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(回答先: Re: 水木しげる『神秘家列伝』とカントの『視霊者の夢』 投稿者 バルタン星人 日時 2004 年 10 月 11 日 01:33:27)
バルタン星人さん、お久しぶりです。
バルタン星人さんはサイキックマニアでもあるのですか。
最近のFBIサイキック捜査官ブームはどう思われますか?(笑)
>映画「グリーンマイル」もそうですが、半村良の小説『岬一郎の抵抗』にありましたね。もの凄い能力を持ったサイキッカーは個人としてはあまりに無力であり国家に翻弄されるという。
キングの小説にも多いですね。『グリーン・マイル』以外にも『デッド・ゾーン』とか『ファイアスターター』とか。
『ファイアー〜』は映画はひどかったですが、キングの中では好きな作品です。(いま文庫版で『スタンド』を読んでいますが、なかなか進みません)
>18世紀で最も高名なのが視霊者スウェーデンボルグですね。
スウェーデンボルグ、ちょっとはまりました。
ただ、霊界の記述がかなり退屈だったのと、ベルグソンに出会ったことで、離れていきました。
水木しげると荒俣宏の劇画化は知りませんでした。
さっそく探して読んでみるとこにします。
以前、最強の超能力少年(出会ったときは青年でしたが)と、仕事絡みで何度か超能力の実演(といってもスプーン曲げが中心でしたが)に立ち会ったことがあります。
一度は、東大工学部のゼミ室で、教授や助手、院生の人たちの前で、実演を見守りました。
小生は工学系(基礎電子物性)出身で科学的見地からの興味もあって実演に参加しましたが、結局はっきりした結論は出ませんでした。
小林秀雄も、どこかの講演で、ユリ・ゲラーについて言及していますね。
今東光の家でユリ・ゲラーの放送を見ていて、実際に止まっていた時計が動き出したと述べています。
そういえば、小林秀雄も、ベルグソンのファンですね。
重要な書物としてベルグソンの『物質と記憶』とフロイトの『夢判断』をあげています。
>柄谷さんがカントの見方で分かれるところは、私は『視霊者の夢』がカントとして一番大事な書物で、むしろ後の『純粋理性批判』などは、『視霊者の夢』で遭遇していたアイデンティティーの危機に対する一種のディフェンス・メカニズムだというようなことを、この前の座談会でも話したのです。
坂部恵が『視霊者の夢』を一番大事な書物とするのはわかる気がします。
結局、何か根拠を求めようとすると、そちらの方へ進むよりないのかなと。
最後に、ベルグソンの心霊研究について言及した箇所(1913年5月ロンドン心霊研究会での講演録)を紹介します。
「生きている人のまぼろし」と「心霊研究」(『ベルグソン全集5 精神のエネルギー』渡辺秀訳、白水社、p.100)
科学が、ベルグソンが言うような精神の科学としての歴史をたどっていたらどのような世界が現出したか、ちょっと見てみたい気もあります。
わたしはときどき、もし近代科学が数学から出発して力学、天文学、物理学、化学の方向に向かうのではなく、またすべての努力を物質の研究に集中するのでなく、精神の考察からはじまったとしたら――もしたとえばケプラーやガリレオやニュートンが心理学者だったら、どうなっていただろうかと、想像してみたことがあります。今日わたしたちがまったく考えられないような心理学ができていたことでしょう――それはガリレオ以前の時代に現在の物理学を想像できなかったのと、同じことでしょう。その心理学と現在の心理学との関係は、たぶん現在の物理学とアリストテレスの物理学との関係に似ていることでしょう。その場合科学はすべての機械論的な観念とは縁がなくて、あなたがたが研究なさるような現象を、ア・プリオリに遠ざけることをせず、それらを熱心にとりあげたことでしょう。おそらく「心霊研究」は科学の主要な関心事の中に入ったことでしょう。精神の働きのもっとも一般的な法則が(力学の根本原理が実際に発見されたように)発見されると、人々の研究は純粋な精神から生命に移ったことでしょう。そこで生物学がつくられたでしょうが、それは現在の生物学とはまったく違った活力論的な生物学で、生物の形態の背後に、それらの形態に現れる目に見えない内的な力を求めるものでしょう。