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「自己責任論」の裏側にいる闇の勢力
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/20041009.htm
今あらゆる意味で90年代からの不況の清算コストを、全て私たち個人に責任が転換される試みがなされようとしている。もちろんリスクの転換も密かに始まっている。たとえばゼロ金利もそのうちのひとつである。預金者にとって、いまや銀行貯金はほとんど魅力のないものになってしまっている。
つまり結果的に、今後はもっと利回りのよい有利な金融商品を求めて、何も知らない私たち個人の金融資産は銀行貯金から巧みに誘い出されることになるにちがいない。それは結局よりリスキーな証券市場に向かうしかないようである。郵便貯金や簡保にある350兆ものお金が民営化の波に晒されるのも、基本的にはこの流れ以外の何物でもない。しかし日本の主要メディアは肝心なことには決して触れない。
銀行預金から株式市場への流れは、日本民族の体質的な変身を要求してきているのだ。これは決して日本民族が自ら望んだわけではない。にもかかわらず、主要メディアはまるでそれが流行であり、誰もが簡単に幸せになれる特効薬であるかのように喧伝されている。しかしその一方で、密かに「自己責任」の時代であるということも言い始めているのだ。
そして「個人の自立」の時代であり、ついに「地方の自立」の時代もやってきたとマスコミは不思議なくらい囃し立てている。個人資産が証券市場というまさにハイ・リスクな領域に誘い出されようとしている時に、最高のタイミングで「自己責任」と「個人の自立」と「地方の自立」の時代がセットになって、まるで天から降ってわいたように訪れようとしているのである。ほんとうに違和感の感じる流れである。
いま経団連が先頭に立ってすすめている「債権株式化」にしても、間接金融から直接金融への流れにしても、結局のところ、産業界は証券市場から資金調達しなければならないからである。ようするに日本の株価を再上昇させるために求められているのが、銀行預金として預けられている個人の金融資産なのである。そして2005年からついに実施されるペイオフの流れも、この銀行貯金から株式市場への流れを加速するために仕組まれた「ある種の脅し」だと私は思っている。巷で言われる1200兆円の金融資産は幻想に過ぎないが、郵貯と簡保にある約350兆はやはり相当に美味しいはずである。
だからこそ郵便局の民営化なのである。それ以上でもそれ以下でもないのだ。日本型401K(確定拠出型年金)の導入も、まったく同じ戦略である。本来なら退職後のかけがえのない生活資金である年金まで証券市場と結びつくわけだから、なんとも恐ろしい流れなのである。こうした変化で儲かるのは一体どこの誰なのだろうか。企業から私たち労働者である個人へ、クローニーキャピタリズムに守られた「大」から無抵抗な私たち「小」へ、自分たちの犯したコストとリスクを、私たち何も知らない善良な個人にさりげなく転嫁しようと企まれた手法が、ようするに「失われた10年」だったのではないのだろうか。
もはや企業と従業員は一体ではなく、したがって終身雇用、年功序列等の日本的経営は蜃気楼のような存在となってしまっている。従業員は会社から切り離された労働市場の商品となり、需要の変化に応じてレイオフや解雇の対象となり、私たち普通の日本人が、切実に望んでいる「安定」とは似ても似つかない「不安」と「使い捨て」が、私たち個人を包囲しはじめている。
ようするに、向こう3年以内に雇用を何千人減らすと発表するだけで、ほとんどの上場企業の株が暴騰する不思議な時代を私たちは迎えているのである。これが、日々投機的になりつつある『市場原理主義』というパフォーマンス経済の掟なのである。
千葉邦雄のニュースの落とし穴
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/