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映画『未来への伝言』と映画『われ一粒の麦なれど』と1960ポリオ生ワクチン輸入運動と現在
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/400.html
投稿者 手ポリオ 日時 2004 年 10 月 09 日 14:40:48:HcDLIonJaW4jM
 

どっちの映画も、単なる娯楽鑑賞映画ではなく、現実の社会運動へつなげるために作られた。
しかし、まだ根底の権力構造との対決には踏み込まない。それをやり出すと、「風流夢譚・嶋中事件」や「政治少年死す」のようになるか?あたらずさわらずの目先のご利益の運動なら、多くの人々と堂々と一緒にやれる「人道・ヒューマニズム運動」だものね?だいたい、左翼をたたくときには、「ソ連・東欧の崩壊」や「北朝鮮たたき」や「浅間山荘」や「よど号」や「東アジア反日武装戦線」などなどを出すけど、右翼も上記のような「風流夢譚」や「政治少年死す」や「赤報隊」や「建国義勇軍・国賊征伐隊・刀剣友の会」や「朝鮮征伐隊」などということをやりまくっているし、「ナチス、ファシズムの崩壊」や「大日本帝国の崩壊」や、暴力団は仁義なき戦いという内ゲバに明け暮れながら、総会屋や地上げ屋や企業ヤクザなどとして政府や財界や軍産複合体や警察の権力とつるんでいるし、だいたい今のブッシュやコイズミや石原慎太郎などのやってること自体が右翼そのものじゃんか、日の丸・君が代、教科書、「日本会議」、靖国、天皇賛美…。それに宗教も原理主義だの狂信的武装集団だのとその部分のみでたたいたり、別の部分ではうわべのキレーゴトで持ち上げたり、とすれば、ウヨもサヨも宗教もどっこいどっこいになってしまう。どちらもうわべのキレーゴトのおだやかさが大好きで、と同時に、とんでもないおぞましいことも平気でやっている。権威主義のピラミッド構造で、本当に弱い者は浮かばれないし、そもそも「強い者・弱い者」という基準を超えて、それぞれが主張できなければならないのに、声を上げさせなくするのはどちらも同じ、ちから主義。くたばれや。本当なら、どちらにしても、物を言い出しにくい者が、あたりさわりのあること・言いにくいことを、物が言いやすい立場にある者に向かって、うわべのしゃべり方ではなくて、本音でどんどん声を上げれるようにしなくては抑圧構造は変わらない。そのとき、ネクラとかウザいとかトロいなどのスティグマをすることがレッセ・フェールなのだと言いたいのだ。人間が本音を言うときには、ドロドロ・グチャグチャなものだ。みんな、そこを避けてばかり。そして、障害者はいつもアカルク・タノシク・レーギタダシク・オギョーギヨク・セケンニエンリョガチニ、セケンニキニイラレルヨーナイキカタヲシナサイ、にさせられていく…。ヤダネッタラヤダネ。私は両手ポリオです。

<ハンディキャッパーの不幸は身体が不自由であるという物理的なものと、容姿が不気味に映ることによる精神的な重圧だと思う。人間が初対面の異形なモノに対して抱く警戒心というのは本能的なものだ。多くの映画はハンディキャッパーを「容姿の美しい役者」に演じさせてきた。同情を誘うためか?それとも「抗議」を恐れてのことか?………「偽善的」「おしつけがましい」………あなたはキチガイだ。キチガイでなければできないんだ。………「踏まれても蹴られてもヘコタレない」狂信的な「情熱」………>
http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/1996_03/960302.html

―――今から44年前、1960年、ポリオ生ワクチン、ソ連から大輸入運動があった・・・

★最後の日ソ合作映画『未来への伝言』1990年11月24日初公開 上映時間:110分
http://www.cdist.co.jp/movie/0007.html

企画:栗原小巻/松木征二
主演:栗原小巻 レオニード・フィラートフほか
監督:アレクサンドル・ミッタ
脚本:岩間芳樹/ビクトル・メレシコ/アレクサンドル・ミッタ/ウラジーミル・ツヴェートフ
   
かいせつ

 この映画は、30年前に日本とソビエトの間で本当にあった出来事を題材に、日本とソビエトの映画人が共同で製作したものです。 監督は、「モスクワわが愛」のアレクサンドル・ミッタ。主演はソ連のトップスター、レオニード・フィラートフ、「冷嬢ターニャ」で最優秀女優貰を獲得したエレーナ・ヤコブレワなどソ連の第一級の俳優が顔を揃え、日本側からは、この映画の企画者でもある栗原小巻が主演をしています。
 ソビエトでは「最初の一歩(シャグ)」というタイトルがつけられています。ソビエトの医療技術者たちが不眠不休の体制でポリオ・ワクチンの増産にとりくむ姿、それをサボタージュする官僚たちへの痛烈な批判が描かれ、今日のソビエトの揺れ動く状況も反映されています。
 日本側の製作には、「若者たち」三部作、「子育てごっこ」などを生んだ日本の独立プロの「(株)仕事」(旧俳優座映画放送(株))があたっています。

あらすじ

【小児マヒ(ポリオ)の大流行】
 1960年前後、小児マヒ(ポリオ)が世界中で大流行し、日本でも全国各地で猛威を奮いました。朝には元気だった子どもが夕方には高熱を発し、あっという間に生命を奪われ、運良く命をとりとめても、生涯にわたるマヒがからだに刻みこまれてしまいました。

【100%の効果を発揮する生ワクチン】
 当時、日本で使われていたワクチンの効果は不確実なものでした。ところが100%の効果を発する生ワクチンの大量生産がソビエトで実現し、絶大な効果を発揮していたのです。

【生ワクチンを輸入して!】
 当然のように、このソビエトの生ワクチンの輪入を求める声がわき起こりました。しかし、当時日本とソビエトはようやく国交を回復したばかりで、また薬事法の制限もあり、輸入は認められませんでした。

【"子どもたちの生命を守れ!"】
 母親たちは、全国各地で立ち上がりました。わが子を守りたい、の一心で始まった母親たちの運動は、やがて地方自治体や議会、マスコミ、労働運動、医療関係者たちをまきこんで一大国民運動になっていきました。そして、1961年7月ついにソビエトから一千万人分の生ワクチンが羽田空港に到着しました。そして、その後、日本におけるポリオの発生は急速に滅少していったのです。

【なによりも未来のために】
 あれから30年、日本は大きく変化を遂げ、経済大国と呼ばれ、私たちは一見、豊かさの中に暮らすことができるようになりました。しかし、戦争、飢餓、貧困などのために、短い一生を終えねばならない子どもたちが世界中にどれほどいるでしょう。むざむざ消えいく子どもの生命を見守るしかない母が世界中にどれほどいるでしょう。いえ、日本の子どもたちもほんとうに豊かな環境の中で育っているといえるのでしょうか。

当時子ビもたちのために走り回ったみなさん。
当時生ワクチンで救われたみなさん。
そして、今、子どもたちに生ワクチンを飲ませているお母さん、お父さん。
ぜひ、この映画をご覧ください。
多くの方々の情熱が、たしかに世の中を動かしたというこの歴史を知っていただきたいのです。そして、わが子を見つめる目で、日本中の子どもたちに、そして世界中の子どもたちに目を向けてほしいのです。
何よりも未来のために!!
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ストーリー http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD26657/story.html
ポリオが日本を襲った1960年頃、圭子は夫を失っていた上に長男をその病気のために死なせてしまう。日本には最も効果のある生ワクチンがなく、その生産はソ連で行われていた。これを知った圭子は、やはりポリオにかかった次男の賢司を連れてモスクワに行き、生ワクチンの研究をしているグーセフ博士に会って直接投与してもらう。しかし余分にもらった生ワクチンは帰国の税関に没収されてしまう。それによって圭子はマスコミを通じて、全国の母親たちに呼びかけ、生ワクチンの輸入を実現しようと運動を進めていく。グーセフ博士も仲間たちの協力を得て大量の生ワクチンを生産し、特別に飛行機で直送する手段を実現する。これに応えた圭子たちの運動の結果、薬事法の壁を越えて、特例的に輸入することが許可される。こうして日本の子供達はポリオの惨禍から脱するのであった。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD26657/index.html
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▼高遠菜穂子 イラク報告 2003年5月2日 アンバール州「ファルージャ病院・小児病棟にて」
http://web.archive.org/web/20030618162012/http://www.clubwee.com/diary/diary.cgi
…(今回のイラク戦争の)戦前は、ポリオ撲滅キャンペーンが功を奏してポリオによる死者は減っていた。しかし、ワクチン不足になってからまた徐々にポリオ患者が増えてきているとのこと。また、白血病の子供たちは薬が充分に揃ったバグダッドのサダム子供病院に移送しているらしい。…BCGや狂犬病(犬やさそり!)のワクチンも欲しいとのことだった。ワクチンを保存してある冷蔵庫を開けてみて絶句した。扉がちゃんと閉まらない上に、とても衛生的とは言えない内部に輸血用の血液が2つとワクチンがまばらに入っていたのである。度重なる停電で冷蔵庫の温度が一定に保たれているとは到底思えず、この血液を輸血されたらたまったものではないと身震いした。…
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※手ポリオのひとりごと(そしてファルージャは、今なお空爆と戦闘と銃撃で、連日、アメリカ軍に攻撃されている。きょうもまた…病院も救急車も赤ん坊も母親も妊婦も誰も彼も皆殺し…。いざ、立ち上がれ!ムジャヒディン、我々も世界14億人のイスラムの民に連帯しよう! たてー、うえたるものーよ、いまーぞ、ひはちかしー、さめーよ、わがはらかーら、あかつきはーきーぬー・・・♪)
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http://www.cdist.co.jp/film/0007.html
配給会社シネマ・ディスト「上映申し込み」欄の解説

 最後の日ソ合作映画「未来への伝言」。そもそもの企画の出発は、ミッタ監督。ロシアで人気の高い栗原小巻さんにこんな企画があるのだが、と相談をかけた。日本にもどった小巻さんは、映画化を受けてくれる企業を探したがどこにも見当たらなかった。(株)仕事松木さんとのやりとりで自ら企画者として立ち上がることを決意したところでようやくこの企画の映画化がスタートした。

 婦人参政権と並び、戦後婦人運動の中でも大きな位置を占める"ポリオ生ワク緊急輸入運動"。戦後、占領軍が持ち込んだと言われるポリオは、米軍基地のある地域を中心に猛威をふるった。日本では、アメリカの開発したソークワクチン(注射で射つもの)以外には認可されておらず、当時100%の効果がありながら、生ワクチン(セービンワクチン)の使用は認められていなかった。各地で母親たちが立ち上がった。厚生省にもおしかけた。マスコミはこれを大々的に報道した。
 ついに厚生省は、厳しい条件をつけたうえで認可した。
 効果は劇的であった。各地の生ワク投与が開始されてから患者発生は激減していった。そしてついには発生ゼロの日を迎えることとなった。

 日本側の運動は、よく知られていることではあるが、ロシア側ではどんな対応があったのか、この映画で知ることができる。この上映をきっかけに、91年モスクワを訪問した際に、当時のウィルス・ワクチン研究所のスタッフと会った。世界中から寄せられる生ワクを送れという要請に応えるために、不眠不休の生産体制。ロシア側スタッフたちは私たちの感謝の言葉に涙をあふれさせていた。案内された一室に掲げられた大きな一枚の写真を指差し「この写真が私たちの仕事の意義を教えてくれた」。そこには、赤ん坊を負ぶい、鉢巻を締めたお母さんが指を突き出し、何かに抗議をしている姿があった。厚生省に押しかけた母親を撮ったものであった。裏側をみると、贈呈者として東京のよく知られた民医連の関係者の名前が刻まれていた。

 薬害HIV、薬害ヤコブ、(サリドマイド、スモン、キノホルム、森永ヒ素ミルク、水俣病など)をはじめ、今日にもつながる行政、企業の異常な癒着の構図が見事に告発されている。古くて新しい、そして今日の日本の(そして世界の)すべてにつながる問題でもある。
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※手ポリオのひとりごと(そして、この構造こそが、戦争・軍事の権力と庶民との対比を表す関係である。日常生活の中にある戦争構造だ。つまり、昔の運動の話ではない。それに今は、単にワクチンを入手できるようにすればよいということではなく、社会的・政治的な背景をこそ整えねばならないのだ。そこをうわべの善意だけでのお助け活動だと、運動自体の目的を間違えて、目先の解決のみになる。「善意による暴力」、「偽善と感じない偽善」になることをよく自覚せよ。常にこういう意識は高めておかねばならない。なのに昔はよくやっただのと懐かしがるだけではだめだし、そのことさえも言わず、語り継がず、今の腑抜けな反戦運動や福祉運動は、なんてことだ!怒れ!)
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※ (手ポリオのつぶやき)
※ この映画「未来への伝言」は、ビデオやDVDでは出ていない?どこかで自主上映会を見に行くしかないのかね?
  なんで誰も教えてくれへんのかよ。ブーッ。下記のように、熊本では今もやってるぞ。
  ポリオ・生ワクチン輸入運動は1960年だけど、(あっ、安保闘争や三池争議の年だ!)
  この映画は1990年のなのにね。そんなに大昔じゃないよ。アッカンベー。
  ポリオは戦前も日本にもあった。戦後、占領軍が持ち込んだわけではない。
  たとえば、ノーベル物理学賞2002年の小柴昌俊さん。中学生のときにポリオにかかり手の麻痺が軽く残ったそうだ。
  第二次大戦前だよ。その入院中にお見舞いに来た中学校の先生が贈ってくれたアインシュタインの本を読み、
  科学に興味を持ったとさ。それに、手の軽い麻痺のおかげで兵隊にも取られずに済んだとさ。
  と「徹子の部屋」で言ってたわ。ルールル、ルールル、ルールールールールールルー♪。
  小柴さんの研究するニュートリノを計測するスーパー・カミオカンデは、岐阜県飛騨の三井金属鉱業・神岡鉱山の
  跡地なんだと、神通川流域へのカドミウム垂れ流しで下流の富山県の「イタイイタイ病」の元だ、と、
  http://www.d4.dion.ne.jp/~aoisora/sub82.htm#kouzann 辺見庸・原作の映画『赤い橋の下のぬるい水』で
  言ってた。ションベン垂れ流しの、いや、ぬるい水の垂れ流しの話だわ。
  なんか、さびしいねえ。イタイイタイ病とノーベル賞とポリオの三題話。
  みんなどこかでつながってるのよねえと、清水美砂が言っていた。
  どこでどうつながってるのかを、はっきり言える世の中にしようぜ!
  ところでポリオは、第二次大戦後の日本では、特に1960年少し前に猛威を振るった。
  近藤がポリオにかかったのは、1957年だ。まだ、日本では何もなかったころだね。年がばれるぞ。
  札幌や福岡で多かったそうだ。おらあ、愛知だがや。つまり全国各地で流行ったっちゅうことだなーも。
  手や足や、首や背中や胸や呼吸器や、時には脳神経もやられるらしいげな。鉄の肺って、知っとりゃーすか?
  身体に障害が残っても生き延びた子供たちが、私のような者たちだ。
  しかし、その病気にかかったほとんどの子は、直後に死んでしまったのだ。まれに、大人でもかかるげな。
  死んだほうがよかったのかもしれないな…。私は脳障害もあるかもね。
  しかし、脳性まひの人のことを誤解なきように。脳内の運動神経の部分がやられるのであり、知的能力はなんら変わらない人が
  多いのです。だから、大学も出た人も多いし、たいしたもんだよ、かえるのしょんべん。見かけで判断できません。
  しかしね、そんなことよりも、反骨心があるかどうかが大切で、それは、障害の有無に関係ないみたい。
  人間の感性の問題だ。ああ、ヤダ、ヤダ。ヒヒヒ。

▼ なお現在、この映画を配給している「シネマ・ディスト Cinema Dist」は、
  映画『郡上一揆』や『軍隊をすてた国(コスタリカ)』や『草の乱』も配給している。http://www.kusanoran.com/
  詳しくは→ http://www.cdist.co.jp/company/index.html  http://www.cdist.co.jp/movie/index.html

▼「ポリオ生ワクひとくち基金」 http://www.usapomz.com/yufu/waku.html
正真正銘のポリオ患者である熊本市のエッセイスト水間摩遊美さん(57)が、四十数年前の母親たちの情熱に応えた旧ソ連のワクチン研究所が国の崩壊によって生産の危機にあることを知り、1992年に設立。同時にその四十数年前の事実を描いた日・ソ合作の映画「未来への伝言」(栗原小巻主演)を熊本で上映。1995年『伊藤野枝』のひとり芝居公演。 
この人は、右手と左足がポリオの障害がある。詳しくは、熊本日日新聞連載「水間摩遊美/わたしを語る〜母ちゃんに国境はない」(1)〜(31)2004年5月23日〜6月23日朝刊掲載 http://kumanichi.com/feature/kataru/mizuma/left.html

▼ほかに、テレビでおなじみの「ドラえもん募金」などもある。
※わたしゃ、そういうのは、あんまり興味ない。それより、まず、根底の覇権構造を変えろ。募金を贈りながら戦争構造に触れない偽善。
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【その他のポリオ関連資料・ご参考】

▼母親たちの運動…新日本婦人の会、など。労働運動、医療関係者…民医連、など。議会は、日本共産党と日本社会党。
1961年7月から生ワクチンをソ連、カナダから輸入させ、全国で一斉投与され、劇的に流行は止まりました。政治や薬事法をタテにした国家のコンクリートの壁を壊し、国境を超えての運動が実を結び、ただ「人道」のために悪戦苦闘を乗り越えワクチンは届けられたのだった。ポリオこそが、大衆運動と行政と学問とマスコミのキャンペーンが一体となって根絶を果たした唯一の疾病である。と、まあ、ここまではお見事のように見えます。

▼第038回国会衆議院 社会労働委員会議事録 第1号昭和三十五年十二月二十六日(月曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/038/0188/03802070188001c.html 
…次に八の小児麻痺対策、カッコに二億一千九百万というので減が立っておりますが、これは三十六年の一月から始めます小児麻痺の予防接種、…それから次のポリオワクチン研究費といいますのは全く新規でございますが、これは御承知のように、現在ポリオのワクチンとして使われておりますのは、わが国ではソーク・ワクチン、ことしの一月から予定しておりますのもソーク・ワクチンでございますが、しかしソ連、アメリカではすでになまワクチンといいますか、経口ワクチンの使用が始まっておりまして、わが国でもなるべくすみやかになまワクチンの研究を始める必要があるということで、来年大々的に取り上げて、すみやかに使用ができるような態勢を固めていきたいというために認められました経費であります。…
▼第038回国会参議院 社会労働委員会議事録 第3号 昭和三十六年七月三十一日(月曜日)
(小児マヒワクチンに関する件) http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/038/0188/03807310188003c.html
「予防接種の個人負担を保護者の所得によって区別することは実施上適当でなく、これに要する費用は将来全額公費で負担することが望ましいとの要望が出されました。次に、炭鉱離職者の状況と対策について申し上げます。…」

▼マスコミは、当時、NHK報道局社会部内にいた「上田哲」氏の発案により「ポリオ班」が発足。
 旧ソ連から生ワクチンを輸入することに消極的だった厚生省の腰をあげさせた。
 
それが3年後に映画になった。
★映画『われ一粒の麦なれど』1964年8月18日封切り。東宝。(108分・35mm・白黒)
 監督・松山善三/主演・小林桂樹、高峰秀子、大辻司郎。
 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21434/index.html

・あらすじ http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21434/story.html
農政省官吏坂田昌義は、ある日、異常に興奮し泣き叫ぶ女性からの電話を受けた。それは子供が小児麻痺にかかったことを主人にうったえる間違いの電話だった。それから数日、坂田はテレビで小児麻痺患者の惨状をとらえたニュースを見て、あのときの悲痛な電話の声が再び生々しく呼び返された。それからというもの、小児麻痺撲滅が坂田の念願となった。そんなある日、坂田の契約恋人でバーのホステス由美から、北海道で大量発生した小児麻痺患者の惨状を取材したアジアTVの報導員熊谷を紹介された。坂田は熊谷から小児麻痺の予防薬としてソ連のセービン博士がつくった生ワクチンがあることを聞き、早々ポリオの権威平岡教授のところへ、その安全性を確かめにいった。しかし平岡教授にも、その安全性を絶対的に裏づける力はなかった。坂田は必死に小児麻痺に関するデーターを集めた。そうするうち、坂田は小児麻痺予防には生ワクチン以外にないと確信した。が、これを使用するには、その安全性を保障するための人体実験が必要だ。坂田は平岡教授や熊谷に協力をたのみ、人体実験に必要なデーター作成にのり出した。折も折、小児麻痺は過速度的に蔓延し、世論が高まり、生体実験が行われることになった。しかし小児麻痺の義弟を持つ女医根本倫子は、安全性の保障できない薬をのませることはできないと拒絶した。が、「九十九人を助けるために、一人の犠牲はしかたがない--」という坂田の説得の前に倫子もおれた。人体実験は成功した。厚生大臣は大量の生ワクチンを輸入して、生ワク投与にふみきった。が、そのころ坂田は左遷され、由美とも別れ、一人東京を去っていくのだった。

・「日のあたらない邦画劇場―日本映画感想文」なぜか中丸忠雄さんのファンのHP
『われ一粒の麦なれど』 http://home.f05.itscom.net/kota2/jmov/1996_03/960302.html
 (略)ある日、小林桂樹は座敷牢のようなところに閉じ込められているポリオ患者・大辻司郎に出会う。ハンディキャッパーの不幸は身体が不自由であるという物理的なものと、容姿が不気味に映ることによる精神的な重圧だと思う。人間が初対面の異形なモノに対して抱く警戒心というのは本能的なものだ。多くの映画はハンディキャッパーを「容姿の美しい役者」に演じさせてきた。同情を誘うためか?それとも「抗議」を恐れてのことか?ところがこの作品では、コワモテの大辻司郎が圧倒的な不気味さで登場する。その余りの迫力に小林桂樹もたじろぐほどだ。まるっきりバケモノあつかいなのである。
 「あなたにボク達を救うことなんかできない」と全身を震わせて訴える大辻の尋常でない熱演がこの映画の全てだ。小林は車椅子の大辻司郎とともに養護施設を訪れる。ボール遊びに興じる友達を松葉づえの少女が見つめている。と、二人の眼前でその子は転んでしまう。とっさに助けようとした小林に「自分の力で立たせなさい」と叫ぶ大辻司郎。「あなた(小林桂樹)はキチガイだ。キチガイでなければできないんだ。」という大辻の言葉に俄然、奮い立った小林桂樹。交差点で車椅子の後を押す青年に「おまえもキチガイの素質あるぞ!」と小林は言う。
 最初は「偽善的」「おしつけがましい」と映った映画が大辻司郎の熱演で、グイグイ引き込まれた。(中略)「われ一粒の麦なれど」というのは「踏まれても蹴られてもヘコタレない」主人公の狂信的な「情熱」をさすのだろう。(後略)

・主役のモデルは、元NHK労組の親玉で元社会党議員の上田哲の社会派ドラマ。上田氏はNHK記者時代、ポリオ撲滅キャンペーンを起こし、ソ連・カナダからの生ワクチン1,300万人分の輸入にこぎ着けた陰の功労者。NHK労組委員長を経て1968年、社会党から参議院全国区当選した。http://www.janjan.jp/sanin/0407/0407106692/1.php 
上田哲プロフィール→ http://www7.plala.or.jp/t-ueda/profile.htm
ところで、上田哲氏が映画『未来への伝言』について曰く…「ロサンゼルス・タイムズの記者があれを見て上田哲さんの仕事に感動した、と言ったが、あれには私は出てこない。あれは当時のソ連の宣伝映画だ。歴史はこのように作り替えられる。」http://www0.nih.go.jp/niid/gakuyukai/open_to_outside/ueda.jpg こういう視点も大切にしたいね。
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※手ポリオのひとりごと(「九十九人を助けるために、一人の犠牲はしかたがない--」というならば、その一人とその家族をこそ、しっかりと社会的・政治的・経済的に堂々と、そして世間の空気的な抑圧なしに、尊厳ある生活できる世の中をつくるべし。障害を持つことを悪いこと、劣等なこと、引け目を感じること、などという社会の空気・世間の目・世の中の風潮を変え、堂々と障害のありのままをさらけ出し威張りまくれる世の中をつくることだぜい。これは、反戦運動も同じだ。目先のうわべのキレイゴトの偽善者になるなよな、てめえらのことだよ。すぐに世間体だの、気兼ねだ、遠慮だ、ドートクだ、オギョーギだのと…聞きあきたっと。おまえたちこそが「抑圧者」だ。抑圧している側にはそれはわからん。抑圧されている側は、いつも敏感に先回りして感じ取り、物を言いにくくなっていく。だから障害者は明るく振る舞おうとしてしまう。政治的なあたりさわりにかかわらないように、超党派的なうわべの改善運動ばかりやる。だから、こういうポリオ根絶運動も、語り継がれていない。ましてや政治的な側面としての運動としてはさらに深めない。今のイラクやアフガンやナイジェリアなどのポリオ・ワクチンの問題なども同様だ。ヤダネ。)
・アフガニスタンの報告。http://www.nouminren.ne.jp/dat/200111/2001111904.htm
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▼ポリオサロン(the Polio Salon Japan) http://www.geocities.jp/hokukaido/salon/salon.htm#movie-e
 の「ポリオの本」より。 http://www.geocities.jp/hokukaido/salon/bookss-j.htm 
「いるか叢書4 根絶」上田哲・著 現代ジャーナリズム出版会 1967 
「小児マヒを追って NHKポリオ班の記録」 日本放送協会社会部・編 婦人画報社 1961
「ポリオに抗して 日本からポリオを駆逐した母親たちの記録」久保全雄・著 制作:毎日企画センター1983.10 参考資料・日本ポリオ年表

▼「ポリオ THE どん・がばちょニュース 」より(札幌) ♪やーるぞレッツゴー、みておれガバチョ…
http://i-cis.com/syu/hiroba/tuushin/t200211/t200211.html#Anc34
 日本では、昭和35年(1960年)の北海道を中心とした大流行(患者総数5605人、うち北海道は1609人《死者106人》)の  後、ポリオワクチンが普及、それより若い年代の方は、幼児の時に予防のポリオワクチンを飲んでいることと思う。
 当時、NHK報道局社会部内に上田哲氏の発案により「ポリオ班」が発足し、流行の危険の周知、ソークワクチン注射の呼びかけ、生ワクチンの啓蒙、を目的にポリオ撲滅キャンペーンがなされ、ポリオ日報の作成とこれに基く発生状況放送や生ワクチンに関する解説番組が編成された。民放では、ポリオによる後遺症についての治療法の放送がありその後の救済運動へと続いた。また、北海道での大流行時には感染した際に効果があるとされたガラタミン薬の手配に共産党の方たちが中心となって力を注いだとのことである。
 しかし、今でも、東南アジア他のワクチンのゆきわたらない国々では、ポリオにかかる子どもたちがいる。

▼ポリオとは、Polio
・IDSC国立感染症研究所・感染症情報センター
 「ポリオ」(Acute poliomyelitis)アキュート・ポリオマイエリティス??
 または、Infantile Paralyze(小児麻痺) http://idsc.nih.go.jp/vaccine/b-polio.html
・ポリオ(小児麻痺・急性灰白髄炎)について――脊髄麻痺型、球麻痺型
 http://www.eiken.city.yokohama.jp/infection_inf/polio1.htm
・急性脊髄前角炎(ポリオ):脊髄前角の運動ニューロンが障害され、運動麻痺をおこす。
 http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/3218/geodiary.html
・ポリオQ&A http://f42.aaacafe.ne.jp/~puuchin/yoboutyuusya/porio.htm
・国立公衆衛生院の「国際ポリオ根絶行政研修」とポリオ対策について
 http://shoroku.niph.go.jp/kosyu/2000/200049010009.pdf
 1964年以降から、ようやく国産ワクチン(3価混合経口生ワクチン)による定期接種が行われている.
・アルバート・セイビン博士(セイビン・ワクチン) http://sabin.uc.edu/biography.ucm/video.ucm
・ジョナス・ソーク博士(ソーク・ワクチン) http://www.achievement.org/autodoc/page/sal0bio-1/
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▼ワクチンの副作用の問題も、ここでも指摘されたとおりのことがある。権力構造によるもの。そして大衆の善意という偽善に乗っかり…
・「米国の陰謀」とポリオ・ワクチンを拒否 ナイジェリア [CNN]
 【「ワクチンが汚染されていたことを確認している」】 http://www.asyura2.com/0311/health7/msg/1036.html
・人口削減時限爆弾【汚染されたポリオワクチン、40年の遺産】 http://www.asyura.com/0304/health4/msg/117.html
・そして、「ロットNo.39」1975年から1977年に生まれた赤ちゃんに投与されたワクチンのポリオの抗体保有率が低いという問題もある。つまり、不良品だわな。ひどいね。 http://www.gikai.ageo.saitama.jp/t113-matuki.html#C など参照。今27〜29才あたりの人たちだな。自衛官なども含まれるよね。
・受けるべきか?避けるべきか?予防接種の一考察 http://www.ayuko.com/Umetu5.html
・「たかだこども医院ニュース」Vol.2,No.2 平成12年6月12日発行「ポリオワクチン」 http://homepage2.nifty.com/takada-kodomo/memo/vaccin1.html
・さらに、「動物実験と予防接種が生み出す脳腫瘍/ポリオワクチンの例(1950年代〜60年代)」 
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/090301gwi/gwi095medical1.html#08

・こういう映画もできた。『エイズの起源』(The Origins of AIDS) 2003年
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/393.html
エイズのポリオワクチン起源説を支持するドキュメンタリー映画  WIRED NEWSより。  
(上)2004年5月17日 http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20040517306.html
(下)2004年5月18日 http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/20040518309.html
“THE ORIGINS OF AIDS” (U.K. 2003 92 min Color and B&W U.S. Premiere)
http://www.tribecafilmfestival.org/2004/filmguide/eventnote.php?EventNumber=2151

・「世界ポリオ根絶計画」=世界保健機関WHO、国連児童基金ユニセフ、ロータリー・インターナショナル、米疾病予防センターCDCなどで構成。これは、いかにもいかがわしいではないか!国際機関などというものの欺瞞性を考えろ。国連、IMF、世銀、などなど。
・しかも、これに単純に乗っかる現在の日本共産党の偽善! http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-10-05/06_02.html 「しんぶん赤旗」2004年10月5日(火)…あらま、最近だね。…「しんぶんあさはか・せきめん」

・この投稿のとおりだよね。
「ポリオ根絶へ8千万人に集中予防接種開始 WHO [朝日新聞]【おぞましいキャンペーン】」
http://www.asyura2.com/0406/bd37/msg/392.html
投稿者 あっしら 日時 2004 年 10 月 09 日 01:26:39:Mo7ApAlflbQ6s 
 この中に、いっぱい関連リンクが15も載っている。どうもありがとうございます。
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・ナイジェリアと言えば、ビアフラ共和国があったとこだ。ウ〜ン。オバサンジョ。いや、フランシーヌ・ルコント。
これもまた、大国の覇権による独立弾圧と石油とポリオの三題話か、ヤダネッタラ、ヤダネ。

♪「フランシーヌの場合」とビアフラ戦争
誰も知らないビアフラの話、と言うことはない。結構知っている人は、たくさんいる。
フランシーヌ・ルコントは知っていました。1969年3月30日の日曜日。

♪あまりにもおばかさん
http://wagesa.cool.ne.jp/music/j-folk1/francine.html
♪ホントのことを云ったら オリコウになれない
http://homepage3.nifty.com/ctengoku/pagefrn.htm
♪私にもわかるわ
http://www.fukkan.com/list/comment.php3?no=15355
♪いつまでもささやく〜
http://www.pauline.or.jp/toki/ayumi05-1.html
♪燃えたいのちひとつ 2002年3月30日土曜日パレスティナ土地の日 
http://www.mkimpo.com/diary/2002/himori.html

2003年の3月30日も日曜日でした。イラク戦争始められて10日目でした。
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カート・ヴォネガット「ビアフラ-裏切られた民衆」
http://shomon.net/bookse/bookse2.htm

書名  ヴォネガット、大いに語る
著者  カート・ヴォネガット・ジュニア
訳者  飛田茂雄
発行所 サンリオ文庫
(ただし現在サンリオ文庫はありません。古書店か図書館ですね)

 カート・ヴォネガットは、現代アメリカを代表する作家といわれます。「プ
レイヤー・ピアノ」、「タイタンの妖女」、「ローズマリーさん、あなたに神
のお恵みを」等々の作品がありますが、なんといっても、かれをベストセラー
作家にしたのは、「猫のゆりかご」です。ただこの本は私には難解すぎて、友
達にいろいろ解説してもらって、ようやく読み終えた記憶があります。
 ところで、ここで紹介したいのは、上記の本です。しかもその中の186ペー
ジから208ページまでの「ビアフラ−裏切られた民衆」という短い一文です。
 ビアフラ共和国は1967.5.30ナイジェリアからの独立を宣言し、
1970.1.17にナイジェリアから滅ぼされた、アフリカの歴史上註にし
か書かれないような国です。「ビアフラ内戦」とか「ビアフラの悲劇」と新聞
には書かれていました。
 ヴォネガットはこのビアフラが滅ぼされる最後の瞬間の少し前にビアフラへ
訪れています。そしてビアフラがいかなる国だったのかを詳しく述べていてく
れます。アフリカの歴史が書かれるとして、そしてこの時代のことが記される
ときにも、おそらくはその文の中の欄外の「註」にしか「ビアフラ」という国
は書かれないでしょう。そんな存在でしかなかったのですが、ヴォネガットは
この国を実に愛情を込めて説明しています。これほどの素晴らしい国をどうし
てナイジェリアは滅ぼしてしまったのか、読んでいると悔しくなります。また
そのナイジェリアを強力に軍事支援したソ連とイギリスに対しても、怒りがこ
み上げてきます。
 しかし、ヴォネガットもそして私もビアフラのことを、その悲劇をもっと知っ
てくれなんて言いたいのではないのです。
 最後の記述のところ、書き出してみます。

   わたしは大急ぎでこの原稿を書き上げた。読み返してみると、ビアフラ
  国民の哀れさよりも偉大さについて語るという最初の約束を裏切ってしまっ
  たようだ。わたしは子供たちの死を心の底から悲しんだ。わたしはガソリ
  ンを浴びせられた婦人の話をした。
   国民としての偉大さについて言えば、死滅のときにあらゆる国民が偉大
  であり、神聖ですらあるという見方は、たぶん真実だろう。
   ビアフラ人は以前には一度も戦ったことがなかった。今回彼らは立派に
  戦った。もう二度戦うことはあるまい。
   彼らが古代マリンバで「フィンランディア」を演奏することは、もはや
  永遠にないだろう。
   平和。
   わたしの隣人たちは、もう遅いけれどもビアフラのためにできることは
なにかないか、あるいは、もっと前にビアフラのためにすべきであったこ
とはなにか、とたずねる。
   わたしは彼らに答える、「なにもないよ。それはかってもいまもナイジェ
  リアの国内問題だった。きみたちはただそれを嘆くことしかできない」
   ある人々は、せめてもの償いとして、これからナイジェリア人を憎むべ
  きだろうかと問う。
   わたしは答える、「そうは思わない」

 このヴォネガットの言葉こそ、現代のさまざまな情況にたいする答えになっ
ていると私は思うのです。例えば、貧しいアフリカに毛布を送るなんてことよ
り、この答えのほうがずっとまっとうな姿勢だと私は思うのです。
 もうひとつ引用します。私の知っているかぎり、これを読んだ友人はだれも
ここで涙がこぼれたり、こぼれそうになったといいます。もちろん私も。ただ
それは、このところが、この一文を先の文章とはまた違う形で象徴しているか
らだとおもいます。

   わたしはビアフラのことで一度だけ泣いた。帰宅して三日目の午前二時。
  一分半ばかり、小さく吠えるようにグロテスクな声を発したのが、それだ。

 このときにビアフラはその姿を消しました。
(周の書評(政経篇)2)より。
---------------------------------
 この周こと、萩原周二さんとやらは、1948年(昭和23)5月30日生まれ、現在56歳であるが、 http://shomon.net/profil/#hazi  http://shomon.net/profil/#ziko
とんでもない右翼主義元左翼?いや、右翼左翼などと区別はするなという主張の人のようで、そんなことはどうでもよいのだが、昔のことはよく知っていて(当たり前だわ、当時、全共闘その他あちこち)、それをご自身のホームページにさらけ出しておられるから、資料として使えればよいのだ。そこら辺にいる、何も知らない・知ろうともしない・または、いろいろ知っていても何も語ろうとしないふぬけ・腰抜け・骨抜きの、反戦運動団体や個人なんぞよりも、参考にはなる。
 しかし、この★阿修羅♪のほうが、はるかに参考になるけどね。
----------------------------------------------------------------------------------
・ポリオの会東京(全国ポリオ会連絡会) http://www.normanet.ne.jp/~polio/index.html
・全国ポリオの会一覧 http://www.normanet.ne.jp/~polio/ichiran.html
★ええいっ、めんどくせえ!「ポリオ関係その他のリンク集(国内)」総集版!(ポリオサロンより)。
http://www.geocities.jp/hokukaido/salon/pmisc-j.htm
http://www.geocities.jp/hokukaido/salon/salon.htm#psonota

この他にもポリオの障害者の映画や本などいくらでも出て来るが、今回は、ポリオ談議をするのではなく、
生ワクチンの輸入運動や世界政治の“権力構造”との関係を考えたい資料なので、つまり、反戦運動のためだから、
これでやめる。あゝ、インターネットは、我らがもの〜♪
ではでは。ヒヒヒ。
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【ついでに】
1884年(明治17年)11月1日、
時の政府を
震え上がらせる
事件が起こった!

『秩父事件』
それは、万に及ぶ
民衆の一人一人が
勇気をふりしぼり
悪政を正すため
愛するものを守るため
命をかけた
壮絶な戦いだった―――

そして、世の中が
酷似するいま、
歴史の闇に封印されていた
事件の真実が
ついに、明かされる!
120年の時空を超えて・・・

……秩父事件120周年記念……
★映画『草の乱』 http://www.kusanoran.com/

監督は、前作「郡上一揆」で江戸時代の農民の一揆を通してその誇り高い気概を謳いあげた神山征二郎。
2004年9月4日(土)より10月1日(金)まで、(ありゃ、済んじゃった)、
有楽町スバル座にて先行ロードショー。以降、日本全土で公開中! 
横浜 ニューテアトル 10月23日(土)〜11月5日(金)
立川 シネマシティ 10月30日(土)〜11月19日(金)
ほか。http://www.geocities.jp/eibunkyou/ 
地元・埼玉県内・各市町村・上映日程(10月9日(土)〜2月26日(土)) http://www.geocities.jp/eibunkyou/P0-e.htm

予告編→ http://movie.nifty.com/cs/catalog/movie_677/cal/index_0/5.htm
1883年、生糸を産業とする秩父郡下吉田村では、世界的な不況とデフレによる生糸価格の暴落で、人々の暮らしは困窮していた。借金に頼る暮らしを余儀なくされ、高利の取り立てに身代限りとなる農家も続出していた。生糸商家を営む井上伝蔵は、人々の窮状に心を痛め、高岸善吉、落合寅市、坂本宗作と「困民党」を結成し、高利貸し取り締まり、借金年賦返済の請願運動を始める。警察署、高利貸しへ、請願・交渉を行うが、事態は悪化する一方。もやは政府を打倒するしかないと、困民党は、命を懸けた武装蜂起を決意する。
このような「乱」が全国各地で湧き起こる。それは、民衆による自由民権運動であった。それらに対し、明治政府は徹底して弾圧をすすめた。

秩父事件以後、日本は朝鮮出兵に始まり、日清戦争、日露戦争、日中戦争、第一次大戦、日中戦争、第二次大戦と矢継ぎ早に戦争を繰り返すこととなった。それは徹底的に民権が蹂躙された歴史でもあった。

なぜいま秩父事件なのか―秩父事件が日本の近現代史の中で持つ意味は重い。民衆が国に対し異議申し立てを行い、政策変更を求めるだけでなく“その政府自体の打倒”と“自らの政府樹立”を求め立ち上がったのである。デフレ、長引く不況、高利貸の跋扈、そして戦争―明治のその時代とあまりにも重なり合う今日の日本。年間3万人が自殺する社会、子供たちが、若者が未来を夢見ることができない社会―この行き詰まりにいま私たちが求められていることは何か。

120年前、愛する家族のために、仲間たちのために自らの命をかけて立ち上がったすごいやつらはいま私たちに何を語りかけるのであろうか―
--------------------------------
…などというのを読んで、映画を見たりして、感動したねとか、かわいそうだねとか、気持ちはよくわかるわとか、今とよく似た時代だねとか言ってるだけでは、反戦運動にかかわっている者としては落第だ。今までのような単なる「異議申し立てを行い、政策変更を求める」のではなく「その政府自体の打倒と自らの政府樹立を求め立ち上がった」と書いてあるではないか。「いま私たちが求められていること」は、これを自分の体で、心で、実行することだ。それにはどうやれば良いのか話し合うにしても、やる気を押さえつけ、沈ませ、礼儀を守って道徳的に、お役所の手続きを踏んで、世間の目を気にしながら、過激なことはしないように、おとなしく穏やかに、などという話し合いではダメに決まっている。反戦団体なら、「怒り」を表わし、体を張って、生活も家族も仕事も捨てて、命を懸けて行動することをこそ、こういう映画から学ぶべし。福祉運動も同じこと!どんな本を読んでも、どんな映画を見ても、どんなテレビドキュメンタリーを見ても、いいお勉強になったとか、いい話だったとか、あれ見た?だのとか、よく見ておきましょうねだとか、ただの鑑賞をしているのではあかんがや。おい、そこらへんの「いい人」「まともな人」「まじめな人」どもよ、まだわからんか?アンポンタン。アンポフンサイ!シエンヒフンサイ!セイフダトー!イカレ!オコレ!イノチヲカケロ!

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