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(回答先: Re: べつにオカルトはあると結論付けてもいいんじゃないですか。 投稿者 南青山 日時 2004 年 10 月 10 日 23:27:47)
>南青山さん どうもです。
Kは南青山さんが「オカルト肯定」されるとは思っていませんでしたので少し意外ですが、まあ、その様な事もあるでしょう。
さて、それはともかくとして、ご意見には受け入れられる部分とそうでない部分があるようです。
【オカルトはあるかないかという問題に拘泥するのではなく、存在するとして、それで世界がどう変わるかを考察した方がより実り多いのではないでしょうか。】
の結論部には同感です。Kはそれを模索しようと思い、その為に今回の問題提起をしているつもりです。
【問題は、オカルトがあるとして、それで何が変わるかですね。ものを数センチ浮遊させたり、移動できたとしても、持ち上げればそれですむわけですから、それ自体、たいしたことではない。】
と南青山さんが認識しているならば、そこに「問題点」がある訳です。それは「オカルト否定論」の一種なのです。
Kは「ある掲示板」で「エクトプラズム」の研究をしようとして、虐められてきた事があります。否定論者は多いのが実情です。
それでも、「あるかもしれないが、実生活に役立たないならば無視すべき事柄」と認識されている人は否定派より多いでしょう。程度の問題ではありますが、知識を役立てる事を考察しようとしないのは「否定論者」と同じです。そして、その人達は「肯定的研究者」より圧倒的多数で、「肯定的研究者」の足を引っ張る存在なのです。
Kは「問題は、実在する(オカルト)現象と妄想の厳密な区別」が最重要と考えています。「念力計」が実在するならば「念力は無い!」とする「科学の一般論からの主張」は少なくとも一部では誤りである事になります。
一口にオカルト・超能力と言っても色々あります。「念動力」「読心術」「瞬間移動」「エクトプラズム(霊媒による)」「予知」等ですが、これらは一緒くたにして「ある。無い」で考察するべきでは無いでしょう。
仮に「霊媒」が本物だとすれば、未解決の事件などの解決に役立ちますが、まだ、世界はそれを認めないでしょう。では、その霊媒が「念力を示し」「念写を見せた」としたら「口寄せ」は本物でしょうか?
超能力の原理が解明されなければ、本物とは言い切れないでしょう。
今必要なのは「科学者たち」に「オカルト」にも研究する価値があると認識させる世論造りではないでしょうか?
【考察者Kさんも、オカルトはあるかないかという問題に拘泥するのではなく】
とのご意見ですが、個別の「現象」について「ある。無い」の考察を行い。本物、偽物を区別してからでないと【それで世界がどう変わるかを考察】の考察に移れないのではないでしょうか?