背景となっており、このため1400年代のブルゴーニュ公国時代の写本装飾画の中にヨーロッパの他の地域に先駆けた「風景の描写」がしばしば見られたのです。これらの時代の画家たちが「オランダの光」を意識していたかどうかはともかく、既に、この古い時代からネーデルラントの画家たちが、独特の現実的な感覚を働かせて、近・現代的な「風景」画の美意識に目覚めていたことは疑う余地がないようです。16世紀に入ると、主に当時の国際商業都市アントワープと政治の中心地ブリュッセルで活躍した大画家ピーテル・ブリューゲル(父、Brueghel/ca1528-1569)が現れます。彼は宗教画・風景画・寓意画・風俗画などを描き、特に農民を題材にした風俗画が多かったので「農民画家」と渾名されていますが、ブリューゲル自身は広い教養を身につけた洗練された“都会人”であったようです。ブリューゲルは、数年間のイタリア留学の経験があるにもかかわらず、生涯、イタリア・ルネッサンス様式をネーデルラントへ導入することはなく、『雪中の狩人』(1565、冬)(HP/http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki7.htmの画像、参照)に見られるような独自の個性を持った「ネーデルラントの風景と風俗」の世界を描き続けました。
この遠近法を巧みに駆使した『雪中の狩人』は、一見すると東洋の墨絵のような静寂な印象を与えますが、ブリューゲルはネーデルラントの自然美をただ客観的に描いた訳ではありません。ブリューゲルのこの傑作は、静寂で凍てつくほど透明な自然の光の中に息づく、ネーデルラントに特有な確固たる生命力に満ちた心象風景(オランダの光)を描くことに成功したのです。なお、ブリューゲルの絵画は17世紀のオランダ風俗画・風景画に大きな影響を与えましたが、現存する約40点の作品のうち半数がウイーン美術史美術館に所蔵されています。
17世紀に入った頃のオランダ(北ネーデルラント)で注目すべき風景画家が現れます。実景に即しつつ抑制的な単色に近い色調で、恰も写真のようなリアルさで描く「単色様式(単色色調様式)の風景画」を1630年代に確立したサロモン・ファン・ライスダール(Salomon van Ruisdael/ca1600−1670)とヤン・ファン・ホイエン(Jan van Goyen/1596-1656/HP、http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki3.htmの画像、参照)の二人です。彼らは17世紀前半のオランダにおける最も重要な風景画家であり、彼らの絵の特徴は、地平線を思いきり低くとって無限の光に満ちた風景を描こうとしていることです。このような風景のために地平線を低く捉えるカメラ・アングルは、クローン監督の映画『オランダの光』でも採用されています。ただ、オランダのレンブラントやスペイン領ネーデルラント(現在のベルギー地方)の画家たち、例えばルーベンスの風景画などは逆に地平線を高くして地表面のドラマチックな表情を描こうとしています。
そして、「オランダ最大の風景画家」と呼ばれるのがサロモンの甥ヤコブ・ファン・ライスダール(Jacob van Ruisdael/ca1628-1682/HP、http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki3.htmの画像、参照)で、彼の風景画はホイエンやサロモンよりドラマチックであり、“光と影によるバロックの風景画様式”を完成させました。なお、彼の構図の雄大さと明暗を対比させた光の効果は、レンブラントの影響を受けたものと考えられています。ヤコブ・ファン・ライスダールは、その弟子ホッベマ(Meindert Hobbema/1638-1709/自然に対する、しなやかな感受性の表現に優れている)とともに18〜19世紀のイギリス、フランス、ドイツの風景画に極めて大きな影響を与えています。しかし、ヤン・ファン・ホイエンとサロモン・ファン・ライスダールの風景画の方は、19世紀中葉になりバルビゾン派の画家たちが注目するまでは不当にも低い評価を受けてきたのです。
17世紀後半になると、さしものオランダの経済繁栄(黄金時代)も爛熟期を過ぎて次第に衰微へ向かい始めますが、この時代のデルフトに生まれ同地で没した“風俗画家”フェルメール(Johannes Vermeer/1632-75)は、オランダ市民社会のニーズを背景に独自の静謐さに満ちた「オランダの光」で“個性的で比類のない美のミクロコスモス”を創造します。フェルメールは17世紀の画家ということで美術史上はバロック絵画のジャンルに入れられるのが普通ですが、フェルメールの芸術的な個性はバロックの変幻自在で流動的な運動・生成とは全く正反対であり、彼は、きわめて静けさに満ちた独自の世界を創造しています。フェルメールの現存作品はわずか35点に過ぎないこともあって、彼の死後はそれらの存在が永く忘れ去られていました。1860年代にフランス出身の美術史家トレ・ビュルガーがフェルメールを再発見したことは既述のとおりです。
フェルメールの少ない作品の中の2点は風景画で、その内の一枚が17世紀ネーデルラント風景画の傑作とされる『デルフトの眺望』(HP、http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki7.htmの画像、参照)です。フェルメールの絵画は、この『デルフトの眺望』に限らず暗箱「カメラ・オブスキュラ」を使って描かれたとされています。カメラの前身であるカメラ・オブスキュラは四角な箱に穴を開けてレンズを取り付け、そこからの入射光を対抗面の磨りガラスに映す道具です。フェルメールは、このカメラの眼によって室内風景を描く場合にも極めて精緻な遠近法の構図を作ることに成功しています。また、カメラ・オブスキュラの磨りガラスに届いた光のピントが少しズレる時に小さな玉のようになることからヒントを得て、フェルメールは独自の「点綴法」(てんていほう)という描画法を考案しています。この「点綴法」とは、いわば小さな白い光の玉が並ぶように描くことで強い反射光を表現する技法です。
例えば、『デルフトの眺望』の右端の船の黒い船体には白い小さな玉が点々と並んでいるのがわかるはずです。フェルメールの作品は『真珠の首飾りの少女』(HP、http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki7.htmの画像、参照)、『牛乳を注ぐ女』、『手紙を読む女』など明るい陽の光に満たされた室内空間の精密な描写という意味では、ほぼ同時代のピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch/1629-84/フェルメールと競った画家)と似たような室内画を描きましたが、現在ではフェルメールの技法の方が高く評価されています。フェルメールの特徴は、まず幾何学的で堅牢な平面的秩序が透視図法による三次元空間と完璧なまでに均衡しており、しかも描かれる人物像が、自然体でありながらも何かモニュメンタリティ(物語性)を感じさせるように、かつ極めて美しく描かれていることです。しかも、その室内に満ちた光は自然光でありながら同時に現実を超えた世界を現出させるという意味で、それは実に個性的で精妙な光であり、これこそが「オランダの光」の一つの典型ではないかと思われます。
フェルメールの最大級の傑作とされる『絵画芸術』(ca1666-1673)は、30歳半ば〜40歳頃に描かれた作品ですが、それは精密で現実的な観察に基づきながらも寓意に満ちた理想の世界を描いたフェルメールの“至高の傑作”とされています。しかし、この絵の詳細な解釈については、今でも議論が尽きていないようです。ラッパと大きな書物を持つ女性は歴史を司る女神クリオの扮装で、彼女の頭を飾る月桂冠は永遠の名声を表します。机上の仮面はミメーシス(模倣)の象徴、いわば「絵画芸術」そのものの象徴です。真正面を飾る大きな地図はネーデルラント17州(現在のオランダとベルギー)の地図です。これを総合的にどのように解釈するかは様々ですが、例えばネーデルラントの絵画芸術の優秀性を表しているのかもしれません。図像の細部や寓意の解釈もさることながら、やはり重要なのはフェルメールの至高の調和と光、そして精妙な細部描写、つまりフェルメールの「オランダの光」による美の創造を堪能することです。
オランダの歴史家ホイジンガはフェルメールの美の世界を“静寂と平和と憂愁に満ちた夢想の世界”と表現しています。『真珠の首飾りの少女』は、マウリッツハイス美術館の三階の一室に『デルフトの眺望』とともに飾られています。マウリッツハイス美術館は17世紀にマウリッツ公(Maurits/1567-1625/ウイレム1世の次男でオランダ総督/古代ローマの戦術を研究、ユトレヒト同盟諸州の領域からスペイン軍を駆逐してオランダ共和国の基礎を築いた人物)の私邸として建てられた優雅な建物です。この三階の部屋に入ると、青いターバンを巻いた『真珠の首飾りの少女』の大きな美しい目がこちらの方を見つめています。しかし、そのあどけないような少女の顔は一瞬のうちに一人前の艶やかな女性の顔に変わる瞬間があります。ここでもフェルメールは、少女をモチーフにしながら、デルフトの大気の中で生命(いのち)あるかぎり揺れ続ける絶妙な「オランダの光」を描いて見せます。
フェルメールが殆どの人生を送ったデルフトは、14世紀末に出来たスヒー運河を使えば短い時間で海へ出られる場所、つまり交通の要所に位置しています。そこでは、まず水運業が、次いで醸造業・毛織物業・陶業など様々な産業が続々と興りました。17世紀にはスヒー港の近くにオランダの海外雄飛の基地である東・西インド会社が置かれました。『デルフトの眺望』で描かれているスヒー港の周辺には、今でも当時の豊かな繁栄を想わせる壮麗な建築物が数多く建ち並んでいます。
また、デルフトはオランダ建国の父と呼ばれるオラニエ家のウイレム沈黙公と関係が深い街でもあります。オランダ独立戦争(1568-1648)が始まって間もなく、1572年6月にウイレム沈黙公は北ネーデルラントの拠点としてきたハーグを捨ててデルフトに本拠地を移しました。それは、頑強な市壁に囲まれたデルフトには長い戦乱の時代にこそ頼りとなる「要塞都市の条件」が備わっていたためです。それ以来、ウイレム沈黙公はデルフトからオランダ解放のための命令を出し、デルフトに外国からの使節を迎え入れたのです。因みに、オラニエ家の流れを汲む、今のオランダ王室の墓所もデルフトにあります。
実は、全く作風が異なりながらも「オランダの光」の探究という一点で共通すると考えられるレンブラントとフェルメールの「間には、両者を繋ぐ“細い一本の糸”があるのです。それは、レンブラントの弟子の中で最も才能があるとされたカーレル・ファブリチウス(Carel Fabritiusu/1622-54)という画家の存在です。ファブリチウスは、レンブラントから画業を学んだ後デルフトに移り住んで風俗画家となっており、フェルメールはこのファブリチウスから「明暗法の技術」を学んでいたのです。しかし、1654年にデルフトで火薬庫が爆発する大事故が起こると、ファブリチウスはその爆発の巻き添えとなり命を落としてしまいました。しかも、この事故でファブリチウスの作品の殆どが失われてしまったのです。また、フェルメールの作品が極めて少ない理由として、この大事故に関係があることが疑われています。しかし、最早、それを検証する術は見つかっていません。
また、『真珠の首飾りの少女』という題名のイギリス映画(ピーター・ウエーバー監督/http://www.girlwithapearlearringmovie.com/)が、今年、公開されており、大変評判になっています。特に、この映画で「真珠の首飾りの少女」のモデル役を演じるスカーレット・ヨハンソン(オランダ人)の瑞々しい演技力が注目されています。この映画は、『真珠の首飾りの少女』の制作過程でモデルの少女と画家フェルメールの間で起きた「視線と光による美の結晶」のドラマです。
(2004/04/14/News-Handler、初出)
<参考URL>
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/
http://blog.goo.ne.jp/remb/
http://blog.nettribe.org/btblog.php?bid=9816b255425415106544e90ea752fa1d
http://blog.melma.com/00117791/