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『公安警察の手口』(ちくま新書)が、いよいよ10月8日(金)に発売です!
(1)1年かかり、苦労して、やっと書き上げた
お待たせいたしました。いよいよ発売です。今週の金曜日、10月8日に全国の書店に並びます。私の『公安警察の手口』(ちくま新書・680円)です。
「これは売れますよ!」と、ちくまの担当者も言ってました。目立ちますよね。それに、タイトルで、ドキッ!としますよね。さらに、本の帯には、こう書かれてます。
〈ガサ入れ、尾行、スパイ養成。 謎のヴェールに包まれている公安警察。彼らはどんな手法で捜査を行うのか? その実態を検証する。〉
凄いですね。本屋で見たら、「おっ、これは何だ!」と思っちゃいますね。今までにない本です。思わず手にとってしまうでしょう。カバーの見返りのとこには、こう書かれています。
〈急速に監視社会化が進む日本。少しでも体制に楯突けば逮捕される時代になりつつある。こうした状況のなかで、不当逮捕を繰り返し、統治機構の末端で暴力を行使しているのが公安警察である。
しかし、その捜査手法は謎に包まれており、実態は明らかになっていない。いったいヴェールの向こう側では何が起きているのだろうか? かつて赤報隊事件で公安警察の濡れ衣を着せられた経験を持つ著者が、その捜査手法や権力構造を照射し、知られざる公安警察の〈真実〉を追究する。〉
意気軒高ですね。体制に逆らい、歯向かってますね。そして、ズバリとこの本の全体を紹介しています。ちくまの担当者が書いてくれたんです。優秀な人です。この人がいたから、この本は出来たんです。それに、筑摩書房も、よくこんな挑発的で、危ない本を出してくれたものだと思います。それに、これは何も僕が無理を言って作らせたのではありません。向こうから話があったのです。「エッ! 本当ですか。ちくま新書でそんな本を出していいんですか?」と思わず聞いちゃいました。原稿を書きながらも、本当に出るんだろうか?と思いましたし、見本誌の出来た今になっても、まだ信じられない位です。では、目次を紹介します。
まえがき
序 章 やりたい放題の公安警察
第一章 公安警察の論理
第二章 組織構造と歴史
第三章 「潜在右翼」の発見
第四章 共産党へのスパイ作戦
第五章 新左翼へのスパイ工作
第六章 ガサ入れ、尾行、張り込みの実態
第七章 監視社会のゆくえ
あとがき
よく本になったなーと、今でも思います。特に、タイトルです。『公安警察の手口』です。別に僕が無理押ししたわけじゃありません。40年、公安には苛められ続けてきたから、その復讐か、と思われては困ります。そんな個人的な感情は脱却しています。もっと広い視野から書いたつもりです。
本の話があったのは、去年の春でした。おととしの暮には、現代書館の『ヤマトタケル』を頼まれていました。だから、去年の夏休み(7、8月)で、『ヤマトタケル』を書き上げよう。冬休み(12、1月)で、『公安警察の手口』を書き上げようと思いました。去年1年間、この二冊のことだけを考え、関連の本を買い集め、図書館に通い、そして、関係者に話を聞き…と、大変でした。
いやー、「1年間で10年分の仕事をしたなー」と思いました。ところが、去年の苦労なんて、今年の苦労に比べたら、ほんの序の口でした。『ヤマトタケル』は、ゲラが出るのは遅れましたが、出てからは、スムーズにいきました。名前や地名、読み方などが、いろいろあって、どう統一するかとか、そういうことは大変でしたが、でも、全体的にはスムーズに行きました。そして、8月2日の発売になりました。イラストも多いし、とても楽しい本になったと思います。
ところが、『公安』の方は、原稿を書き上げてからが大変でした。一気に冬休みに書き上げたのですが、270枚を書くとなると、どうしても中途でダレてきたり、話があっちこっちに飛んだり…となる。「そこは書き直して下さい」「ここはダメです」と、担当者にビシビシと言われた。さらに、「組織と歴史も書きましょう。至急、書いて下さい!」と言われ、調べ直し、いろんな人に取材し、聞いたり…と大変でした。とりわけ今年は暑い夏なのに、さらに暑くなりました。
多分、半分以上は書き直しをしました。こんな体験は初めてです。とても自分の力の限界を超えてるよ。もう、ムリだよ。と何度も思いました。「こんな危ない本は出せるのか?」という不安よりも、「自分の力じゃ、書けないんじゃないか」という不安の方が大きくなりました。でも、この不可能に挑戦し、やり遂げなければ、ライターとしての新しい一歩はない。そう覚悟し、歯を喰いしばりながら、書き続けました。
「あとがき」でも書きましたが、初めこの企画がきた時には、「よくぞ、僕に話をもってきてくれた」と思いました。「これを書くのは僕しかいない」とも思いました。でも、傲慢だったんです。「公安のことは全て知ってる」と思ってたのに、そうではなかったんです。
(2)日本「最後のタブー」だわ、公安は…
それからは苦労でした。資料を集め、人に聞き、さらに「ああでもない」「こうでもない」と、自問自答を繰り返し…と。さらに相手(公安)は、厚いヴェールに包まれている。人員も、何をやってるかも発表しない。殺人や強盗を捜査する刑事警察ならば、分かる。裏金などの不祥事があっても、バレるし、責任者が処分されるし、上の人間も顔を見せて謝罪する。
ところが、公安警察は全く顔が見えない。公安は全てが「裏金」だし、存在自体が「不祥事」だ。隠密のように、姿をかくし、スパイを育てている。左右の「過激派」だけでなく、おとなしい公党の共産党にまで、それをやっていて、膨大な金と人員を投入して、スパイを養成している。公安のスパイになった党員で、自殺した人もいる。しかし、誰も責任をとらない。「こんなことはやめよう」「公安なんかいらない」と言う人もいない。マスコミも、公安の問題だけは避けて通っている。
ある意味では、日本最後の「タブー」だ。誰もそれに手をつけない。
「でも、過激派がいるから、取り締まりのために公安はいるんだろう」「危険から我々を守ってくれてるんだろう」と反論する人もいるだろう。そう思う気持ちは分かる。しかし、殺人事件を追い、交通事故を調べる警察とは全く違うんだ。「人間が何を考えているか」を調べ、監視しているのが公安なのだ。人の心をのぞきこんで、取り締まろうとしている。それは本書を読んでもらえば分かる。
又、公安があることによって、左右の活動家も疑心暗鬼になって、「こいつはスパイじゃないか」と思い、内ゲバをやったり、暴走したりする。そうした事件の数々も紹介した。さらに、一般の市民運動や、ボランティア活動にまで、網を張って、監視社会化を強めている。
大体、60年代後半の、学生運動が激しい時に、それらを力で叩き潰すべく、公安は人員、予算が急増した。しかし、今、学生運動も左翼も右翼もない。「ない」と言い切ってしまっては正確じゃないか。少なくとも当時の千分の1、あるいは1万分の1しかない。ところが、公安は昔のままだ。いや、人員も予算も増えている。
これは奇妙なことだ。「いや、まだオウムがいる」「革マルがいる」「潜在右翼がいつ暴発するか分からない」「国際テロもある」…と、理屈をつけて、公安は自らの存在と必要性を認めさせ、居直っている。そして最近は、「国際テロ」をことの他、強調している。「スペインの列車事故のようなことが明日にも起きるぞ」「まだまだ過激派いる。爆弾魔がひそんでいるぞ」「アルカイーダとつるんでる奴らが日本にもいる」…と、大声で喚いている。
そうした情報の嵐の中で、人々は毎日、〈洗脳〉されている。「そうか。そんなに危ないのか。だったら公安は必要だ」「何といっても〈安全〉が大切だ。少しくらい、不自由になっても仕方ない」…と思っている。
たとえば、渋谷や新宿の町で、警察官が通行人を呼びとめ、いきなり、「カバンの中を見せろ!」と言っている。言われた人も、警察に逆らっても無駄と思い、おとなしく荷物を見せている。しかし、20年前、いや10年前だったら、暴動になってた。「警察国家化を許すな!」「戦前の暗い時代に戻すのか!」と。
しかし今は、そんな怒りの声も起きない。闘う学生運動、労働運動もない。そして、公安警察だけは、どんどん強大化している。「いや、外国人犯罪は増え、少年犯罪も増えている。ストーカー、痴漢も多い。子供を虐待する親もいる」と言うだろう。その通りだ。
何度も言うように、警察は必要だ。だから、公安警察は全廃し、(あるいは最小限度にして残し)、それを全て、刑事警察に回したらいい。こっちの方が警察の本来の役目のはずだ。又、刑事警察は人手が足りなくて困っているのだ。
ところが、そんなことはしない。公安はエリート意識が強い。そして、刑事警察をバカにしている。「人殺しや強盗が捕まらなくても国家はビクともしない。しかし、左右の過激派は国家を転覆させようとしている。俺たちは、奴らから日本を守るために闘っているんだ」。そういうエリート意識だ。歪んだ〈愛国心〉だ。
それに、警察内部でも公安はエリートだし、出世コースだ。そうした問題もこの本の中では書いた。このエリート意識に対しては他の部署からの反撥もある。「公安警察と刑事警察」の対立といわれる構図だ。それらについても書いた。
(3)よく、こんなタイトルを付けたね。「手口」なんて
それにしても、このタイトルで、よく出してくれたと思う。だって、「手口」といったら、いい意味はない。「犯罪の手口」「殺しの手口」というように、〈悪の手法〉だ。公安に喧嘩を売っている。
はじめ、担当者は、『公安の手口』という本を書いて下さいと言ってきた。『公安の手口』か。いい。ゴロもいい。スッキリしている。こりゃ、凄いと思った。ところが、「公安」だけでは、何のことか分からない人も多い。僕ら運動家にとっては「公安」といったら、すぐにピンとくる。だから、『公安の手口』と聞いて、ヒャーと思ったのだ。でも、一般の人々はちょっと分かりにくい。
それに、最近警察を批判する本や、告発本が多い。宮崎学もよく書いている。全部、刑事警察の不祥事を暴いている。こっちは、公安警察の不祥事を書いている。だったら、『公安警察の手口』と書いた方が、分かりやすい。そういう結論になった。
「しかし、こんな危ないタイトルで大丈夫ですか」と聞いた。「ウーン」と担当者は言っている。
「もし、これでダメなら、もっと温和なタイトルでもいいですよ。要は、この本が出ることが先決問題ですから」と僕ははつい弱気に言っちゃった。
たとえば、『公安警察の手法』『公安警察のお仕事』『公安警察の方々』…でもいいですよ。『公安警察の皆様、ご苦労さま』でもいいし。なんて言っちゃった。
「でも、そんなことを考える時点で、もう負けてますね」
と担当者にピシャリと言われた。叱られた。
あっ、そうか。と僕も目が覚めた。よし、じゃ、「手口」で行きましょう。「手口」しかないですね、と僕も腹をくくった。
そして、タイトルなどを決める会議も通り、校閲も通り、無事、『公安警察の手口』誕生となりました。バンザーイ!
ともかく、ちくまの勇気に心から感謝します。それに、出す時期もラッキーでした。『公安警察の手口』のカバーを見て下されば分かりますが、こう書かれてます。
〈ちくま新書は創刊10周年。 おかげさまで500点突破!〉
10周年記念で出るんです。そして、500点突破の記念の時に出るんです。今月出るのは7冊。それで、500点突破なんです。「じゃ、僕の本は何冊目ですか?」と聞いたら、「498冊目です」よく見たら、背表紙の下に「498」と書かれている。これが私の背番号か。
これを聞いて、アレッと思った。『ヤマトタケル』は現代書館のフォー・ビギナーズ・シリーズの98冊目だ。498冊目と98冊目。何という偶然でありましょう。同じ「98」だなんて。8は八であり、「末広がり」をあらわすそうです。『ヤマトタケル』でも書いとりましたね。じゃ、幸せの薄かった私も、これからはハッピーになれるのかもしれません。さらに本もどんどん出て、売れるのかもしれません。
でも、せっかくハッピーな気分になってる時に、水をかける人もいるんですな。
「『ヤマトタケル』にも書いとったぞ。8は横に倒すと∞で永遠・無限を表わす。つまり、98というのは“苦しい生活が無限に続く”ということじゃ。これからも苦闘の旅は続き、貧乏のままじゃよ」…と。
せっかく、幸せ気分にひたっていたのに、ガックリきますね。
でも、そんな予言、数字占いに負けずに頑張りましょう。皆さんもよろしく。うん、売れるでしょう。と祈って、今週もおわり。